箴言18:12「人の心の高慢は破滅に先立ち・・・。」
今日は、スポルジョンの「夕ごとに」から御言葉をお贈りいたします。
「事の起こる前には、その予兆がある。」と昔からの格言を用いてスポルジョンは言っています。
本当に人間は、何でも誇るものです。
昔、銭湯に行っていた時、「子宮筋腫があるのよ。」とお湯につかりながら、ある方が言っていました。
現在では、3人に1人くらいあるわけですが、何センチの大きさかと、数人が話していました。
それを聞きながら、私が一番大きいと自慢に思ったものです。
お金持ちは、いかにリッチかと言うことを自慢し、貧しい育ちのタレントは、より自分の方が貧しかったと言うことを誇りにしながら番組が成り立っています。
何でも、人と比べることができるものですが、それは愚かなことだと聖書入っています。
心で思っていると、何かの拍子に口から出るものです
私も経験したことがありますが、ポロっと口から出た時、「あっ!まずい!」と思いましたが、神様はそれを聞いておられるのです。
そして、その後すぐに、仕事が無くなった時期がありました。
もちろん悔い改めましたが、それから回復するのには、痛い目を見たのです。
「誇る者は、主にあったほこりなさい。」「十字架以外を誇りとする物があってはならない。」とあるように、自分のことではなく神様の御技を誇りましょう。
1918年11月、日本である死亡記事が出ました。
それは、R.ゴードン・スミスと言うイギリス人の記事です。
「彼は、大英博物館の依頼で博物標本を採集するために20年以上前に極東におもむき、日本・朝鮮半島・台湾などを旅行しました。
世界各地の見聞体験も深い。もし、彼が日記をつけていたら、さぞ興味深い物となったであろう。」というものです。
ところで、ゴードン・スミスが死亡してから、財産は、娘たちに分けられますが、二世代のうちに売られてしまいました。
ゴードン・スミスは、海外に出ていた時期が多いので、親族ですら彼がなにをしていたのかも知らなかったし、そんな人がいたのかさえ忘れさられていました。
やがて、孫に当たる方が、その死亡記事と8冊の日記を発見したのです。
最後まで残った遺品の中に8冊の貴重な資料が残されていたわけです。
それは、日記とともに、二人の絵師に描かせた挿絵と、自分で撮った写真が入ったものでした。
誤字や、聞き覚えで書いた地名などの違いなどがたくさんあるそうですが、その一部が本となり、今私の手元にある「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」です。
面白いのは、上半身裸の海女たちに、悲しい音楽を聞かせた後の表情と、楽しい音楽を聞かせた後の表情を写真に撮っていることです。
モースやイザベラ・バードも日本の滞在記録を残し、それが今貴重な資料として役に立っています。ところで、クララの日記の中で、老婦人のイザベラ・バードが、日本に関する本を書くためしつこく、みんなに話を聞きたがるので、倦厭されていると言う部分が何回か出てきます。
明治時代、開かれたばかりの日本に思いを寄せて、やってきた外国人たちの日記や写真は、本当に貴重な財産です。