素敵な私になるために

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リュックもバス代払っているの?

2010年06月08日 | 日記
普段移動は私鉄か地下鉄ばかりでバスに乗ることの少ない私ですが、今日はたまたま夜の帰宅にバスに乗りました。

劇場がはねた後なので10時近いと云うのに結構な人が乗り込んできました。

私は先頭の方に並んでいたので、バスの奥へ席を取ったのですが、その際、入口の近くの席に二人掛けのところへ自分とリュックサックを置いて座っている若者がいました。

どうするかなと気になって見ていたのですが、立つ人が目の前に現れても、大勢の人がドンドン後ろへ来ても、そのリュックの席を空けようとはしなかったのです。

私は誰か「すいませんけど」と言わないかなぁ~と見守っておりました。

しかし、誰も何とも言わないのです。

明らかにリュックを膝に乗せればもう一人座れるのに・・・・。

なんだか段々と腹が立ってきて、私がその席の前にいたら、「すいませんけど」と言ってどけてもらって座るのに、もし相手が無視したら、「そのリュックは乗車賃を一人分払っているのですか?」と言うのにと。

でも最近は、何か言うと逆ギレされて、殺されてしまう事件も多いので、だからみんな心では思っても何も言わないのかなぁと、納得もしてしまうのがちょっと寂しくもありました。

どうしてああいう人間になるのかしら・・・。
そんな若者を作り出しているのも、私たち大人の責任なのですよね。 

自分の周りの人と関われないのは本当に寂しいことですね。

普段なら、「相手にも相手なりの理由があるでしょう」と怒れる自分を抑えるのですが、今日は「相手の理由」などお構いなしに腹が立っていた私でした。  

あ~せっかく良い音楽を聴いて来たのに・・・。   


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2 コメント

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今、再びの「道徳」 (エルム)
2010-06-08 23:16:55
 せっかくのイイ気分♪が台無しになって
ガッカリでしたね~

 いやいや・・ご意見は、ごもっともです。
しかしね~若い人ばかりが問題ではない様
ですよ。

 先日地下鉄で、座席に座りかけた中高年の
男性がサッ!と立ち上がって、杖をついた
老紳士に席を譲った場面を見ました。

 ところが、その老紳士「ありがとう」も
云わずに当然の如く悠然と座って、すまして
いました。

 自分本位な風潮は、今や老若男女・・
所謂、明らかに日本国のモラルが低下して
いるという事です。

 稲盛先生が仰っていますね。

『哲学という根っこをしっかりと張らなければ
人格という木の幹を太く、まっすぐに成長
させることが出来ない。』と。

『哲学』と云っても何も難しいことで無しに
「人間として正しいことかどうか」という
親から子へと語り継がれてきた様な
シンプルでプリミティブな教え…道徳…
なのだと・・・。

 我が国には道徳が思想教育として誤って
使われたという苦い経験があり、戦後
次第に影を潜めてしまいましたが、
生活の中から育んだ、日常を律する基本的な
思想を、今再び復活させて欲しい!と
切に願っています。
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いますねぇ~そういう方! (mahlersymphony8)
2010-06-09 00:50:24
仰るとおりです!

人より歳を刻んできたのに、な~んにも分かっちゃいないのね、あなた!と思うようなご老人もいますよねぇ。

今までの常識が常識では通用しなくなっている昨今。本当に憂うることです。

稲盛さんのまじめな生き方、私も好きです。

ちょっと周りの人の事を思えれば、世の中ずっと住みやすくなるのにね。

せめて私たちからでも・・・。
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