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まこねこまどかブログ

マンガ家まこねこの気ままな日記

アズサリバイバル

2016年02月27日 | 歴史

1900年、パーハム牧師は、自分に力がないことを感じ、学生たちを集めて共同生活をしながら、聖書の研究をしました。
そして、聖書の使徒の働きの中で、イエス様が天に帰られてから、弟子たちが聖霊のバプテスマを受けた後、霊的な言葉である異言で語ったことに気がついたのです。
そして、大晦日にみんなで按手して祈ると、全員が聖霊の最初の満たしである聖霊のバプテスマを受けました。
その後、異言やいやしの働きが起きてきたのです。
しかし、彼らは、新聞や雑誌で叩かれ、バラバラになってしまいました。
パーハムは、温泉のある保養所に行き、そこでいやしの祈りをしたのです。
3カ月の間にたくさんの人々が、いやされました。
その中で、最初にいやされた女性の住んでいるところで、集会をして、多くの方々が救われたのです。
引き止められましたが、パーハムは学校に重荷があったので、ヒューストンに行き、そこでベテル・バイブル・カレッジを作りました。
そこに、1905年、黒人で片方の目が見えないシーモアがやってきました。
資料を見たら、黒人だというので、窓の外で、授業を聞かせたそうです。
それが、残念ですね。
翌年の1906年、シーモアは、カルフォリニアにやってきました。
ある教会で、メッセージをしたら追い出されてしまいました。
しかし、教会員の黒人の夫婦が、自宅を開放してくれたのです。
それが、ボニーブレアーハウスです。
今は再建されていますが、当時は、かなりぼろ家だったそうですが、写真を見ると大きなりっぱな家に見えます。
そこで、みんなが聖霊のバプテスマを受けました。
人々が押しかけ、家に入れないので、シーモアは、ベランダに立って外にいる人々に語ったそうです。
ある時、「主をほめよ!」と叫んだら、床が抜けたので、別の集会場所を探しました。
それが、今のリトル東京の中にあるアズサストリートです。
当時は、墓石屋とか馬小屋があったそうです。
その中の馬小屋で、火事で半分焼け残ったところを改築して教会にしました。
そして、アズサリバイバルが、3年半起きたのです。
写真は、3月のいやしの集いのミニライブに出場するシャロームです。
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杉原千畝の信仰

2016年01月31日 | 歴史

ある方の論文で、杉原千畝は、若い頃16歳のロシア人の女性と結婚していたと書いています。
その方が、ロシア系ユダヤ人の可能性があり、ロシア正教で結婚式を挙げています。
そして、杉原も信仰を持ち洗礼を受けています。
彼女から、杉原にロシアの情報が漏れているにではないかという疑いをかけられたこともあったそうです。
その後離婚し、再婚した奥さんもクリスチャンでした。
奥さんは、夫は、教会にはいかなかったけれど、信仰を持っていたと言っています。
森有礼の、再婚した奥さんは、岩倉具視の娘ですが、クリスチャンでした。
息子の明は、牧師になりましたが、喘息で若死にしています。
森の奥さんも、夫は、教会にはいかなかったが、信仰を持っていたと言っています。
時代や立場上、教会に行くのが難しいかったと思いますが、両方とも教会につながって欲しかったですね。
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福沢諭吉は!

2015年12月31日 | 歴史

普段見たことがありませんでしたが、「あさが来た」のダイジェスト番を少し見ました。
今連載中の「海を越えて」と同じ時代です。
その中で、福沢諭吉が出てきますが、なんと武田鉄矢さんでした。
福沢諭吉は173㎝の長身で、当時としては目立って背が高い方ですが、武田さんは背が低いので、ピンときませんでした。
当時の写真がありますが、福沢の隣にいる日本人が子供のように見えます。
坂本龍馬は、174~180㎝だと言われています。
169㎝だという方もいるそうですが、勝海舟は153とか150や158㎝と言われています。
二人が相撲を取った時、龍馬に持ち上げられて、勝が足をバタバタさせたというエピソードがあります。木に止まった蝉のようだという人もいました。
そんなことを思い出しました。
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木の下で祈る

2015年12月22日 | 歴史

明治時代、横浜の大きな木の下で、宣教師バラは日本人の救いのために祈っていました。
スポルジョンのおじいさんも、若い頃、樫の木の下で子や孫が神様に聞き従う者になるように、祈っていました。
木の下で祈るというのも、いいものですね。
夏は木陰になるし、雨や雪も防ぐことができます。
バラは、横浜の海岸教会の牧師になり、多くの日本人の救いのために働きました。
スポルジョンのおじいさんの子孫は、牧師や牧師夫人になり、孫は19世紀で一番の大きな教会の牧師になりました。
祈りは、聞かれるのです。
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スポルジョンと杉原千畝

2015年12月05日 | 歴史

イギリスで買ってきた資料のDVDを見ました。
前にも見ましたが、肝心なすぽるジョンの子供の時、ある伝道者から預言的なことを語られますが、そこは全く出てきませんでした。
ところで、今日「杉原千畝」さんの映画の封切りです。
何冊かうちに本があります。
また、TVドラマで見たことがあります。
6000人のユダヤ人にビザを発給した杉原さんが、悩んでいる時、奥さんにこんな神様からの語りかけがありました。
「町のかどで、飢えて息も絶えようとする幼な子の命のために、主にむかって両手をあげよ。」エレミヤ哀歌2:19
そこで、「杉原は自分の将来はどうなっても構わない。」と言って、決断したとどこかに書いてありました。
多分、そこは出てこないでしょう。
でも、良い映画だと思います。
写真は、19世紀最大の説教者スポルジョンです。
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