久しぶりにNEET関連のネタです。
昨年四月に文部科学省、厚生労働省、経済産業省及び内閣府の関係4府省と関係4大臣によって発足された「若者自立・挑戦戦略会議」というものがあります。現在では内閣官房長官、文部科学大臣、厚生労働大臣、経済産業大臣、経済財政政策担当大臣の五閣僚が参加しているのですが、その「若者自立・挑戦戦略会議」が今月24日に具体的な行動計画案をまとめ、05年度政府予算案に、今年度の約3割増にあたる計679億円を計上したそうです。
その具体的な計画案ですが、以下のようになっています。
(1)中学生を中心に年5日間以上、保育所や商店などで実際に働く職場体験を05年度は全都道府県に広げる。
(2)若年無業者を集団生活させ、生活訓練や職業体験をさせる「若者自立塾」を全国約20カ所で実施。
(3)職場の教育訓練費を増額させた企業に対して、法人税額を一部控除する措置をとる。
さて、(1)の職場体験ですが、昔は自営業の家が多く、子供たちも学校が終わると家の手伝いなどで店番や行商などに出かけたりしたものでした。そうした自営業者の集まりである商店街を破壊し、子供たちの職業体験の場を奪っていったのは大資本による百貨店などの大型量販店の進出です。こうした大型量販店の規模拡大と地方進出は「開発」、「発展」の名目の下に税制優遇などの処置を通して国が後押しをして進めて来た事業ということができるでしょう。つまり今までは国が金を出して一生懸命子供たちの職業体験の場を奪ってきたわけですが、今度はまた国が金を出して子供たちの職業体験の場を創出しようというのだか、歴史の皮肉を感じずに入られません。昔の日本では、わざわざそういう場を用意しなくても、日常生活の中で十分職業体験ができたいたわけですから。
(2)の「若者自立塾」というのも、ネーミングからして、なんだかなあという感じですが。だいたい若年無業者を集団生活させることになんの意味があるのかわかりません。昔、ある企業の新人研修で、山の中で集団生活させられたことがありますが、あんなに意味の無い経験はありませんでした。なにが悲しくて朝早くから社歌を合唱しなければいかんのか。なにが悲しくて社訓を一字一句暗記して大声で読み上げねばならんのか。そもそも集団で生活させられた意味はあるのか。いまだに理解できません。
特に、若者たちに集団を作らせず、ばらばらにしたのは日本政府及び政府の意向を受けた各大学の意思でしょう。60年代から70年代にかけての学生運動に恐れをなした時の政府とその御用学者どもで構成された教授会が、まず各学校の学生寮を廃止し、学生会館を学校の支配下に納め、学生の自治を奪っていった結果生まれてきたのが80年代、90年代の「無気力」学生です。東大駒場寮が寮生や一部学生の反対にもかかわらず、暴力的に破壊されたのも、つい最近のことです。無気力な学生や若者の増加は、有る意味で政府と教授会の勝利でしょう。それを今になってまた集団生活をさせようだなんて、あまりにも勝手なやり口ですね。われわれ若者もなめられたものです。
(3)に関しては、誰がどう見ても企業優遇政策の一環であり、NEET対策は単なる隠れ蓑だということは一目瞭然でしょう。だいたい、大卒でも正社員より派遣社員を採って経費削減をしようという風潮の中にあって、教育訓練費増額なんかできるのはそれなりの体力の有る大企業に限られます。そうした大企業はさまざまな優遇政策を受けられ、他企業と比べて有利な立場にあるわけですが、こうした税制上の不平等は結局もとから体力の有る大企業にのみ有利で、弱小企業はますます不利になっていくわけです。
結局、NEETが問題となるのは、現在の日本社会自体に問題の根があるわけで、そうした根本的なところを無視して小手先の改革だけで問題を解決しようとしても無理なのです。日常生活の中での若者の自立の機会を奪っておきながら、学校の中だけでさまざまな「体験」をさせようという考え方が間違っているのです。「若者自立・挑戦戦略会議」などと、いさましい名前をつけている割には、問題の根本を捉えることもできず、いい加減な「対策」でお茶を濁している。現代日本が抱える本当の問題は、若年無業者の増加などではなく、マクロな視野を持たずにいい加減な政策しか立てることのできないものどもが政治を牛耳っている現状のほうにあるような気がしてなりません。