小泉首相の靖国参拝から一日がたって、各方面でいろいろな反応がでてきましたね。
中国、韓国は当然のごとく政府レベルでの抗議を申し入れ、月末に予定されていた町村外相の訪中が取りやめになりました。
また、直接の関係があるかどうかはわかりませんが、歌手の谷村新司さんと中国山東省青島大学との交流会が中止になったという報道もありました。
政府内部では与党公明党が靖国参拝に対し「甚だ遺憾」とのコメントを出し、事前に相談も連絡もなかったことに強い不快感を示しています。
自民党内部でも河野洋平衆議院議長が首相の靖国参拝反対を表明していますが、「靖国を参拝する若手議員の会」とか、「みんなで靖国に参拝する国会議員の会」などというふざけた(としか思えない)ネーミングの会派に参加している議員、そしていわゆる「小泉チルドレン」達など、自民党はおおむね今回の参拝を評価。特に「ポスト小泉」と目されている三人は積極的肯定を行っていますね。
また、ある新聞社の世論調査では首相の靖国参拝を指示する意見が、参拝反対を数ポイント上回ったということです。
国内のblogを見ていても、靖国参拝支持派が多いように思えます。
日本国内にいる人たちは好き勝手なことを言っていればいいでしょう。首相が靖国を参拝しようがしまいが、痛くもかゆくもありません。
しかし、中国で商売をしたり生活している日本人にとっては、首相の靖国参拝は日常生活に多大な悪影響を与えることがはっきりしています。
北京や上海で大規模な抗日デモがおこったのは、つい最近のことです。
それなのに、日本国内閣総理大臣である小泉純一郎は、「一個人の信条」などという至極曖昧なもので、在外法人の生命財産を危険にさらしているのです。
日本国民の生命財産を守ること。これは、小泉純一郎が政治家である限り、絶対に守らねばならない基本的責務でしょう。しかし、この男は日本国民の生命財産を守るどころか、自らの行為によってわざわざ危険にさらしている。これは、絶対に許されざる国民への背信行為だと言わざるを得ません。
グローバル化の時代にあって、日本人は日本国内にだけ引きこもっているわけではありません。巨大な市場として急成長をとげている中国、韓国で働き、生活している日本人の数は、もはや少数ではありません。そうした在外邦人の利益を考えることなく、無邪気に「愛国」だの「内政干渉」だのと騒いでいる輩は、いまだに島国根性にとらわれている愚か者です。こうした「旧世界の遺物」みたいな古くさい島国根性を持った日本人が、生物的年齢が若い世代に多いという事実は、嘆かわしいとしかいいようがありません。
日本人の国際感覚の貧困さはよくいわれることですが、これは、他者の境遇に対する想像力の欠如と密接に関わっています。
海外旅行に行ったことがあるとかないとか、そんなことはあまり重要ではありません。相手の身になって考えてみる。そういうことができない人が増えている。それは、「キレやすい若者」や、「引っ越しおばさん」や「悪臭おじさん」のようなご近所のトラブルに端的に現れていると言えるでしょう。この問題を掘り下げていけば、きっと一冊の本がかけるでしょうが、今は指摘するだけにとどめておきます。
結論としては、小泉首相の行動原理、ある意味ではそれが彼の魅力になっているのだと思いますが、それは「俺が、俺が」という自我意識の強さであり、その支持者は、そうした首相の自分勝手な行動に「強いリーダーシップ」の幻想を見たり、自分を重ね合わせて独善的な自我に満足しているのではないでしょうか。
靖国参拝にしても、小泉首相は国内に向けても、国外に向けても何ら論理的説明をしたことはなく、「行きたいから、行く」、「心の問題」などと繰り返すのみです。これは、小泉首相にしてみれば「俺はやりたいことをやってるだけで、他人からとやかく言われる筋合いはない」ということなのだと思います。
さきの郵政改革法案否決にともなう解散劇でも、そうした首相の「俺様のじゃまをするやつは排除する」という行動原則がよく現れていました。もし、現在の日本の国会で健全な政治が行われていれば、こうした行き過ぎた「排除の論理」はある程度のブレーキがかけられるはずですが、それがそうはならない。しかも国民の方でも首相の暴走に乗っかって、逆にアクセルを踏み込んでいる。こうした状況は、現代日本の政治的貧困を証明しているとも言えます。
私たち日本国民は、近いうちにこうした無軌道政治の付けを支払わされることになるでしょう。それは、明治維新、昭和の敗戦に続く、第三の開国になるかもしれません。もう、島国日本にひきこもって好き勝手なことを言っていられる時代ではないのです。
そうなった場合に一番最初に犠牲になるのは、たぶん在外邦人、それも中国や韓国で生活する日本人になることは間違いないでしょう。
彼らのおかれている、あるいはこれからおかれるであろう状況を考えると、国内で好き勝手なことをほざいている恥知らずどもを憎まずにはいられません。
中国、韓国は当然のごとく政府レベルでの抗議を申し入れ、月末に予定されていた町村外相の訪中が取りやめになりました。
また、直接の関係があるかどうかはわかりませんが、歌手の谷村新司さんと中国山東省青島大学との交流会が中止になったという報道もありました。
政府内部では与党公明党が靖国参拝に対し「甚だ遺憾」とのコメントを出し、事前に相談も連絡もなかったことに強い不快感を示しています。
自民党内部でも河野洋平衆議院議長が首相の靖国参拝反対を表明していますが、「靖国を参拝する若手議員の会」とか、「みんなで靖国に参拝する国会議員の会」などというふざけた(としか思えない)ネーミングの会派に参加している議員、そしていわゆる「小泉チルドレン」達など、自民党はおおむね今回の参拝を評価。特に「ポスト小泉」と目されている三人は積極的肯定を行っていますね。
また、ある新聞社の世論調査では首相の靖国参拝を指示する意見が、参拝反対を数ポイント上回ったということです。
国内のblogを見ていても、靖国参拝支持派が多いように思えます。
日本国内にいる人たちは好き勝手なことを言っていればいいでしょう。首相が靖国を参拝しようがしまいが、痛くもかゆくもありません。
しかし、中国で商売をしたり生活している日本人にとっては、首相の靖国参拝は日常生活に多大な悪影響を与えることがはっきりしています。
北京や上海で大規模な抗日デモがおこったのは、つい最近のことです。
それなのに、日本国内閣総理大臣である小泉純一郎は、「一個人の信条」などという至極曖昧なもので、在外法人の生命財産を危険にさらしているのです。
日本国民の生命財産を守ること。これは、小泉純一郎が政治家である限り、絶対に守らねばならない基本的責務でしょう。しかし、この男は日本国民の生命財産を守るどころか、自らの行為によってわざわざ危険にさらしている。これは、絶対に許されざる国民への背信行為だと言わざるを得ません。
グローバル化の時代にあって、日本人は日本国内にだけ引きこもっているわけではありません。巨大な市場として急成長をとげている中国、韓国で働き、生活している日本人の数は、もはや少数ではありません。そうした在外邦人の利益を考えることなく、無邪気に「愛国」だの「内政干渉」だのと騒いでいる輩は、いまだに島国根性にとらわれている愚か者です。こうした「旧世界の遺物」みたいな古くさい島国根性を持った日本人が、生物的年齢が若い世代に多いという事実は、嘆かわしいとしかいいようがありません。
日本人の国際感覚の貧困さはよくいわれることですが、これは、他者の境遇に対する想像力の欠如と密接に関わっています。
海外旅行に行ったことがあるとかないとか、そんなことはあまり重要ではありません。相手の身になって考えてみる。そういうことができない人が増えている。それは、「キレやすい若者」や、「引っ越しおばさん」や「悪臭おじさん」のようなご近所のトラブルに端的に現れていると言えるでしょう。この問題を掘り下げていけば、きっと一冊の本がかけるでしょうが、今は指摘するだけにとどめておきます。
結論としては、小泉首相の行動原理、ある意味ではそれが彼の魅力になっているのだと思いますが、それは「俺が、俺が」という自我意識の強さであり、その支持者は、そうした首相の自分勝手な行動に「強いリーダーシップ」の幻想を見たり、自分を重ね合わせて独善的な自我に満足しているのではないでしょうか。
靖国参拝にしても、小泉首相は国内に向けても、国外に向けても何ら論理的説明をしたことはなく、「行きたいから、行く」、「心の問題」などと繰り返すのみです。これは、小泉首相にしてみれば「俺はやりたいことをやってるだけで、他人からとやかく言われる筋合いはない」ということなのだと思います。
さきの郵政改革法案否決にともなう解散劇でも、そうした首相の「俺様のじゃまをするやつは排除する」という行動原則がよく現れていました。もし、現在の日本の国会で健全な政治が行われていれば、こうした行き過ぎた「排除の論理」はある程度のブレーキがかけられるはずですが、それがそうはならない。しかも国民の方でも首相の暴走に乗っかって、逆にアクセルを踏み込んでいる。こうした状況は、現代日本の政治的貧困を証明しているとも言えます。
私たち日本国民は、近いうちにこうした無軌道政治の付けを支払わされることになるでしょう。それは、明治維新、昭和の敗戦に続く、第三の開国になるかもしれません。もう、島国日本にひきこもって好き勝手なことを言っていられる時代ではないのです。
そうなった場合に一番最初に犠牲になるのは、たぶん在外邦人、それも中国や韓国で生活する日本人になることは間違いないでしょう。
彼らのおかれている、あるいはこれからおかれるであろう状況を考えると、国内で好き勝手なことをほざいている恥知らずどもを憎まずにはいられません。