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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

イリエ・コロアマさん

2015年11月29日 | 歴史

昨日の感謝会の写真です。
昨夜は、夜の11時近くまで、原稿描きに追われました。
お腹が空いたので、8時半にインスタントラーメンを食べ、かりんとうまで食べてしまいました。
お腹がすくと、集中力が無くなりイライラして仕事ができなくなってしまいます。
それと運動不足が、肥満の原因だというのは百も承知ですが・・・・。
その後に、今日の成長クラスの準備でした。
今、使徒と預言者について学んでいるので、今日は、預言者のイリエ・コロアマさんのお話をするつもりです。
イリエ・コロアマさんのお母さんは、ユダヤ人でが、ルーマニアに住んでいました。
1932年に乳癌の末期になり、死の床で、神さまのいやしを体験しました。
みんなの見ている前で、癌がポトッと落ちて新しい乳房が現れたのです。
その時、4つの預言をしました。
日本が戦争に負け、急成長を遂げる。
終末のリバイバルは、日本から起きるなどです。
このことによって、村にリバイバルが起きました。
それから、8年後にイリエ・コロアマさんが生まれましたが、お父さんは、早くに亡くなったのでイリエさんが働いていました。
ある時、家に帰るとお母さんが、心臓麻痺で亡くなっていました。
人を呼びに行こうとした時、祈るようにと語られ、手を置いて祈ると蘇ったのです。
天国に行っていたけれど、このことを人々に話すようにと言われて生き返ったと言われました。
イリエさんが、羊飼いをしていると、天使が現れ「あなたは、子供の頃から神様に選ばれている。
多くの者たちの指導者になる。神の体験を伝える人になる。」と語ったのです。
キリスト教への迫害の中でイリエさんは、地下教会の指導者になりました。
ある時、教会で倒れたことがあり、この時に天国に行って来たお話を聞きました。
天国では、1分くらいだったのが、地上では3時間倒れていたそうです。
何度も、捕まり拷問も受けました。
33歳の時、神様が半年後に、ルーマニアを脱出すると言われました。
10月9日、同じことを示された2人の方々と、地上から少し浮いた2メートルくらいの光の柱に導かれ、厳しい国境の検問を突破して汽車に乗り国外脱出に成功したのです。
今は、アメリカにおられ、預言者としての働きをされています。
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王女マルゴ

2015年11月10日 | 歴史

昨夜、夜中にフランス映画「王女マルゴ」を見ました。
寝ようと思ったら、内容が、カトリックとプロテスタントのお話なので、ついつい4時まで見てしまいました。
フランス王の母が、プロテスタントのナバラ王アンリと娘の結婚式の時に集まったプロテスタントを大量虐殺した時のお話です。
フランス中で、1~3万人が殺されたそうです。
聖書に出てくるエステルのお話を思い出しました。
その時は、異教徒から、エステル王妃が、ユダヤ人を救ったのです。
1852年8月24日の聖バルテルミー(バーソロミュー)の虐殺のお話ですが、フランス語だったし、顔の見分けがつかなくて初めはよくわかりませんでした。
アンリとマルゴは離婚しましたが、後にアンリは、フランス国王アンリ4世になりました。
それまで、宗教戦争は続いたそうです。
ユグノーという言葉がたくさん出てきましたが、当時プロテスタントのことをユグノーと言ったそうです。
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客観的な

2015年11月09日 | 歴史

最近は、明治時代とビクトリア朝の資料に囲まれています。
どちらも、19世紀の同じ時代の日本とイギリスです。
この時代イギリスには、スポルジョンとジョージ・ミュラーがいました。
アメリカでは、ムーディーです。
そして、日本ではヘボン・バラ・新島襄・徳富蘇峰と徳冨蘆花の兄弟などが活躍しまし
蘇峰は、キリスト教から離れましたが、新島襄と最後まで良い関係でした。
蘆花も、キリスト教から離れた時期がありましたが、富士山で死にかけて信仰を取り戻しました。
でも、新島襄とは決裂したままでした。
NHKのドラマでは、徳富兄弟が、新島襄の最期を看取ったようになっていますが、これは脚色です。
新島襄は、勝海舟からお金を借りて同志社を大学にしました。
徳富兄弟は、クララたちホイットニー家と同じように勝家の敷地の中に家を借りていました。
面白いですね。
ところで、現在生きている方を漫画にするには、難しいです。
ある程度、亡くなってから、客観的な評価が必要だからです。
写真は、昨夜の新宿のホテル街です。
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スポルジョンのおじいさん

2015年09月24日 | 歴史

チャールズ・スポルジョンのおじいさんは、52年間村人に愛された牧師でした。
若い頃、林の中にある樫の木の下で、いつも祈っていました。
遠出をする前の日の夜、夢の中にサタンが出てきて、その林の中には、別の道があるのでそちらに行くようにと言いました。
いつもの樫の木の下で、祈ったら、八つ裂きにしてやるというものでした。
目が覚めて、その日はその林の横を通って出かけました。
次の日、林の中に入っていくと、道が二つに別れているところにきました。
いつもの方に行こうとすると、夢で言われたようにサタンに八つ裂きにされるのだろうかという思いがやってきました。
しかし、彼は恐れないで、いつもの樫の木の下にやってきましたが、サタンは出てきませんでした。
それで、おじいさんは、サタンに騙されないと宣言して、そこで祈り感謝して賛美しました。
非常に深い神様との交わりがそこで持たれました。
その奥に進んでいくと、足元に光るものが落ちていました。
それは、なんと金の指輪でした。
おじいさんは、近隣の人々に聞いて回りましたが、誰も落とし主はいませんでした。
やがて、その指輪はおじいさんのものになり、数年後、結婚した時に奥さんの指輪になったのです。
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ヤン・フス

2015年07月25日 | 歴史

ボヘミア出身のヤン・フスの処刑のイラストです。
1415年7月6日になっていますが、私の洗礼記念日と一緒です。
フスは、教皇が教会の頭ではなく、キリストが頭であるなどを宣言したために焚刑が言い渡されました。
処刑の直前に、皇帝から使者が来て、自説を取り除くなら助命するといいましたが、「福音の真理において、私は喜んで死にましょう。」と言った。
「汝生ける神の子キリストよ、我を憐れみたまえ!」と歌いつつ天に召されて行ったそうです。
40代半ばでした。
その流れは、モラヴィア兄弟団とつながっているそうです。
写真は、キリスト教史からでした。
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