新町は平成の大合併で高崎市になりましたが何故か縁がなく何時も通りすがりだけの街でした。昔は宿場町として栄えた場所ですので街並み探訪には面白いかもしれないと駅に車を預け真っ直ぐ延びる大通りを歩きますと町を形成しているのは大通りの両側の商店と後は閑静な住宅街であり往時の宿場町としての面影は何処にも見られませんでした。昼時でしたので店番をしていたお婆ちゃんに尋ねますと「困った事に今はみな暖簾を下げてうどん屋さんが2軒あるだけなんですよ」との事。
先ずはメイン会場である明治天皇・行在所を目指します。
明治11年、明治天皇が新町の屑糸紡績所も行幸されると言う事で急遽、宿泊所として新築されたのが、この建物です。お付の方もかなり居たでしょうに意外にこじんまりした建物でした。
立派な雛壇が周り廊下を埋め尽くす様に飾られている中、こんな可愛いお姫様も居ましたよ。「一枚撮らせて頂いても宜しいですか?」「どうぞどうぞ」「ブログに載せてもいいかしら」「全然、構いませんよ」とママ。
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お雛様を飾っている商店は僅かでしたが偶に笑みが零れる様な木目込みのお雛様が店先を飾っています。
「これは大正時代の御殿飾りです」と店主。 第一次世界大戦勃発の頃ですね。
御殿づくりの横に立派な雛壇も有りました。多分、昭和のものでしょう。懇意にしている家の双子の姉妹の物で同じものが、もう一つ有るのですが店が狭くて飾れず雛壇の後ろの箱に収まったままなのですと話しておられました。その中の五人囃子がとてもハンサムでしたので、つい贔屓心が湧きカメラを向けました。
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宿場も保存されて賑わっているところもあれば、
この新町のように面影が失せたところありと様々のようです。
それでも明治天皇・行在所のように貴重な建物も保存されていて
わずかながら昔の面影を偲ぶことができたようですね。
立派なひな壇を観ることができたうえに、可愛いお姫さんまでもが
彩りを添えてくれて訪れた価値がありましたね。
昔の行幸は大変だったようですね。
私の近くにも明治天皇ご休息所という古い洋館が残っていますが、オンボロボロだけど解体できないと持ち主が嘆いているとか!
この宿泊所は上手に運営してあるようですね。
うわー、雛壇のりっぱなこと!
こんなの見たことないです。
>「一枚撮らせて頂いても宜しいですか?」・・・」「ブログに載せてもいいかしら」
へっへっへ、可愛いお嬢さん今頃ママさんと喜んでいるでしょう!
いろんなお雛様があるんですね。
昔栄えた古い町でこその飾りなんでしょう。
近隣のイオンとかイズミヤではたぶんこんなものはないですね。
>うどん屋さんが2軒あるだけなんですよ
なるほどですね~、時代はどんどん過ぎて行くんですね。
スイスの山城とは偉い違いです。
>とてもハンサムでしたので、つい贔屓心が湧き
はっはっは、いい男共だ!
有難うございました。
往時を偲ばせるものは残念ながら見られませんでした。
それでも明治天皇宿泊の為に建てられた行在所が当時のまま残されていたのは何よりの救いでした。
直ぐ隣に倉賀野町が有りますがむしろ、こちらの方が多少なりとも宿場町の面影を残していると言えます。
でも行ったからこそ行在所を知る事が出来たのですから訪れた事は決して無駄では無かったですよね。
ちょこっと座っていたお姫さんも可愛い笑顔でモデルになってくれましたし。
調べて見ましたら私達が歩いた場所からそう離れていない場所に在りました。
乳製品(ヨーグルトやバター等々)を製造し希望が有れば工場見学も可能なのだとか。
横浜が本社なのですか?
一心さんとは、どのような繋がりがお有りなのでしょう??
浩宮様が皇太子の頃、よく登山をされていましたが山に登ると言う通達が有ると村中で林道の整備をしたり電柱を設置したり山小屋のトイレを水洗にしたり羽毛布団に変えたり大変な騒ぎになるのだと言う事を北岳に登った時に聞いた事が有り浩宮様が登った後に行けば快適な登山が出来ると笑い合ったものです。
私の家にも大正時代のお雛様が有りますが趣が有りますよ。3日が過ぎたら締まってしまうのは勿体ないので飾り棚に一年中、飾っています。仕舞わないと嫁にいけないと子供の頃よく聞かされましたが、もう嫁に行く事も有りませんしね。
お人形でもハンサムな顔立ちには、この歳になってもときめきます~(*^-^*)
新町から、巨大なトラックが牛乳原液を運んで来ました。
ひょんな所で繋がるものなのですね。
何だか縁を感じます。