みなさまに支えられて、私達6名は無事に名取市ゆりあげ朝市で絵本の配布をして参りました。
同じボランティアでも私たちは実際に津波の来ていない場所で、フリーマーケットのようにお店を出して、必要とされている物を配るのですから、申し訳の無いくらい楽なものでした。
現場を掃除されているボランティアの方々に比べたら、リアリティーが違うかもしれません。
しかしながら、私が感じたのは、同じ被災地でも、津波の来た所と来なかった所の歴然とした格差。今度の被災は地震で無く、津波だったんだと深く思い知らされました。
降り立った仙台駅、市は連休もあって賑わっておりました。どこを見てもきれいで、地震があって被害を受けたとは思えないほどでした。
名取市も津波に襲われなかった所は、まだ綺麗で整然としていました。でもひとたび、津波の来た場所まで来ると、そこは何も無く、田圃にはゴミが残っており、海の砂浜のように砂があり、磯の香りがして・・・。
海から2キロも離れた閖上(ゆりあげ)小学校からは海が見えません。 しかし波はここまでも来ていて、泥の被ったランドセル、泥でメチャクチャになった1階の運動具置き場(?)がそのままでした。まだここまではボランティアの掃除も回って来ていないのですね。
津波は船をここまでも運んでいました。
ゆりあげ小学校に置かれていた壊れた車は津波の威力を感じさせました。
本当に真っ平らなゆりあげ地区は10地域のうち、8地域が津波で家を流されたそうです。
友人のお陰で、許可書が無いと入れない海の近くまで連れて行ってもらいました。
「ここは、びっしり家があったのよ」と叫ぶように云う友人ですが、ただの平地と化した場所を初めて見る私には想像が出来ない事でした。それほどに何も、何もないのです。
少し残された家の上には壊れたバスが乗っかっておりました。
小学校の体育館には集められた写真が所狭しと並んでおりました。
友人の友人はご主人を3年前に亡くされ、遺骨はお寺さんに預けてあったそうです。でも今回、お寺さんも流され、お墓に入れるものが無くなってしまったので、せめて写真でもあればと、ここにきて一緒に探そうとしたけれど、これではあまりも・・・。無理だと諦めたと言っておりました。
同じテントで一緒に手伝っていた方々は皆災害に合われた人でした。一人はお家は大丈夫だったと、一人はすべて流されたと。
避難所の名取市文化会館にも読み聞かせで中へ入れて頂けました。 段ボールで囲まれた部屋部屋を見て、もうすぐ2カ月、疲れるだろうなぁと悲しくなりました。
その中にも家族を亡くされてまだ見つからない方もいるのです。
これが被災地の人々の抱えている現実なんだと思う時、賑やかな仙台市の町の様子とのギャップに何とも言えない思いになるのでした。
私たちのやっていることなんて、どれほどの役にたつのだろうと、悲しくなりました。
所詮、東京に帰れば普通の生活に戻れる私たちに、被災地の人の心の痛みがどれだけ分かるのだろうかと。
現地の人はそれでも明るく頑張っています。
一日も早く家族が見つかります様に。 一日も早く元の生活に戻れます様に。
心から復興を祈ります。
無事に戻られたこと、
なによりです。
生の情報、ありがとうございます。
行かなければわからない、伝わらないこと、
たくさんあるのでしょうね。
心身共にお疲れだと思います。
ゆっくりしてくださいね。
本当にありがとうございました。
本当に行かなければ分からないことが沢山あります。行ってこれた事はみんなのパワーが後押しして下さったからだと思います。感謝です。
少しでも共有できるように発信して行きたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。