
太平洋戦争中盤。米空母の撃沈、ソロモン海戦での奮戦など、局地での健闘はみられたが、日本軍不利の戦局は深刻化していった。飢えで多数の死者を出したガダルカナル島の撤退、サイパン玉砕など、各地で地獄絵図が繰り広げられた。当事者たちの語る太平洋戦争第2巻。文庫版では、キスカ撤退をめぐる豪華座談会を特別収録。
ソロモン海戦1 空母「ワスプ」撃沈の凱歌
ソロモン海戦2 ガダルカナル島を火の海に戦艦「金剛」の砲撃
南太平洋海戦 米空母をゼロにした日―南雲機動部隊によるミッドウェー海戦の雪辱
ソロモン海戦3 駆逐艦「夕立」奮戦す
ガダルカナル島の戦い 「餓島」撤退作戦
海軍甲事件 巨星落つ山本五十六の思い出―連合艦隊司令長官山本五十六戦死
ソロモンの戦い ケネディ大統領を沈めた男
ブーゲンビル島沖航空戦 さらばラバウル航空隊「虎徹」の切れ味
マキン・タラワ島の戦い タラワ玉砕生還記
ビルマ・インパール作戦 インド進攻の夢破る
ミートキーナ攻防戦 月白の道
ニューギニア戦線 アイタペ死の攻勢
サイパン島防衛線 地獄絵図・サイパン島―玉砕突撃寸前に起きた陸海軍指揮官の論争
マリアナ沖海戦―造船士官が眼前で見た新鋭空母「大鳳」の最期
竹槍事件―東条に逆らって徴兵された新聞記者
「広い太平洋の一隅で、私たちはほんの数メートルへだてて、すれ違ったのである。
その時、私は勝者であり、彼ケネディは敗者であった。
そして戦いは終わった。ケネディ氏は下院議員になり、私は百姓になった。
私は、”昨日の敵”がアメリカの大統領になる日を楽しみにしている」
ケネディ大統領を沈めた男;花見弘平(駆逐艦天霧艦長)
ソロモンの戦い
魚雷艇艇長として勇戦していた若き日の大統領は駆逐艦「天霧」に激突され、海に投げだされた。戦後になって始まったケネディと元艦長の交流秘話。
ラバウルで修理が終わった天霧は8月1日、再び駆逐艦4隻でコロンバンガラ島へ軍需品を運び、その夜帰途に就いた。そして午前2時ころ、右前方に敵魚雷艇が突進してくるのを発見した。花見艦長は体当たり攻撃を決断、32ノットの高速で米魚雷艇にぶつかった。魚雷艇は轟音を発して2つに割れ、海中に消えていった。米軍の魚雷艇PT109号だった。
艦長はジョン・F・ケネディ中尉といい、後に第35代アメリカ大統領になる男であった。
ケネディという名前が、私の前に現れたのは、1951年のことであった。
その年の秋、ジョン・F・ケネディ氏は、下院議員として日本にやってきた。
出迎えた国連協会の細野軍治氏に、彼は言った。
「私は南太平洋で戦った。そして、私の魚雷艇が撃沈されたことは、忘れ得ぬ思い出だ。
私の艇を沈めた駆逐艦長に、せひ会いたい。さがして貰えないだろうか」
砲撃はますます激しい。
至近弾が落下すると空気が破裂して頬を殴った。右に左に水柱が上がる。
往復ビンタをくらっているように顔が痛んだ。
米軍には、不発弾が多かった。それは、試作品を使いながら改良してゆくからだ。
工業力が豊かなうえに、こういう方法をとるものだから、ますますいいものが出来てくる。
日本は、確度ばかりを気にして、なかなか正式に採用しない。
資源が乏しいから、無駄ダマは撃たせないのだ。
米軍にはレーダーがあったのだ。いきなり砲撃してくるのだ。
盲人が暴力団に立ち塞がれたように、こちらは勝手がわからない。
魚雷艇は長さ30m足らず、乗員十数名の小さな船だ。
当時、魚雷艇に対しては、体当たり戦法が唯一のものと考えられていた。
魚雷艇が沈むとき、「天霧」のスクリューにひっかかったのか、ぶるぶると震動した。
スクリューの羽根の1枚が壊れていた。
艦首はつぶれ、浸水したが大したことはなかった。
この体当たり戦法は、実際にはなかなか成功しないものだ。
魚雷艇は60ノットにも達する快速を持っているので、スルリと体をかわされてしまうのである。私が聞き及ぶ範囲では、この成功が空前絶後である。
この魚雷艇の艇長が、ケネディ少尉なのであった。
暗い海に投げ棄てられた彼らの運命については、もとより知るところではなかった。
~~虫歯~~
私たちはお互いに心の虫歯をもっておいたほうがよい。
心のおくの一番大切なところが目覚めてくる。
でないと、忘却というあの便利な力をかりて、微温的なその日ぐらしのなかに、ともすれば安住してしまうのだ。さえざえとした一生を生き抜くには、ときどき猛烈な痛みを呼びこむ必要がある。
私にとって、戦争の記憶は、とりもなおさず、抜歯のきかぬ虫歯である。
折にふれて痛みだし、世間智におぼれそうな私を、きびしい出発点へ引き戻す。