たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

亀寿丸(業盛の遺子)が落ち延びた極楽院

2020年03月15日 | 散歩

続き

取り敢えず駐車場まで戻り極楽院へ向かいます。と言っても場所が解らず検討を付けて左折すれば運の良い事に目指す場所は直ぐ先に在りました。   てっきり、建物が在ると思っていたのですが今は礎石さえ無く「さかさ梅」が花を咲かせているだけでした。

2歳の亀寿丸は家臣に抱かれ箕輪城から約1里半先に在る極楽院に匿われ後に出家し鎮良と名乗り極楽院2代目の院首となりました。        落城時に同行した家臣の姪を妻とし5子を設け46歳で没した様です。

この「さかさ梅」は根回り2m 樹齢約450年(とされる)  業盛の一子・亀寿丸が極楽院に匿われていると知った武田信玄は極楽院を訪れ鞭にしていた梅の枝を地面に逆さに射したとの記述があります。亀寿丸はこの枝が芽を出した暁には花を逆さに咲かせましょうと信玄に誓い服従の意を示したとか。 極楽院は明治6年、廃院となりましたが長野氏の血筋は絶えてはいない様ですね。

極楽院跡に残る宝塔

極楽院跡地、横に立つ天満宮

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その足で私達は長野業政公の墓所を訪れました。極楽院跡から車で15分くらい北に向かうと長純寺が在ります。 長純寺は元々は上芝に在りましたが業政により此処に移され長野氏代々の菩提寺となりました。

閻魔大王

奪衣婆

審判を受け持つ十王たち

門前にある駐車スペースの脇に居座る閻魔大王と奪衣婆の厳めしい顔に迎えられました。 奪衣婆は三途の川で待ち受け六文銭を持たずにやって来た亡者の衣類を剥ぎ取り木の枝に掛けてその重さで罪の軽重を計る役目をする婆さんらしい。 要するに此処へ六文銭を置けと言う事の様です。私は、あの世へ行くまでは もう少し時間がありますので顔パスで失礼し門を潜らせて頂く事にしました。

業政公の墓所に続きますので本日はコメント欄はお休みに致します

コメント (2)
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