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広島城天守閣登城の巻

2022年08月28日 | Weblog

秋風が感じられる日、ウェビナー講座を受けて少しお城の学習をした私。

平城:広島城の築城の歴史や、石垣の今を見に行きたいと思い

急きょのお出かけ。

身分証明書を見せてシニア料金で入城。

 

広島城のお堀の周りは、サッカー競技場の建設で、重機や資材が置かれて

ちょっと残念な感じではあったが、

今日は正門:表御門から入ってみた。


築城時に運ばれた石は、通常近場から運んでくる地産地消との事だから

毛利輝元が普請奉行に命じたときの毛利家の統治地域は

今の広島県・山口県・鳥取県・島根県・岡山県の一部なので

基本花崗岩だと思われる。

すみかどを除いたところは、乱雑に積み上げているので、乱積み。

この乱積みは、排水機能にたけているが、見た目が悪い。

石の切り出し技術にもよるが、岩に近い石を使っている。

 

この辺の石積は、大きさは大小まじっているが、表面は比較的平らかに加工されていて

綺麗。だいぶ技術の向上が感じられる。


御門橋を渡りきったところにある表御門の両サイドに、狭間(さま)が切られ、

門の上にも小部屋があり、ここから敵を襲撃したと思われる。

門の扉の厚さは、さほどでもない気がする。

見事な柱。どれほど大きな木を伐りだして加工したのかな と思いが膨らむ。

後からはめ込んだような石が目についた。あとからはめ込むなんて、とても無理だが

この形状をここに置いたわけが知りたい。

二の丸を取り囲んでいる塀には、三角形や四角形の狭間が、順序良く並び切られている。

鉄砲狭間・矢狭間と、敵を攻撃する武士たちの姿が見えるようだ。

ちなみに、外は水堀だが、このころの主力兵器は弓矢であり、鉄砲を使うにしても

敵に届かないような幅の水堀では役に立たないので、幅は50~60mでつくられている。

本丸に進んでいく途中の石垣。

すみかどには直方体の大きな石を交互にかませて積んでいる。

重さが分散され、強度の精度が上がるこの積み方。

すみかどからは、絶対に崩れることはない。

そういえば、熊本地震の時に崩落した熊本城の櫓の、すみかどだけが残っていた映像を思い出した。

歩いている途中、この石垣の中身を偶然見かけることに。

基本表面は大きな石を置き、中身は小さなぐり石(栗石)をたくさん入れて、

衝撃の吸収をしたり、雨水の通りを良くしたりしている。

 

これは、第二次世界大戦の時に置かれた、

中国管区司令部の防空作戦跡(ここから原爆投下の第一報が発せられたといわれている)

近くにあった石の階段。

城内部は写真を撮ることが禁止されている。

やっとの思いで五階の展望階に上がり、回廊を一周して、城下町広島を見下ろしてみた。

上ることも大変だったが、下ることも大変な年齢になった と深く自覚した一日。

護国神社近くにあった売店に立ち寄り、レジのお姉さんに、

「これが最後の登城になるかもね。」なんて話をすると、

「まあ、そういわず、また来てください。」

と激励された。

石垣の話は、ズーム講座の受け売りだが、

やはり現物に接することは大事で、

ひとの偉大さを肌身に感じることが出来たいい日となった。

 

 

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