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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

ジオスケープ・ジャパン 地形写真家と巡る絶景ガイドⅠ

2021年04月12日 10時10分44秒 | 読書・地理地震


巨大なユーラシアプレートの東端に乗る日本列島。太古から隆起と沈降、堆積と侵食を繰り返してきたことで、美しくも不思議な地形や地層、奇岩が全国各地で見られます。さまざまな地形が織りなすダイナミックな絶景とその成り立ちをわかりやすく解説した、日本の「大地のカタチ」を、見て、知って、楽しむためのガイドブックです

白ひげの滝(北海道美瑛町)

アトサヌプリ(北海道弟子屈;てしかが町)
美幌峠からの眺望は圧巻です。あの屈斜路湖が大きく前景を占めるので、展望のスケールは道内でも群を抜いています。その雄大な屈斜路湖を抱くのが、東西26km、南北20kmの屈斜路カルデラです。その面積は「世界最大級」と称される阿蘇カルデラをわずかですがしのぎます。
3万年前に陥没が起きたと言われています。
カルデラとセットになるのは中央火口丘と呼ばれる小火山です。陥没が起きたときは、火口を含め何もかもなくなってしまいますが、地下にはまだ火道が残されており、そこから新たにできた火山が中央火山丘です。阿蘇カルデラの阿蘇五岳、錦江湾(姶良カルデラ)の桜島は、すべてこの中央火口丘です。
屈斜路カルデラの場合は、湖上に浮かぶ中島や、そして今なお噴気を上げるアトサヌプリ火山群がそれにあたります。アトサヌプリはアイヌ語で「裸(アトサ)の山(ヌプリ)」という意味で、和名では「硫黄山」とも呼ばれ、硫黄鉱山として栄えた時期もありました。強い酸性の川湯温泉に浸かればさらにそれを強く感じます。

アポイ岳(北海道様似町)
この尾根、すべてマントルでできています。
日高山脈の山肌には、乗り上げた北米プレートの断面が現れています。
山肌の東側はプレートの地表近くだった地層で、西に行くにしたがって地中深くにあった岩石が現れてきます。そしていちばん西側にあるのがプレートの最下層にあたるマントル、すなわち「かんらん岩」です(マントルは主に橄欖岩からできています)。
アポイ岳の橄欖岩は、東西8km、南北10km、厚さ3kmの巨大な岩体からなり、隣にそびえるピンネシリ峰から幌満渓谷はすべてこの岩から形成されています。
■かんらん岩の隙間に咲く「イブキジャコウソウ」
■かんらん岩の本来の色はオリーブ(薄緑)色をしており、研磨された美しい標本は、様似役場前の「かんらん岩広場」で見られます。
■登山前にはアポイ岳ジオパークビジターセンター、開館期間4月~11月に立ち寄り、日高山脈の地形の成り立ちや、かんらん岩について知っておくとよいでしょう。
アポイの地形は、見るだけで理解することは難しく、知識があってはじめて深い感動が得られます。


仏ヶ浦(青森県佐井村)
風雨と波濤のしぶきが刻んだ浄土の風景
この針の山の造形をつくったのは、「グリーンタフ(緑色凝灰岩)」と呼ばれる岩石。
「タフ」とは火山灰が堆積してできた岩のことで、グリーンタフの場合は、海底火山から噴出した火山灰や軽石が海底に厚く堆積してできました。その岩肌は淡い緑色が混じった灰色です。この色は火山灰が地熱やそこから噴出す熱水に長い間さらされることにより、その一部が緑色の鉱物に変質したために生じました。

「火山灰が分厚く海底に堆積する」「それが熱にさらされ続ける」、
この2つがグリーンタフができる主な成因条件だとすると、この岩が分布する場所ではかつて激しい海底火山活動があったと推測することができます。実際にグリーンタフが見られるのは主に日本海側で、できた年代は2,000万~1,500万年前とされています。これは日本海が拡大して激しい海底火山活動が起こった時期に重なります。
長年の風雨と波濤が岩肌を濡らし、しぶきが流れた跡は深い溝となり、今では浄土の世界観を醸し出す見事な背景となっています。

桃洞の滝(秋田県北秋田市)
秋田の山奥にいる憧れの女神に会いに行く
二次元の写真では伝えきれないほど神秘的でエロティックでした。
200万年前にカルデラ噴火を起こし、田沢湖から八幡平あたりを覆い尽くした溶結凝灰岩。
溶結凝灰岩は、カルデラが陥没する際にあふれ出た高温の火山灰が大量に降り積もり、自らの熱と自重で溶けて固まったものです。
その後、今の森吉山となる火山がこの地で噴火します。
■森吉山野生鳥獣センターが滝への入り口となる。4km、徒歩1時間。

鵜ノ崎海岸(秋田県男鹿市)
時間が閉じ込められた岩のタマゴです
潮が引くとその下から褶曲した地層が現れる。
1,000万年前の砂泥からなる地層が隆起し、波に削られて、海岸線から沖合い200~300mまで続く平らな岩礁になっています。褶曲の上にはさまざまな大きさの丸い岩がいくつも転がっています。このような岩を「ノジュール」と呼びます。

ハイペ海岸の津波石(岩手県田野畑村)
2011年3月11日、大津波に運ばれてきました
写真の褐色の砂岩は10m×7m×5mもある大きな岩です。
沖縄の宮古諸島・下地島にある日本最大級の津波石「帯岩」。
高さ12m、周囲60mの巨大な岩は、1771年4月24日に発生した明和の大津波によって打ち上げられたとされています。

蔵王連峰(宮城県蔵王町)
荒涼としている?私には活動的で生き生きとして見えます
「火山フロント」・・・火山ができる前線という意味。
マグマの生成には、海洋プレートに含まれる「水」が重要な役割を果たします。
イメージ的には、地下は高温でマグマは簡単にできるものと思われがちですが、地下深くになると圧力も高くなるので、岩石の融点は上がります。それを下げる役割を果たすのが水です。
岩の鉱物粒子と水が反応し、鉱物のなかの結合力が弱くなり、結果として融点が下がるのです。この水は、海洋プレートが地下100~120kmまで沈んだところでその中から放出されます。地上で火山が並ぶ理由は、地下のこの深度で横並びに水が放出されるからです。
そのまま北へ目を転じると御釜を前景に、東北の火山フロントの山々が続きます。
「この地下ではマグマが列をなして生成されているのか」と地中の様子を想像すると、右手に見える太平洋の底で斜めに沈み込む太平洋プレートの大きな岩盤が、実景と重なるように目に浮かんでくるのでした。

佐渡島の潜岩;くぐりいわ(新潟県佐渡市)
この模様は、海底を覆った溶岩流の痕跡です
佐渡島が島として海上に現れたのは、わずか300万年前のことです。
日本海の海底が隆起して島になったので、それまでに海底に体積したさまざまな時代の地層や湧き出した溶岩を全島で見ることができます。島全体が「日本海の誕生と拡大」をテーマとした博物館といっても過言ではありません。
裂ける海底と枕上溶岩。玄武岩質溶岩。

佐渡島の平根崎(新潟県佐渡市)〔ほか〕
これが日本海に最初に堆積した砂岩です。日本海の誕生を実感する。
佐渡島の北西側の海岸を「外海府(そとかいふ)海岸」と呼びます。
冬の季節風と日本海の荒海で削られた険しい海食崖が延々と続く景勝地です。
平根崎だけは大きな砂岩が横たわる穏やかな景色が広がっています。

日本海が今のような姿になったのは、わずか1500万年前のことです。それまでは地上に日本海の姿はなく、日本列島もユーラシア大陸の東端の一部でした。2,500万年前、何らかの理由で地下深くのマントルに上昇流が発生し、その真上が起点となって地殻が薄く引きのばされ始めました。地上では大地に入った亀裂がみるみる拡大し、まず淡水の湖ができ、それが外海に達すると海水が流れ込んで新たな海となりました。日本海の誕生です。
平根崎の砂岩はこのような時代に、川から流れ込んだ砂泥がその底に堆積してできたものだったのです。
「平根崎の波触甌穴群」は国の天然記念物に指定されています。
その数は78個に及び、直径2mを超える大きなものも14個数えられます。日本海の激しい波の寄せと引きの渦流によって生じた侵食地形です。
■大野亀は6月上旬に黄色い花が一面にさくトビシマカンゾウが有名。
「海成段丘」


北アルプスの名峰、剣岳。
この山は1億9,000年万年前の花崗岩からできており、生まれはユーラシア大陸外縁の地下深く。1,500万年前に日本海の拡大にともなって、270万年前に地表に顔を出し、140万年前から本格的な隆起を開始した。
同じく北アルプスの穂高連峰は、同じ飛騨山脈の岩峰だが、176万年前に発生したカルデラ噴火によってできた溶岩凝灰岩が隆起してできた山。剣岳に比べると山としてはずいぶん若い


~~田塚鼻のスランプ構造;新潟県柏崎市~~
この断崖は、海底地すべりの現場の断面です
地層に残る海底地すべりの跡
そのような地層の乱れを「スランプ構造」と呼んでいます。
「牛ヵ首層内褶曲」

~~谷川岳の一の倉沢;群馬県みなかみ町~~
豪雪というナタが削り出した、日本一緊張感のある絶景
雪崩が磨いた岩壁の滑り台
一の倉沢の出合から衝立岩の頂上を見たときの仰角を計算してみると、37度でした。
山岳景観で有名な上高地の河童橋から見上げた穂高岳のそれが20度なので、一の倉沢のそびえ方がいかに際立っているかがわかります。
標高2,000mに少し届かない谷川岳では通常なら氷河はできませんが、桁外れの積雪量のため、マチガ沢・幽ノ沢には、「モレーン」と呼ばれる氷河が運んだ岩屑などによる堆積地形が確認されています。そして氷河が削った造形を維持する役目を果たしているのが「雪崩」です。
■「アバランチ・シュート;雪崩の樋」
「悪魔の壁」

~~袋田の滝;茨城県大子町~~
あばたの岩肌が描く美しき落水模様
水冷破砕岩にかかる名瀑
「滝とは、流水が急激に落下する場所をいい、高さが5m以上で、いつも水が流れているもの」
これは国土地理院の地図に掲載されている滝の定義です。
袋田の滝は、那智の滝、華厳の滝とともに「日本三名瀑」に選ばれています。

袋田の滝がかかる岩は、1,500万年前に海底火山から噴出した溶岩がもとになっています。
日本列島が大陸から離れ、その移動が終わろうとしている頃のことです。
西日本の大半は陸地として海上に出ていましたが、東日本の大部分はまだ海の底でした。
サラサラで粘性の低い玄武岩溶岩が水中に流れ出すと、米俵を重ねたような「枕上溶岩」になりますが、粘性の高いボソボソの溶岩が水中に湧き出すと、急冷されて一瞬で粉々に砕けてしまいます。袋田の滝は、「デイサイト」と呼ばれる粘性の高い溶岩がもとになっています。砕けて細かな火山礫になった溶岩が、次々と水中で堆積してできたのが袋田の滝の岩です。
「水冷破砕岩」と呼んでいます。
破砕岩のごつごつした岩肌が功を奏したのか、流れる水はとても繊細に見えます。
■滝については、筑波大学の地質情報活用プロジェクトのHP内で公開されている「地質観光まっぷ」が参考になります。

~~大芦川の虎岩;栃木県鹿沼市~~
元々はプランクトンの殻でした
遠洋深海で生まれたチャート
チャートは放散虫と呼ばれる1mm以下のプランクトンの殻(主成分は珪酸質)が海底に堆積してできた岩石ですが、その純度が高くなければチャートにはなりません。
純度が上がる条件として、陸から遠いこと、海が深いことが挙げられます。
水深4,500mを超えても溶けずに存在できるのは放散虫の殻だけです。
チャートの具体的な堆積速度は、「5m積もるのに100万年」とも言われています。
■チャートは普通に見られる岩石の中ではいちばん硬いと言われています。
「カッターの刃先をあてても傷がつかない」

~~奥日光;栃木県日光市~~
溶岩流によってできた天然の巨大ダム
火山がつくった山上の景勝地
奥日光の開けた風景は、男体山をはじめここを取り囲む火山からの溶岩流や火砕流によって、谷が埋められてできたものです、隣接する尾瀬ヶ原や上高地も、同じような成因でできた山上の景勝地です。

~~長瀞の変成岩;埼玉県長瀞町~~
地下で生まれ変わった岩石
岩石は、そのでき方によって大きく3つに分けることができます。
マグマが冷えてできた「火成岩」
水中で砂泥などが積もってできた「堆積岩」
そしてこれらの岩が熱か圧力によって別の組成に変化した「変成岩」です。
変成岩はさらに2つのタイプに分けられます。
マグマの高熱に直に接する「接触変成岩」と
地下の高圧・高温による「広域変成岩」です。

海洋プレートの上には移動中に降り積もったさまざまな堆積物がのっています。
その大半はプレートが海溝に沈み込む際に「付加体」となって地上に残りますが、一部はそのままプレートと一緒に地下まで引きずりこまれます。地下10~30kmあたりにとどまり、その重みで粒子の並び方や組成までもが変化していきます。
長瀞町の長瀞は、古くからこの変成岩の研究で有名なところで、「日本の地学発祥の地」と呼ばれています。ここで見られるのは「決勝片岩」と呼ばれる広域変成岩の一種です。
長瀞の風景は眺めるだけでもよいのですが、その複雑な模様から
「海溝⇒地中深く⇒地上」と変成岩がたどった長い道のりを思う楽しみ方もあるのです。
■虎岩・畳岩
「埼玉県立自然の博物館
「紅簾石片岩;こうれんせきへんがん」

~~三浦半島の三崎層;神奈川県横須賀市・三浦市~~
海から出たばかり 日本でいちばん新しい付加体です
地形の野外博物館として
1,200~400万年前に、今の相模トラフに相当する深海で堆積したこの地層は、フィリピン海プレートにのってやってきた伊豆の島々におされて列島に付加し、急激に隆起したと考えられています。
三崎層は、三浦半島の南端にある城ヶ島から油壺、荒崎、佐島にかけての西海岸沿いに広がっており、白と黒のメリハリのあるストライプ模様が印象的です。
白色の層は流紋岩質の火山灰がもとになったシルト岩で、
黒色の層は玄武岩溶岩の火山灰層(スコリア)の粒が集まってできた凝灰岩です。
■「火炎構造」

~~かんのん浜のポットホール;静岡県伊東市~~
ゴトゴトゴト・・・波が玉石を持ち上げて転がし、岩を削っている
甌穴のでき方を垣間見る
「ポットポール」を日本語にすると「甌穴」という地形用語になります。
■伊豆を代表する景勝地である城ヵ崎海岸は、4,000年前に大室山から流れ出た溶岩によってできました。海岸線には遊歩道が整備されており、流れた溶岩のしわや、溶岩が冷えた際に収縮してできた柱状節理の割れ目を観察することができます。

~~伊豆半島;静岡県西伊豆町~~
海底火山だったころの記憶
火山島の衝突でできた半島
列島を変形させる大衝突の様子が、地質図に現れているのです。
伊豆半島の始まりは、フィリピン海プレート上にできた小さな海底火山の集まりでした。
それが本州までやってきて衝突したのは200万年前のことです。しかし実際は、それ以前に3つの火山群がすでに衝突しています。
1つ目が櫛形山地に、2つ目は御坂山地に、そして3つ目は丹沢山地に姿を変えています。

伊豆諸島が本州に衝突したのは、日本海の開裂が終わった直後;1,500万年前です。このころは西日本と東日本のあいだには深さ6,000mの海峡があり、そこを狙ったかのように衝突しました。もしその位置がずれていたら、本州は西本州、東本州という2つの島のままだったかもしれません。

~~富士山宝永火口~~
富士山は「富士火山」でもある
なぜか富士山は粘り気の少ないサラサラの玄武岩質溶岩からできています。

~~横川の蛇石;長野県辰野町~~
渓谷に横たわるシマヘビ、その成り立ちは?
石英脈が描く縞模様の奇岩
粘板岩、閃緑岩、石英脈
石英脈とは、石英の成分が溶けた「熱水」が岩の割れ目などに注入し、沈殿してできたものです。地中深くでは、私たちが考える以上に大量の水が循環しており、地下の高圧下では、水は100℃でも沸騰せず、300℃を超えることもあります。
これを熱水と呼んでおり、石英以外にも、さまざまな鉱物の成分が溶け込んでいます。もし金の成分が含まれる熱水が沈殿したら金鉱脈になるのです。

~~槍・穂高連峰~~
山頂に立ち、6万年前に流れていた氷河の音を聞く
氷河が削った気高き峰々
山頂稜線の直下には、大小さまざまな大きさのカール;圏谷が並んでいます。
そこからあふれた氷河が合流し、谷をU字に削りながら流れていました。
またカールとカールが接する尾根は、両側から氷河に研磨されて刃のようなアレート;鎌尾根・ヤセ尾根になります。
殺生カール
本谷カール
キレットカール
■標高2,677mの蝶ヵ岳は、北アルプスのなかでは比較的安全に登れる入門の山です。
上高地はマイカー乗り入れが禁止されているので、沢渡か平湯の有料駐車場を利用する。

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