NEETな日常

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水俣病公式確認50年

2006-04-30 02:55:10 | 時事寸評
公式確認50年 水俣病首相おわび 談話発表救済策は触れず (西日本新聞) - goo ニュース


1956年4月21日、原因不明の激しい脳症状を訴える5才の女児が新日本窒素肥料(株)(現チッソ(株))水俣工場附属病院で診療を受け、同月23日に入院しました。同年5月1日に、同工場附属病院長が水俣保健所に脳症状を呈する患者の発生を報告しました。それによって、この日が「水俣病公式発見の日」とされたそうです。
ところが、政府が水俣病を公害と認める見解を発表したのは、水俣病の公式発見から遅れること10年以上も後の1968年のことだったのです。

その間、1956年10月には、熊本大学医学部研究班が早くもチッソの工場廃水との関連性を疑い、翌1957年4月には水俣保健所の実験でによって、水俣湾産魚貝類の毒性が確認されたのにもかかわらず、その年の9月に厚生省は、「水俣湾の全魚貝類有毒化の根拠なし」、として魚貝類の販売禁止措置はできない、との回答を熊本県に与え、結果として水俣病の拡散を防止する責任を果たしませんでした。
1959(昭和34)年7月には熊本大学医学部研究班によって有機水銀説が報告されましたが、その年の11月には、厚生省で食品衛生調査会水俣食中毒部会が、「水俣湾産の魚貝類中の有機水銀が原因」と厚生大臣に答申、即日解散させられるという、あまりにもお粗末な醜態が演じられました。
1963年2月、熊本大学医学部研究班が、水俣病の原因はチッソ水俣工場アセトアルデヒド排水中のメチル水銀化合物を蓄積した水俣病の魚介類である、と正式発表しました。
そしてそのさらに五年後の1968年9月26日に、やっと政府は水俣病を公害病と認める見解を発表したのです。
しかも政府が水俣病を公害として認める数年前の1964年には、新潟県阿賀野川流域で、第二水俣病が起こっているのです。

なぜ、水俣病が公害であると認められるまでにこんなにも長い時間がかかったのか。
原因はいくつか考えられるでしょう。しかしその最大のものは日本国政府による大企業重視と国民軽視の姿勢にあると言っても過言ではないと思います。
加害者であるチッソは、その技術力と生産力が世界でも有数の大企業であり、まさに日本の高度経済成長を支える存在でした。
対して被害者は水俣湾で漁業に従事する、戦後の経済成長にはほとんど貢献しない人々ばかりです。
ここで「国家指導者」達が「国家の利益」と「国民の健康的な生活」を天秤にかけて、前者を守ることを選択した結果が、現在まで続く水俣病患者への仕打ちであり、また大に水俣病の発生を防げなかった(防がなかった)原因でしょう。
「国家の利益」のために「国民の生活」を犠牲にするやり方は、50年前から現在まで、少しも変わっていません。
今年の三月に山口県岩国市で基地移転の是非を問う住民投票が行われ、その結果9割以上が反対票を投じました。その結果にもかかわらず、小泉首相は「どこでも住民投票をすれば反対でしょうね、基地は」などと他人事のようにしれっと述べた上で、日米間で米軍再編の最終報告を取りまとめる方針については「変わりありません」と語るなど、岩国移転計画を変更する考えはまったくないようです。
これは住民がいくら反対しようとも、「国家」のためには必要な犠牲なのだから我慢せいという、あまりにも傲慢な姿勢であり、長期間水俣病を認めなかった50年前の日本政府とまったく同じ体質です。
優勢民営化をうったえていた時には、あれだけ「民意」を強調していた小泉首相ですが、基地問題になると一転「民意」などまったく省みない。こんなにわかりやすいダブル・スタンダードを許している我々は、一体なんなんでしょうね。
つい先日も、「古い自民党をぶっこわした」とか自画自賛していましたが、実はやってることは50年前と変わっていないこの事実。
小泉政治から「改革」を抜いたら、何にも残らないどころか、マイナスになってしまうと思いますが、結局スローガンと思い込みだけの「改革」なんか、なかったようなものですからね。

水俣病の発見から五十年。しかし、その解決には程遠い。
変えなくちゃいけないのは、政治なんかじゃなくて、我々一人一人の、ものの考え方なのだと思います。



資料一:水俣病公式確認50年に当たっての首相の談話

 水俣病の公式確認から50年という節目の年を迎え、これまでにお亡くなりになった多くの方々に謹んで哀悼の念をささげるとともに、被害者の方々をはじめご遺族、ご家族など関係者の方々の長きにわたる苦しみに心よりお見舞いを申し上げます。
 日本の高度経済成長の中で生じた水俣病問題は、深刻な健康被害をもたらしたばかりでなく、地域住民の皆さまに大きな犠牲を強いてきました。一昨年10月の最高裁判決において国の責任が認められましたが、長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて、政府としてその責任を痛感し、率直におわびを申し上げます。
 この50年の節目を機に、1995年の政治解決および今般の最高裁判決を踏まえ、このような悲劇を2度と繰り返さないために、水俣病の経験を内外に広く伝え続けるとともに、その教訓を生かし、環境を守り安心して暮らしていける社会を実現すべく、政府を挙げて取り組んでいく決意をここに表明いたします。


資料二:首相談話への反応

水俣病国家賠償訴訟原告団、中嶋武光副団長
「早期救済へ首相の決意を期待したが、大変失望している。政府はいまだに、被害者に目を向けていない」

水俣病互助会事務局、谷洋一さん
「通り一遍のあいさつ文に意味はない。認定問題や胎児性患者支援のシステムづくりなど未解決問題をどうするかが1番の課題なのに、深刻さが全く伝わってこない。企業に加担し続けた行政や政府が、今も被害者に向き合っていないことを明白にする談話だ」

水俣病被害者芦北の会、村上喜治会長
「行政や政府が至らないために今の混乱があるのだから、謝罪は当たり前。感慨はない。ただ、首相が言う被害者の中に未認定の私たちも含まれていると信じたい。これを機に、少しでも早い救済を願う」

水俣市の宮本勝彬市長
「首相談話が出たことは関係者のご努力の結果であり、ありがたい」、「被害者救済につながる具体的内容がほしかった。物足りない。今後の取り組みに期待したい」

熊本県の潮谷義子知事
「地元が要望していた首相の慰霊式出席はかなわなかったが、今回の談話で、政府として謝罪され、悲劇を2度と繰り返さないと誓った意義は大きい。地元にとって大きな励みになる。水俣病が1地域の問題ではなく、国全体の問題だという意識を共有できたと思う。公害の再発防止はもちろん、被害者の早期救済に、国としての主体的な取り組みを期待したい」


参考:水俣病



NPO法人「アイ・メンタルスクール」で入寮者の無職男性が死亡

2006-04-22 01:45:00 | NEET
引きこもり支援施設変死事件、現場検証…名古屋 (読売新聞) - goo ニュース


あるニートが殺されました。彼を「救う」はずだった人たちの手で。

事件がおきたのは名古屋市北区にあるNPO法人「アイ・メンタルスクール」の寮。死因は手足に受けた打撲による外傷性ショック。
報道によれば、殺された男性は時々暴れることがあり、時々拘束されていた、とのことですが、彼が「アイ・メンタルスクール」につれてこられたのが14日、そして死んだのはそのわずか4日後18日。たった四日間で外傷性ショックを起こして死亡するほどの傷を負わせられたのは、日常的な拘束が行われていたと考えるほかにはありません。

この殺人集団NPO法人「アイ・メンタルスクール」の代表者は杉浦昌子。
この人はテレビでたまにやっているひきこもり特集などにも出てくる人のようです。
私はテレビのひきこもり特集がとても嫌いです。見ていて、非常に気分が悪い。
普段は何もいえないのであろう父親が、いきなり怒鳴り散らして、乱暴に息子を部屋から引きずり出す。母親が号泣する。そして、アカの他人であるはずの、化粧の濃いおばさんがえらそうに説教する。ひきこもりの息子ではなく、その両親に。
家から出たがらない息子を無理やり、つまり暴力的に引きずり出して、化粧の濃いおばさんが「経営」する「更正施設」に送り込む。
この全過程は、ひきこもり本人の意思も人権も無視した犯罪行為です。それなのに、テレビではまるで善行を施しているように表現される。「みんな、彼自身のためなのです」なんて、たった一言のコメントで、犯罪行為が正当化され、それが公共の電波に乗って流される。信じがたいことですが、これが現代日本の真実です。
今回、殺人を犯した「アイ・メンタルスクール」は、外傷性ショックを起こすほどの傷を与えることになった拘束行為も殺された「彼自身のため」、と強弁するのでしょうか。

ひきこもりと呼ばれる青年達に対して行われてきた、「善意の」犯罪行為を黙認していた結果が、今回の殺人事件につながっているのだと断言できます。かれは、警察の怠慢、一般大衆の犯罪行為に対する不感症の犠牲になって死んだのだといえるでしょう。

さて、息子を殺された両親は、いまどういう気持ちでいるのでしょうね。
もしかしたら、厄介払いが出来た、と喜んでいるかもしれません。
NPO法人「アイ・メンタルスクール」は慈善事業ではありません。NPO法人といっても、ただでひきこもりの青年達をさらってくるわけではないのです。どうしても、お金がかかるのです。死んでしまえば、金はかからなくなるわけですがね。
家にいれば、死なずにすみ、殺人者杉浦昌子や、結果的に殺人集団に我が子を売り渡してしまった両親達が考えるところの「立ち直る」チャンスがあったかもしれない、一人の人間の未来を、殺人集団NPO法人「アイ・メンタルスクール」は、冷酷非常にも奪い取ってしまったのです。

とはいっても、この事件でNPO法人「アイ・メンタルスクール」が亡くなる可能性は低いですし、よしんばなくなったとしても、また同じような施設がすぐに作られることでしょう。いや、すでに同様の殺人集団予備軍は、日本全国どこにでもあるのが本当かもしれません。

ニートな私とにとって見れば、明日はわが身。「善意」の人々に命を奪われるのは、次は私かもしれないし、あなたかもしれない。
殺されたひきこもりの青年よ、安らかに眠りたまえ。たとえその死が、苦痛と恐怖と屈辱にまみれていたものだとしても。