NEETな日常

<Not in Education,Employment or Training>

靖国参拝支持者における想像力の欠如について

2005-10-19 01:04:55 | 時事寸評
小泉首相の靖国参拝から一日がたって、各方面でいろいろな反応がでてきましたね。
中国、韓国は当然のごとく政府レベルでの抗議を申し入れ、月末に予定されていた町村外相の訪中が取りやめになりました。
また、直接の関係があるかどうかはわかりませんが、歌手の谷村新司さんと中国山東省青島大学との交流会が中止になったという報道もありました。

政府内部では与党公明党が靖国参拝に対し「甚だ遺憾」とのコメントを出し、事前に相談も連絡もなかったことに強い不快感を示しています。
自民党内部でも河野洋平衆議院議長が首相の靖国参拝反対を表明していますが、「靖国を参拝する若手議員の会」とか、「みんなで靖国に参拝する国会議員の会」などというふざけた(としか思えない)ネーミングの会派に参加している議員、そしていわゆる「小泉チルドレン」達など、自民党はおおむね今回の参拝を評価。特に「ポスト小泉」と目されている三人は積極的肯定を行っていますね。
また、ある新聞社の世論調査では首相の靖国参拝を指示する意見が、参拝反対を数ポイント上回ったということです。
国内のblogを見ていても、靖国参拝支持派が多いように思えます。

日本国内にいる人たちは好き勝手なことを言っていればいいでしょう。首相が靖国を参拝しようがしまいが、痛くもかゆくもありません。
しかし、中国で商売をしたり生活している日本人にとっては、首相の靖国参拝は日常生活に多大な悪影響を与えることがはっきりしています。
北京や上海で大規模な抗日デモがおこったのは、つい最近のことです。
それなのに、日本国内閣総理大臣である小泉純一郎は、「一個人の信条」などという至極曖昧なもので、在外法人の生命財産を危険にさらしているのです。
日本国民の生命財産を守ること。これは、小泉純一郎が政治家である限り、絶対に守らねばならない基本的責務でしょう。しかし、この男は日本国民の生命財産を守るどころか、自らの行為によってわざわざ危険にさらしている。これは、絶対に許されざる国民への背信行為だと言わざるを得ません。
グローバル化の時代にあって、日本人は日本国内にだけ引きこもっているわけではありません。巨大な市場として急成長をとげている中国、韓国で働き、生活している日本人の数は、もはや少数ではありません。そうした在外邦人の利益を考えることなく、無邪気に「愛国」だの「内政干渉」だのと騒いでいる輩は、いまだに島国根性にとらわれている愚か者です。こうした「旧世界の遺物」みたいな古くさい島国根性を持った日本人が、生物的年齢が若い世代に多いという事実は、嘆かわしいとしかいいようがありません。
日本人の国際感覚の貧困さはよくいわれることですが、これは、他者の境遇に対する想像力の欠如と密接に関わっています。
海外旅行に行ったことがあるとかないとか、そんなことはあまり重要ではありません。相手の身になって考えてみる。そういうことができない人が増えている。それは、「キレやすい若者」や、「引っ越しおばさん」や「悪臭おじさん」のようなご近所のトラブルに端的に現れていると言えるでしょう。この問題を掘り下げていけば、きっと一冊の本がかけるでしょうが、今は指摘するだけにとどめておきます。

結論としては、小泉首相の行動原理、ある意味ではそれが彼の魅力になっているのだと思いますが、それは「俺が、俺が」という自我意識の強さであり、その支持者は、そうした首相の自分勝手な行動に「強いリーダーシップ」の幻想を見たり、自分を重ね合わせて独善的な自我に満足しているのではないでしょうか。
靖国参拝にしても、小泉首相は国内に向けても、国外に向けても何ら論理的説明をしたことはなく、「行きたいから、行く」、「心の問題」などと繰り返すのみです。これは、小泉首相にしてみれば「俺はやりたいことをやってるだけで、他人からとやかく言われる筋合いはない」ということなのだと思います。
さきの郵政改革法案否決にともなう解散劇でも、そうした首相の「俺様のじゃまをするやつは排除する」という行動原則がよく現れていました。もし、現在の日本の国会で健全な政治が行われていれば、こうした行き過ぎた「排除の論理」はある程度のブレーキがかけられるはずですが、それがそうはならない。しかも国民の方でも首相の暴走に乗っかって、逆にアクセルを踏み込んでいる。こうした状況は、現代日本の政治的貧困を証明しているとも言えます。

私たち日本国民は、近いうちにこうした無軌道政治の付けを支払わされることになるでしょう。それは、明治維新、昭和の敗戦に続く、第三の開国になるかもしれません。もう、島国日本にひきこもって好き勝手なことを言っていられる時代ではないのです。
そうなった場合に一番最初に犠牲になるのは、たぶん在外邦人、それも中国や韓国で生活する日本人になることは間違いないでしょう。
彼らのおかれている、あるいはこれからおかれるであろう状況を考えると、国内で好き勝手なことをほざいている恥知らずどもを憎まずにはいられません。

小泉首相、また靖国参拝

2005-10-17 14:34:19 | 時事寸評
今日、午前中の小泉首相による靖国参拝は、ほとんどすべての新聞やテレビなどで速報として流されていました。
毎回ここまで大きく取り上げられれば、普通の人であればこの行為が「私的なものだ」なんて言っていられないと思うのですが、変人宰相の小泉君は、そんなことはまったくおかまいなしのようです。
前々から思っていて、このblogでも何度か言ったことがあると思いますが、小泉君には政治的判断なんてものはないんでしょうね。あるのは自分の信念だけ。
信念の人、小泉純一郎。
こう書くと、なんだか小泉君がえらい人のように思えますが、リアル・ポリティクスの世界では「信念」だけじゃ通用しません。
大体、「公人」である政治家に「私的」な信念なんて、あると思っている方がおかしいし、そんな言動を許している国民やマスコミの方がおかしいんです。

せっかく中国側が態度を軟化させてきたこの時期に、なんでわざわざ波風を建てるようなことをするのか。そんなに中国や韓国が嫌いなんですかねえ。石原都知事みたいなわかりやすい差別主義者ならともかく、小泉君は、よくわかりません。

財界も、いま中国にそっぽ向かれたら、だいぶ苦しいと思うのですが、変人宰相の靖国参拝を止めるだけの力はなかったんですかね。日本の財界もなめられたものです。

ところで、小泉首相の靖国参拝を受けて、外務省が中国の在留邦人に注意喚起したそうです。
いま、中国大陸にどれほどの日本人が滞在しているのかわかりませんが、首相の自分勝手な「信念」に基づく「私的」な行動によって、国民が危険に晒されるなんて、まったく理不尽この上ないと思います。
首相自身は、自らの行為によって、無辜の国民が被害に逢う可能性があるということをどう考えているのでしょうか。

しかし、今回は前回とは違い、小泉君は本殿には上がらず、賽銭箱にゼニを放り込んで帰ってきたということですが、これは一応小泉君なりに配慮した結果なんでしょうね。その配慮がまったくなんの意味もないことに気がついていないのが悲しいところですが。
小泉君としては、「ボクがこんなに譲歩してるのに、なんでみんなわかってくれないんだよぉ!」という感じでしょうか。
そんなだだっ子の論理、わかるわきゃありませんし、わかってやる筋合いもありません。
小泉君も、もういい加減いい大人なんですから、自分の考えをちゃんと自分の言葉で説明できるようにならないといけません。
でも、小泉君の成長を待っていてくれるほど、現実は甘くないと思いますが。

ムチムチ、麻生くん

2005-10-16 03:20:14 | 雑記
麻生総務相「一民族の国はほかにない」九博開館式で発言

記事によれば、麻生総務相は15日、福岡県太宰府市の九州国立博物館であった開館記念式典の来賓祝辞で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と話したそうです。
まだこんなことを言ってるなんて、麻生君にも困ったものですねえ。
歴史に対する無知、無理解。そしてそのことに対してまったく反省しない。
まさに無知無恥ですな。
また、記事によれば、麻生総務相の事務所は麻生君の発言について「ヨーロッパなどは侵略や民族の移動で文化などが変わった。だが、日本は国家形成の中でそのような歴史がほとんどなかった、という趣旨だったと思う」とのコメントを出したそうですが、自分の言ってることがわかってるんでしょうかねえ。
日本の国家形成こそ外来文化の影響そのものでしょうが。
中国の西安で遣唐使の墓誌が見つかったと大騒ぎしていたのは、つい最近の話なのに、どういうつもりなんですかねぇ。
麻生君も無恥なら、その事務所はさらに輪をかけた無恥、無教養ですね。
だいだい、「一文化、一文明、一民族、一言語」なんていうのは、文化の貧困を自分から宣伝するようなものであって、威張っていえるようなことじゃないと思うんですが、麻生君はどういうつもりで言ってるんでしょうか。
今までの日本の文明は貧しく、薄弱だから、これからはアメリカンスタンダードでも一生懸命輸入します、という意思表示なんですかね。
せっかく九州国立博物館なんてものを建てたんですから、麻生君にもしっかりお勉強してもらいたいものです。
それにしても九州国立博物館の研究員の方々は、今回の麻生発言をどう思っているんでしょうね。
聞くところによると、九州国立博物館の職員になるためには200倍以上の難関を越えて入らねばならなかったそうですから、さぞ優秀な人材が集まったことでしょう。
今回の麻生君みたいな無恥、不見識な発言を繰り返させないように、研究活動にいそしんでほしいものです。

「煩悶記」に147万円

2005-10-15 19:35:35 | 文学
すべての真相は不可解とする遺書「巌頭之感(がんとうのかん)」を残し、日光・華厳の滝に投身自殺した一高生・藤村操(みさお)(1886~1903)が、実は生き延びて書いたとされる本「煩悶記(はんもんき)」が、28日から東京・神田の東京古書会館で開かれる「神田古本まつり」の即売展に出品される。藤村をかたった別人による偽書とみられるが、珍本中の珍本で、これまで1冊しか見つかっていない。当時の定価35銭に、今回は147万円の売値がつけられた。 (朝日新聞の記事より引用)

さて、この「煩悶記」の著者とされた藤村操とは、どういう人だったのでしょうか。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の藤村操の項には、以下のように説明されています。

藤村 操(ふじむら みさお、1886年 - 1903年5月22日)は華厳の滝で自殺した旧制一高の学生。

1903年5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に巌頭之感を書き残して自殺。厭世観によるエリート学生の死は社会に大きな影響を与え、後を追うものが続出した。華厳の滝がいまだ自殺の名所として知られるのは、彼の死ゆえである。
また、高等学校で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えた。漱石は自殺直前の授業中、予習をしていなかった藤村を叱っていた。この事件は漱石が後年、鬱病となった一因とも言われる。

この説明文に何点か補足を加えておくと、藤村操は『支那通史』などで有名な学者、那珂通世博士の甥でもありました。彼が「巌頭之感」を書き残したのはミズナラの木だったということです。また、彼の投身後の4年間に華厳滝で自殺を図ったのは計185人にものぼったとの統計もあります。なかでも、「女の藤村操」ともいわれた岡山県の私立山陽高等女学校2年生・松岡千代(16歳)の自殺は、教育界に大きな衝撃を与えたのでした。

明治の社会にこれほどの衝撃を与えた藤村操の投身自殺。
今、ここにその絶筆となった「巌頭之感」を全文掲載します。




巌 頭 之 感

 
  悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。
  ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ。
  萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
  我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
  既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の 不安あるなし。
  始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。


(「巌頭之感」はweb上でもいろいろな版本がみられますが、ここでは原文に最も忠実と思われる小さな資料室さん掲載のものを引用し、読みやすさを考慮して引用者が改行を適時改めた。)


日本語として非常に格調の高い文章です。これこそ文学といえます。
「巌頭之感」にくらべると、ここ数年のなんとか文学賞受賞作品など、何の価値もありません。文章としても未熟、内容に関しては未熟どころか無内容。そうした「文学」がよろこばれ、受け入れられるような社会を作ったのは、「文学者」の責任といわざるをえません。

日本の文学者団体のひとつである「日本ペンクラブ」が運営する「日本ペンクラブ電子文藝館」というサイトがあります。そこに、藤村操と、その「巌頭之感」、そしてそれに対する当時の文学者によるさまざまな反応が紹介されています。
そのなかで、私が一番興味を引かれたのは、最後に紹介されている魚住折蘆の文章です。ここにその部分を引用してみます。



 そして藤村自死後一年、再び学友魚住折蘆は「一高校友会雑誌」に「自殺論」を寄せ、或る意味で画期的な、彼覚了の「前に君国何かあらん、親と兄弟と朋友と何かあらん」の言句を吐き、国是国策である「君」でも「家」でもない、「自我」こそが世界の中心と言い切った。「明治」絶対専制国家へ放ついわば「自我」からの対決の宣明、新時代への変化の宣言であった。

「至誠の結論は天地の空白虚無を観じて自らこの世界を去つて一切と交渉を断つに至らしむ。この覚了なる、その前に君国何かあらん、親と兄弟と朋友と何かあらん。我れあに父母に乞ひて生れ来らんや、君国に誓ひて生れ来らんや。君国の恩は我等が無垢の児心に小学校教員が刻み込みたる迷信にあらずや。この迷信を脱却して自我本然(ほんねん)の純なる中心の声を聞かんがために要せし苦心はそも幾何(いくばく)なりけん。誰かなほ君父の空名を傭ひ来つて死の一念をひるがへさしめんとするや、人の尊厳はその自由にして外物の支配を受けざるにありと悟らずや。」

(「日本ペンクラブ電子文藝館 招待席・主権在民史料 藤村操」より引用)


いわゆる「愛国心」を憲法にもりこむとかもりこまないとかでやかましい昨今の日本ですが、藤村操と魚住折蘆の文章を読めば、「改憲論者」が行おうとしているのは、明治以前の日本への先祖がえりであることがよくわかります。
「国」や「家」などの旧時代からのしがらみから「自我」を開放するため、華厳の瀧から自由落下を行った明治の一日本人青年の存在を、現代に生きるわれわれはもっと正面から受け止めるべきではないでしょうか。


NEETの十戒

2005-10-09 20:20:37 | NEET
1. My life is likely to last ten to fifteen years. Any separation from you will
be painful for me. Remember that before you buy me.

私の日中活動時間は10~15時間くらいしかありません。
ほんのわずかな時間でも不可解な命令にしたがっているのは辛いのです。
私に何か命令する前にどうかそのことを考えて下さい。

2. Give me time to understand what you want of me.

「世間が私に望んでいること」を、私が理解できるようになるまで時間を与えてください。

3. Place your trust in me-it's crucial to mywell-being.

私を信頼して下さい...それだけで私は幸せなのです。

4. Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment. You have your work, your entertainment and your friends. I have only you.

私を長時間拘束したり、無理矢理外に引きずり出したりしないで下さい。
貴方には仕事や楽しみがありますし、友達だっているでしょう。
でも...私には自分だけしかいないのです。

5. Talk to me sometimes. Even if I don't understand your words, I understand your voice when its speaking to me.

時には私に話しかけて下さい たとえ貴方の言葉に従わなくても、言葉の意味は理解しています。

6. Be aware that however you treat me, I'll never forget it.

貴方がわたしをどのように扱ったか、わたしはそのことをけっして忘れません。

7. Remember before you hit me that I have teeth that could easily crush the bones of your hand but that I choose not to bite you.

私を嘲り罵る前に思い出して下さい。私には貴方の与える仕事をこなすための両腕がありますが、私は貴方のためには働かないと決めている事を。

8. Before you scold me for being uncooperative, obstinate or lazy, ask yourself if something might be bothering me. Perhaps I'm not getting the right food, or I've been out in the sun too long, or my heart is getting old and weak.

言うことをきかない、頑固だ、怠け者だとしかる前に私がそうなる原因が何かないかと、貴方自身に問いかけてみて下さい。
適切な報酬をあげなかったのでは?劣悪な条件で長時間労働させていたのかも?就職の機会が年をとるにつれて少なくなってはいないだろうか?

9. Take care of me when I get old; you, too, willgrow old.

私が年をとってもどうか世話をして下さい。仕事はしていなくても保険料や年金は徴収されているのです。

10. Go with me on difficult journeys. Never say, "I can't bear to watch it, or, "Let it happen in my absence." Everything is easier for me if you arethere. Remember, I love you.

どうか忘れないで下さい 私が人生をあきらめていないことを。



注:英語原文と日本語訳文は必ずしも一致していません。
元ネタ:犬の十戒

20005年10月15日改訂

いわゆる「のまネコ」問題に関するエイベックス社のコメント

2005-10-05 18:06:44 | ネット
最近、テレビのニュース番組などでも騒がれていますので、「のまネコ」問題については、皆さんもよくご存知の事と思います。
この問題については、いくつかまとめサイトがありますので、興味のあるかたはそちらをご覧ください。
のまネコ問題とは
エイベックスのまネコ問題まとめサイト
のまネコ問題Wiki

この件に関してエイベックス社から『いわゆる「のまネコ」問題についての当グループの考え方』というコメントが発表されたのですが、それを始めて目にした時、私はネット上の誰かがエイベックス社の名前をかたって書いた偽文書ではないかと疑いました。
まずリンク先のコメントの内容を見ていただければわかりますが、文章があまりにも幼稚です。これがまっとうな一企業が世間に対して公表するような文章だとは到底思えません。どこかの個人サイトに掲載されていたならばそれほど気にもならなかったでしょうが、これが売上高321億6400万円(2005年3月期)の巨大企業から提出された正式なコメントだというのですから、あきれてしまいます。
大学生や社会人の国語力の低下が叫ばれて久しいですが、エイベックス社のこのコメントを見ると、この問題の根深さに慄然とせずにはいられません。
社会人だの、一流企業の社員だのといっても、所詮はこの程度か、とNEETなわたしなどは思うわけです。

エイベックス社のふざけているとしか思えないコメントに対して、添削を行った人がいました。このコメントを書いた人、書かせた人、そしてこんなコメントをそのまま自社のホームページに掲載してしまった人はこの添削をよく見て、反省して欲しいと思います。

Windows35

2005-10-04 14:44:09 | ネット
残暑が厳しかったり厳しくなかったりする今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

このblogのブックマークでも紹介させていただいているがんばれ!!ゲイツ君ですが、10月3日の番外編におもしろいページが紹介されていました。
あまりにもすばらしいページだったので、ぜひみなさまにもご紹介させていただきたいと思います。
それは、NiftyのWindows35とうページです。このページを見て、わたしも立派なウインドウズユーザーになるべく、がんばろうと思いました。
とりあえず雑巾で拭くところからはじめようかと・・・。

「便利な世の中」は誰のため

2005-10-02 17:00:36 | 時事寸評
朝日新聞の記事から
スーパーの「無人レジ」富士通が開発・発売へ

富士通は3日から、レジを無人にする「セルフチェックアウトシステム」を小売店向けに発売する。買い物客自身が商品のバーコードを機械に読み取らせて精算し、その場で袋に詰める仕組みだ。料金支払いの時間が短縮されるため、同社は小売店と客の双方に利点があるとみている。
(中略)
無人レジ4台と店員専用機1台のセットで、価格は1500万円程度。これで年間500万円程度の人件費などのコストを削減できるという。 (記事一部引用)

買い物時間の短縮と人件費の削減で、良いことばかりのように見えますが、現在ス―パーなどでレジ内をしている人から見れば、職場が奪われる事になります。
自分にはンの落ち度もないのに、突然の戦力外通告。有無を言わさぬ解雇。
一方では雇用の創出が叫ばれ、もう一方では雇用の機会を奪うような「開発」が行われる。この矛盾を政府はどのように解決するつもりなのでしょうか。
政府や一部の「識者」は、」これも市場原理だから仕方がない」などといいそうですが、それはまったくの不見識と無責任をさらけ出しているにはかなりません。
なんでもかんでも「市場」に任せておけばいいというのならば、政府などいりません。衆参両議院あわせて500人以上もの無駄飯ぐらいを飼っておくような余裕は、今の日本にはありません。
私は、小泉自民党の主張する「小さな政府」に反対するものではありませんが、現実には「無能な政府」になっているだけなのではないかという気がします。

その一方で、こういう記事もあります。
閉店惜しみ置きレモン 小説「檸檬」ゆかりの京都・丸善

10日に閉店する書店「丸善」京都河原町店で、売り場の本の上にレモンを置いて立ち去る客が相次いでいる。作家梶井基次郎(1901~32)の短編小説「檸檬(れもん)」の主人公が京都の丸善の本の上に、近くの果物屋で買ったレモンを置いたのをまねて客がそっと置いていくらしい。(記事一部引用)

この記事から読み取れる事は、ある一つの企業は決して経営者だけのものではない、ということだと思います。
一つの業は、経営者や従業員だけでは成り立ちません。こきゃくがいて始めて一つの完全な企業と成りうるのです。
昔の店には「常連」といわれる客がついていて、それなりの発言力を持っていたものです。それが現在では企業は経営者の私物のように扱われ、顧客の意思などまったくすてて省みられないことのほうが多いのではないでしょうか。
たしかに現在は昔とは比べ物にならないほど企業の数や種類も増え、ある意味では選択の幅が広がったといえるのかもしれません。しかし、それは企業も顧客も不完全な形であらわれたり消えたりしているだけだと見れば、見られないこともないでしょう。
もしかしたら現代日本を覆っている漠然とした社会不安というのは、そうした企業と顧客の不完全な関係、不安定さを象徴しているのかもしれません。
企業と顧客の関係というのは、とりもなおさず「市場」のことです。われわれは、「市場に任せる」などと言う前に、この「市場」について、もう一度考え直してみる事が必要なのではないでしょうか。

二つの判決

2005-10-01 04:28:38 | 時事寸評
第一の判決
東京新聞
東京新聞記事からの引用
憲法の信教の自由に違反する小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、千葉県内の戦没者遺族や宗教者らが、国と首相に一人十万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が二十九日、東京高裁であった。浜野惺(しずか)裁判長は「首相としての公式参拝に当たらず、訴えは前提を欠く」と述べ、原告の訴えを退けた。憲法判断はしなかった。

第二の判決
東京新聞
朝日新聞
朝日新聞記事からの引用
01年から03年にかけての3度にわたる小泉純一郎首相の靖国神社参拝で精神的苦痛を受けたとして、台湾人116人を含む計188人が、国と小泉首相、靖国神社に1人あたり1万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日、大阪高裁であった。大谷正治裁判長は、参拝が首相の職務として行われたとしたうえで、「国内外の強い批判にもかかわらず、参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与えた」として、憲法の禁じる宗教的活動にあたると認めた。一方で、信教の自由などの権利が侵害されたとは言えないとして、原告らの控訴を棄却した。


小泉首相の靖国参拝について、短時日のうちに東京と大阪で正反対の憲法判断が下されたことは、非常におもしろいことだと思います。この結果に対して、首相周辺では「非常に暴論だ。する必要のない憲法判断をしている」とか、「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない」などの反応がおこなわれています。
あいもかわらず、「ぼく、悪いことしてないもん」という主張を繰り返すだけで、参拝が公的なものなのか私的なものなのかもあきらかにせず、「別に言う必要ないと思ったから」言わない、などという、小学生の言い訳のような発言を繰り返す首相の見苦しさには全くあきれるばかりです。
与党公明党幹事長からも「参拝は自粛すべきだ」とのコメントが出され、野党各党からも反対されているのに、参拝を強行するのは、いったいどのような政治的判断がなされた結果なのでしょうか。
だいたい、国内でもこれだけ意見が分かれている問題を軽率に「自己の信念」の一言で捨てて省みない態度は、一国の首相として、責任ある態度とはいえません。

政治的に無責任な首相を支持した無責任な民衆。日本が世界的に無責任な国だとみられていることを、国民はもっと知るべきでしょう。