村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

自身と社員を磨く(18)

2006年12月30日 | Weblog
人というのは不思議なものだ、と道昌は思う。苦労が人を造るという。若い時の苦労は買ってでも経験しろといわれる。

しかし、艱難辛苦がすべての人をよい方向に導くとは限らない。同じような艱難辛苦が、人によってはゆがんだ性根形成の因ともなり、あるいは人格豊かな人造りの基にもなる。

道昌が傾倒する佐藤忠良は、まさに人生の苦労を肥しとして魅力的な人格を築きあげてきた人、と道昌は見る。

忠良六歳の時父を亡くし、十三歳で札幌第二中学校入学のために母と別居。十九歳の時歯科医の書生に。二十八歳で結婚、三十二歳の時に兵役に召集され満洲へ。敗戦後シベリアで抑留生活、日本に帰還したのは三十六歳の時であった。

決して恵まれた人生を歩んできたとはいえない忠良ではあったが、道昌と会う時の忠良は大家のおごり、苦労のカゲを決して見せることのない、時には少年のようなはにかみをもって接する清温の人であった。

その佐藤忠良のみならず、道昌は村内美術館の運営を通じて多くの美術関係者と接し、国内外でその道にすぐれた人々の交流関係をつくりあげてきた。

そうした道昌を知る人であればあるほど、村内ファニチャーアクセス後継体制は万全と見ても、村内美術館は道昌あってのもの、と見る。

作品を審美する眼、作品を創る人との心の交流、よい作品を一人でも多くの人に見てもらいたいという社会奉仕にも似た事業への打ち込み姿勢--それらのいずれもが、経営のマニュアルやソフトでは括ることができない別種の世界にあるからだ。