NEETな日常

<Not in Education,Employment or Training>

現役ホームレスのblog

2005-06-30 12:03:14 | ネット
現役ホームレスの方が運営しているblogをみつけました。
ミッドナイト ホームレス ブルー Plus Oneさんです。
プロフィールによれば、管理人の武州無宿・健次郎さんは2001年12月から路上生活をはじめ、現在ではネットカフェからblogを更新しているという事でした。
健次郎さんのようにネットを使って発信しているホームレスの方を「ITホームレス」と呼び、欧米では結構存在するらしいですが、日本ではとても珍しいのではないかと思います。

健次郎さんはご自身がホームレスなので、ホームレスの視点から見たホームレス問題を取り扱っておられ、支援者などのボランティアや役人などとは異なる主張をされておられて、非常に興味深いです。
とくにホームレスを「失業系、不良系、退却系、厭世系」の4タイプにわけ、それぞれ考察を加えているのですが、これはそのままニートにも応用できるのではないかと思います。
小杉礼子さんもニートを4種類に類型化してますが、それよりも健次郎さんの分け方のほうが実情に合っているような気がします。以下に両者のタイプわけを挙げて比較してみましょう。


健次郎説
失業系
仕事あるいは住居(住民票)がないだけのジョブレス・ハウスレスタイプ。ほとんどはふつうのまじめな人だ。職業訓練が必要なケースも含め、基本的には仕事または住居(住民票)があれば社会復帰が可能なケース。仕事の斡旋および住居(住民票)の確保、必要に応じて職業訓練で対応する。野宿が長期化する場合、多かれ少なかれ不良化、または退却化すると思われる。

不良系
ある程度ホームレス生活に馴染んでしまい、開き直って社会的なモラルから逸脱しているタイプ。やんちゃで、酒、ギャンブルなどに溺れているケースも多く、昼間から酒を飲んで騒いでいたり、通行人をからかったりする者も目立つ。陽気で明るい者が多いがしたたかでズル賢く、ときに犯罪に手を染めることもあり、うかつに気の許せない相手でもある。大半は仲間同士でコミュニティを作っており、活動も精力的だ。矯正的な対応もやむを得ないだろう。

退却系
意欲と気力が減退している抑うつタイプ。職業的能力うんぬん以前に、自信喪失や不安、その他の主に心理的な問題のために意欲・気力が減退し、ゆえに社会復帰に向かって活動できないケース。ホームレス生活に於けるフラストレーション状況下での一時的な退却反応をはじめ、アパシー(退却神経症)やうつ病の可能性もある。治療的に対応。

厭世系
世の中に嫌気がさしちゃった世捨て人タイプ。いわゆる好きでホームレスをやっているケース。社会復帰する意思はない。「自由がいちばんだ」。基本は放っとけ対応だが、うつ病などの可能性があれば治療的な対応が必要。


小杉礼子説
ヤンキー型
反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ

ひきこもり型
社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ

立ちすくみ型
就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ

つまずき型
いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ


こうして比べてみると小杉説は分け方の基準があいまいで、ひきこもり型とたちすくみ型、つまずき型の違いは、どこで挫折したかだけであって、質的な違いは明確ではありません。それにたいして健次郎説は質的差異をよく捉えていると思います。
健次郎説に従えば、以前にご紹介した「ニートで暇すぎて頭にきたからネトラジやる」の名無しのニートさんは失業系、「働いたら負けかなと思ってる」のフレーズで一世を風靡したニート君は不良系といったところでしょうか。
就業意識のある人は厳密にはNEETにはふくまないようですが、日本語の「ニート」は、ゆるい失業者も含んでいると思います。そして、こうした失業系ニートが、時間がたてば不良系や退却系になっていくのも、そのとおりだと思います。
この他に、メディアでは取り上げられない退却系や厭世系のニートがいると思うのですが、それについては今後の考察に任せたいと思います。

ちなみに、四つのタイプの中で一番目立つのが不良系で、一般的にいう「ホームレス対策」は、この不良系を対象としているとのことです。ホームレスの中でもマイナーな退却系や厭世系には、ほとんど支援の手は伸びてこないのですが、実は早急に支援が必要なのはこの退却系と厭世系だという意見ですが、ここらへんもニート対策の問題点とよくにていると思います。
ニート問題でも、「ニート君」のような不良系ばかりがクローズアップされ、その対策も「若者自立塾」とか就職支援とか、なんだか偏ったものになってしまっています。

なんども言っていることですが、ニート問題を考える場合に、ニートだけを取り出して単独に対策を講じようとしてもまったくの無意味なのです。社会問題の一つとしてニート問題を取り扱う観点から出発しなければ、有効な対策が生まれるはずもありません。ホームレス問題についても同じことが言えるでしょう。
現代社会の抱える問題を考える場合、すべての物事はつながっているのだ、という認識をもたなければはじまらないでしょう。政策担当者に欠如しているのは、まさにこの認識なのです。各省庁各部門間に横の連携がないままに、ばらばらに「対策」が行われているのは時間の無駄、金の無駄、人材の無駄といわざるを得ません。

政府のとる対策が、往々にして的外れなものになってしまうのは、彼らが本物のホームレスやニートに向き合おうとせず、観念の中のホームレスやニートを相手にしているからというのも理由の一つだと思います。こうした状況を打破するためには、健次郎さんのようなITホームレスがネット上でどんどん発言していく事が必要なのではないかと思います。
その支援事業の一環として、ハローワークのパソコンからブログの開設とアップデートが行えるようにしたらよいと思うのですが、いかがでしょうか。

サマワで自衛隊の車列に爆発物攻撃 

2005-06-26 19:18:11 | イラク関連
今月23日、イラクのサマワで自衛隊の車列が爆発物による攻撃を受けました。
幸いにも、車体が少しへ込んだだけで、死傷者は出ませんでした。
小泉首相は、この件に関して、「自衛隊を狙った攻撃かどうかはわからないので、憶測だけでものを言わないで欲しい」と発言しました。
そもそも、あるかどうかもわからない「大量破壊兵器」や「生物兵器」など、憶測だらけの不確実な情報によって一方的に始められたイラク攻撃に真っ先に賛成を表明していた小泉首相が、「憶測でものを言わないで」などと、どの面下げてほざくのか。
ご都合主義で、首尾一貫しない「小泉発言」が、ここでも発揮されています。
ここまで自分の発言に無責任な、いい加減な人間が、一国の首相としておさまりかえっていられるのは、本当に不思議でなりません。いかに日本の国会議員制度がおかしなものであるか、現実が証明してくれていると言えるでしょう。

さらに、米軍がイラクへの自衛隊派遣を来年以降も続けるように要請していた事も明らかになりました。
「戦闘は終結」し、「解放」されたはずのイラクで、しかも選挙もおこなわ、暫定的とはいえ政府も存在する独立国家に、どのような理由があって他国の軍隊がかくも長期間にわたって駐留しなければならないのか。
現在、イラク国内で起こっているさまざまな暴力事件は、そのほとんどの標的が外国軍部隊です。騒動の主要な原因は外国軍部隊やその他「民間」の傭兵部隊にあるような気がしてなりません。
イラクからすべての外国軍部隊が撤退したら、イラクの状況は好転するように思えるのですが、どうでしょうか。

サマワでの事件は、攻撃者が自衛隊に対して手心を加えているような印象を受けました。
「おまえ達を攻撃する事など、いとも簡単だ。だが俺達はできればあんたたちを傷つけたくない。どうか居間のうちに帰ってくれ」というようなメッセージが込められているような気がしてなりません。
サマワに事務所を置くサドル師派の事務所では「自衛隊は占領軍の一員であり歓迎しない。しかい暴力によってこれを排除する考えは無い」という意味の声明を出しています。

これらもろもろを考え合わせると、どうもイラクではまだ日本に対する期待が残っているのではないかという気がしてきます。いまだに、西洋文明の侵略に抵抗して独立した、アジアの大国としての日本。中近東に広く見られた親日感情は、いまだに底を払っていないのではないでしょうか。
アメリカの尻にくっついて歩く忠犬日本というイメージが浸透しないうちに、アジアの希望としてのイメージを保ちつづけるには、いまが最後のチャンスかもしれません。
その第一歩として、日本政府は早急にサマワから自衛隊を撤退させ、イラク戦争に反対の立場を表明すべきです。


沖縄慰霊の日、そして日米安保条約自動延長の日

2005-06-23 16:59:33 | 時事寸評
60年前の今日、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁(まぶに)司令部で自決しました。これによって沖縄戦で日本軍の組織的な戦闘が終わった日と見なされ、現在沖縄県では戦争犠牲者を悼む「慰霊の日」と定められています。
(とはいえ、それでアメリカ軍による沖縄虐殺が終わったわけではなく、頼るべき組織を失った下級兵士や民間人の散発的な抵抗、いや、それはもはや抵抗と呼べるようなものではなく、逃げ場所もわからずにただおろおろしているだけの非西洋人を、アメリカ軍はまるでハエでも叩き潰すかのように殲滅していったのですが。)

沖縄は第二次大戦中に日本で唯一アメリカ軍の軍靴に蹂躙された記憶をもつ土地です。それは東京大空襲や、広島・長崎の原爆投下とはまた異なった凄惨な光景だったのではないかと思います。
また、51年の単独講和(サンフランシスコ講和条約)調印によって、日本が一応の「独立」を遂げた後も、沖縄はアメリカの直接統治下に置かれ、長い間本土との行き来にもパスポートが必要な状況下に置かれていました。
そのような歴史的背景のもと、現在でも在日米軍基地の90%近くが沖縄におかれたままになっています。沖縄は、「本土復帰」を果たした後にも、アメリカ軍の占領から完全に脱却したわけではないのです。そしてそれはただ沖縄だけの問題ではなく、日本がアメリカの支配から完全には独立していない事を示す紛れも無い事実でもあるのです。
日本がアメリカの殖民地、あるいは属国になりさがり、真の独立を奪われてしまったのは、日米安保条約の調印によるといっても過言ではないでしょう。

いわゆる日米安保条約には新旧二つの条約があり、旧安保条約は1952年(昭和27)4月28日に結ばれた条約で、正式名称は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」といいます。ちなみに、当時の首相は吉田茂。
そして、1960年(昭和35)6月23日、全国的に盛り上がった安保反対運動を完全に無視する形で調印されたのが、新安保こと「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」なのです。
この新安保を調印した首相は誰あろう、A級戦犯の岸信介です。第二次大戦中は「打ちてし止まむ、鬼畜米英」とか、「進め一億、火の玉だ」とかいって、多くの人を戦場に送り込んでいた張本人が、こんどはアメリカのお先棒を担いで日本の属国化に貢献しているわけですから、まさに歴史の皮肉というべきでしょうか。

第二次大戦後六十周年にあたる今年。沖縄や首都圏各地に点在する米軍基地はなくなるどころか「移転」という名の増設の動きまであります。それはたぶん現在行われているイラク戦争とかかわりの無いことではないと思います。
そして、現職の総理大臣である小泉首相のアメリカべったりの姿勢は、歴代首相の中でも異常なほどの追随ぶりです。
日ごろ戦没者への尊敬や感謝の念を口にしている小泉首相ですが、アメリカ軍人に蹂躙された土地の上に、アメリカ軍の基地を残しておいたまま平気でいるのは何故でしょう。
アメリカ軍に親兄弟を殺戮された人々の目の前で、アメリカ兵が大手を振るって歩いているのを容認しているのは何故でしょう。

わたしは、「沖縄慰霊の日」が、戦争犠牲者を悼むと同時に、日本の独立喪失を悼む記念日のような気がしてなりません。

東京都の地域生活移行支援事業

2005-06-22 12:00:10 | 都政関連
東京都と特別行政区(23区)は昨年4月から公園でテント生活をしているホームレスの人たち向けに、都営住宅や借り上げた民間アパートを低額(一ヶ月三千円)で貸し出す、いわゆる「ホームレス地域生活移行支援事業」を始めました。
対象とされるのは、代々木公園など区部の公園でテント生活をしている約2400人。入居期限は2年間だけで、就労相談も受け付けるとのことです。
都の宣伝ページはこちら

これだけ見ると悪くない話のように見えますが、なにせ東京都のやることですから油断はできません。
そもそも、この「地域生活移行支援事業」とは、いったい誰を支援するための事業なのでしょうか?それに関連して、石原東京都知事は以下のような発言をしておられます。


「若い女の人が(代々木公園で)体操のトレーニングとかできなくなった」
「坊主と何とかは三日やったらやめられない」


はい。これでよくわかりましたね。
「地域生活移行支援事業」とは、「若い女の人」が、公園で「体操のトレーニングとか」できるように支援する事業だったのです。さすがは石原都知事。子供の産めなくなったババァは有害無益でも、ババァになる前の若いねーちゃんならば都民の血税を6億円(初年度の事業予算。今年は二年目なので、実際は倍額くらいかもしれません)以上使っても支援するにやぶさかではないというわけですね。
で、「若い女の人」のじゃまになる「なんとか(「乞食」のことです。石原都知事の認識では、ホームレスは単なる乞食なんですね)」を公園から排除しようと言うのが本音のようです。
東京新聞の特報では、「将来の爆弾を抱えた片道切符」と評されています。

ホームレスの支援活動をされている☆ブログ版☆ 「東京ホームレス」 村上知奈美さん(2005年4月以前の日記はこちら)の日記では、ホームレスの人たちの都の事業に対する不安が書かれています。
排除の論理で始めた事業に、「地域生活移行支援」などという名前を臆面もなく付けるところに悪意を感じなくもありません。

ホームレスの問題については、引き続き取り上げていきます。
ニートやフリーターの問題とホームレスの問題は、切っても切れない関係にあると思いますので。

追記:アップした後にこんな記事を見つけました。
路上生活者:警視庁武蔵野署が指紋収集 顔写真も作成


イラクの特殊警備会社――イラク人から見た傭兵部隊

2005-06-20 14:04:10 | イラク関連
先月、イラクで米軍基地の警備業務中に武装勢力と交戦状態に入り、身柄の拘束が伝えら、その死亡が報じられた斎藤昭彦さん(44)。
自衛隊に二年間いて、退官時には精鋭部隊とされる第1空挺団所属。その後フランス外人部隊に勤務。21年間、中東やアフリカなどの戦場を転戦し、小隊長や外人部隊の面接官なども勤めていたそうです。そして昨年12月にイギリスのハート社のコンサルタントとしてイラクに入国していて、先月任務中に命を落としました。

このハート社ですが、新聞などでは「特殊警備会社」とよばれたり、「民間の警備会社」とも言われたりするのですが、実のところは傭兵集団で、軍隊がおおっぴらに活動できないところで裏方にまわって行動する集団だったようです。
日本の「ガードマン」とは資質も、活動内容もまったく違うもののようですね。それを「民間の警備会社」なんていうから、多くの誤解が生じるのだと思います。
昨年、ファルージャで殺害されて橋につるされたアメリカ人たちも、こうした特殊警備会社の社員で、元はアメリカの軍属だったという事ですが、日本のマスコミは「民間人」であると協調して報道していました。
この事件が、アメリカによるファルージャ虐殺の遠因となっているのは、ほぼ間違いないでしょうが、テロリストの摘発というよりも、軍隊による復讐の色が濃い事は、ファルージャの街の徹底した破壊ぶりを見ても明らかでしょう。

このいわゆる「特殊警備会社」ですが、イラクでは一体どのような活動をしているのか。日本の報道からはいまいち想像がつきません。
ところが、先日、イラクで発行されている新聞の記事を日本語に訳して紹介してくれているblogさまを発見しました。アラビア語に興味があります。さんです。
そこの5月14日のエントリに、「イラクの特殊警備会社」としてイラクの地方紙「アル・ナハダ」の記事を翻訳して紹介されています。

記事では、軍にも所属せず、政府機関でもない「特殊警備会社」が、無法な暴力機関としてイラクで機能している現実を暴き出しています。
特殊警備会社が起こした事件については、軍隊も政府機関もその責任を負わないので、事件に巻き込まれた被害者は泣き寝入りをしているという事です。
イラクの人々にとって、ある意味で軍隊よりも憎むべき存在かもしれません。

イラクに関する記事は、アラビア語に興味があります。さんのカテゴリの中の「イラク市民レポート」から全部読むことができます。

隠された真実 : 長崎レポート

2005-06-19 04:36:42 | 時事寸評
毎日新聞のスクープです。
長崎原爆:米記者のルポ原稿、60年ぶり発見 検閲で没収

記事によれば、「長崎市に原爆が投下された1945年8月9日の翌月、同市に外国人記者として初めて入り取材した米シカゴ・デーリー・ニューズ紙(廃刊)の故ジョージ・ウェラー記者の未公表の原稿と写真が60年ぶりに見つかった」とのことです。
原爆の惨禍を克明に伝えたこの記事は、GHQによって握りつぶされ、長い間日の目を見る事がありませんでした。それが戦後60年にあたる今年に、発見され、発表された事は、単なる偶然とは思えません。

記事の最後では、「核兵器の研究を進める米政府は、国民が放射能に恐怖心を持つことを避けたかった。放射能による健康被害を認め、広島や長崎にいた米捕虜、被爆地に派遣された米兵などへの補償法ができたのは85年だった。ウェラー記者の原稿が掲載されていれば、米国内で原爆使用を非難する世論が高まり、政府の核兵器開発に対するブレーキになった可能性もある」と書かれ、ウェラー記者のレポートが放射能の恐怖を伝えている面を強調しています。確かにそれはそのとおりで、長崎レポートの核をなす部分でしょう。しかし、わたしはレポートの別の部分に、もっと着目すべきでないかと考えます。
それはジョージ・ウェラー記者原稿(1)の最後の部分です。そこでは、こういわれています。


日本の複数の当局者は、米国の爆弾によって焼け野原となった地域は、伝統的にキリスト教カトリック信者の日本人が住んでいたと指摘した。

 しかし、こうした地域や、装甲板製造工場の隣に日本人が設置した連合軍捕虜収容所に被害を与えないことは、1016人の労働者の大部分が連合軍捕虜だった三菱の船体部品工場、また、隣接する1750人の従業員がいた砲架工場にも被害を与えないことになっただろう。浦上川の両岸にあり通常3400人が雇用され、あの日は2500人がいた3つの鉄の鋳物工場にも被害を与えないことになっただろう。さらに今は焼け野原となっている多くの下請け工場に被害を与えないことは、原爆が炸裂した場所にもっとも近く、7500人を雇用していた三菱の魚雷と弾薬の工場を手付かずに残すことを意味したであろう。



ここには、長崎への原爆投下の目標が、当時長崎にあった三菱の軍需工場、そして、その下請けを行っていた多くの町工場であった事が証言されています。
それは、戦争が軍隊同士のぶつかりあいですむものではなく、後方の非戦闘員をも標的とせざるをえない「総力戦」に入っていた事を明確に示しています。
長崎レポートのこの部分には、現代の「戦争」の性格が端的に表されているといえるでしょう。
直接、銃を持って戦場に立たなくとも、自分の手で誰かをを殺す事が無くても、戦争反対であろうがなんだろうが、個人の意思とは関係なく、戦争当事国の住民だというだけで、殺害されるリスクを負わされることになる。それが現代の「戦争」です。
現代の戦争では、武装した軍隊を正面から相手にするよりも、防御する手立てを持たない非戦闘員を虐殺していくのが最も効率的で、よくとられる手段です。
これは、朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタン蹂躙やイラク戦争などでアメリカが使ってきた常套手段です。
武装集団同士の小競り合いなど、一部でしか行われませんし、ほとんど大勢に影響は与えません。
戦争の大勢を決するのは、無差別大量破壊兵器による非戦闘員の虐殺が効率よく行われるかどうかにかかっています。

アメリカによるイラク侵略戦争に、日本の小泉首相は全世界のどの政府よりも早く支持を表明しました。
また、各国軍隊の撤退が続く中、日本の自衛隊は、いまだに何のようも無いのにサマワで砂漠のテント暮らしを続けています。
それだけで、我々日本国民の一人一人が、イラクやアラブの人々に「敵」であると認識され、レジスタンスの標的にされる条件は十分なのです。

非戦闘員が主要な標的とされる現代の戦争事情にあって、交戦権の放棄をうたった憲法九条は、身に寸鉄を帯びない私達のような非戦闘員にとっては最強の盾だと言う事ができるでしょう。
「戦争をしない」、「戦争に参加しない」という立場を明確にする事により、現代戦争の犠牲者になる事を防ぐ事ができるのです。
いくら強力な軍隊がいたところで、そんなものがなんの役に立つでしょう。
現代の戦争において、武装集団が役に立つのは、他人を侵略する場合だけであって、侵略される時には何の役にも立ちません。
その証拠に、世界最強の軍隊を持つはずのアメリカはニューヨークで起こった9.11事件を防ぐ事はできませんでした。
9.11事件の犠牲者の中には、きっとアメリカ政府によるアフガニスタン侵略やイスラム弾圧に反対の立場の人もいたことでしょう。
しかし、そのような個人の思想信条にかかわらず、彼らは崩れ落ちるビルと運命をともにせざるをえなかったのです。

このことからもわかるように、私達が生き残るためには、憲法九条の堅持と厳守が必要なのです。
改憲論者などは、口では勇ましい事を言っていますが、他人の命を危険にさらしてなんとも思わない、無責任な犯罪者です。

長崎レポートが伝えている真実。
それは、いかなる形であれ戦争に参加している人間は(たとえその戦争に反対していても)いつでも戦争の犠牲になる可能性があるということ。
そして現代戦争においては、身を守る手段をもたない非戦闘員ほど、犠牲になる確率が高いという事です。

小さな出来事

2005-06-17 19:24:37 | NEET
私が住んでるところはいわゆる集合住宅なのですが、このたび自治会の決定により各戸にケーブル回線をひくことになりました。
べつにケーブルテレビとか見たくないんで、加入する意思はもうとう無いのですが、集合住宅では各家庭の意志など関係なく、いっせいに配線工事をしなければならないというわけで、先週末に業者がやってきました。

やってきたのは作業着を着た長髪のにーちゃんと、短パンに縞模様のTシャツで髪の短い男の二人組み。実際に設置作業をするのは長髪にーちゃんのほうで、短パン男はケーブルテレビ加入の勧誘にきただけのようでした。
長髪にーちゃんは無口でたんたんと仕事をすすめていてくれていたのですが、短のパン男の方は一通り料金の説明とかしたあとは、長髪にーちゃんに内輪の話をふったりして、仕事してるにーちゃんは迷惑そうでした。
設置作業自体はそれほど時間がかからずにすんだのですが、部品の相性が悪いのか、なんだかうまく映像が映りません。
そこで、もう一度やり直しという事になったので、一度部品をとりに行くということになったのですが、ここで短パン男がいきなり、「次の家も待っているので、先にそちらへ回り、受け持ちの範囲がすんでからもう一度戻ってくる」というようなことを言い出しました。
その日は用事もあり、でかけなければならなかったので、そんなに待っていられないことをつたえると、短パン男は携帯でどこか(たぶん自分の上司)に電話をかけ、こちらの状況を説明。しかしその電話の内容が、わたしたちが目の前にいるにもかかわらず、

「なんかー、Kちゃん(長髪にーちゃん)がー、なんとか(部品名)の相性が悪いとかでー、うまくいかないんですよー。でー、こっちも時間の制限とかあるじゃないですかぁ。だからぁ、先に他の部屋にいってから戻ってくるって言ってるのにー、なんかぐちゃぐちゃうるさいんですよー。」

とか言ってるんです。おいおい、客を目の前にして「ぐちゃぐちゃうるさい」とは何事かと。
しかもこっちは頼んできてもらってるわけじゃないのに、業者にそんなこといわれる筋合いはねーよと。ちょっと頭に来て、短パン男に「あんたじゃ話にならないから、責任者とはなしをさせろ」と要求したところ、はじめはすげえいやそうになんかぐだぐだ言っていたのですが、最後はしぶしぶまた携帯でどっかに電話して、話をさせてくれるのかなぁ、と思っていたらいきなり携帯を切っていいやがりましたよ。


「話したくないって言ってます。」

・・・はい?
「話したくないって言ってます」?なにそれ?どゆこと?
あんた仕事できてるんでしょ?お友達が喧嘩して「おまえとは話したくないって言ってるよー」とかいうのとは全然状況が違うんですよ?
おまえみたいな下っ端じゃ現場を処理できないんだから、実際に仕事の指揮をとっている人間と話しをさせろといっているのに、返ってきた答えが「話したくないって言ってます」。
わたしは一瞬自分の耳を疑いましたよ。
なんでこんな子供の使い以下の応対しかできないやつが営業やってるの?
こんなやつらが「社会人」とかいって一人前の顔してる社会ってどうなのよ?
ニートやフリーターが増えて、失業率があがったというのは、労働力の「量」が減少してるってことで、たしかにそれも問題かもしれないけど、現場に出て「話したくないって言ってます」とかいう対応しかできないようなガキを営業に使うような、労働力の「質」の低下の方が、よっぽど問題じゃないのでしょうか。

結局、それまで黙ってみていた長髪にーちゃんが短パン男だけをとりあえず先に次の家に向かわせて、自分で部品を取りに行って来てくれて、家の工事は無事に済みました。最後に長髪にーちゃんがぼそりと「すんませんでした」と言ってくれたのを聞いて、こっちもなんだかすまない気分になってしまいました。

日本の企業は、合理化だのリストラだのといって、人件費を削るために正社員をどんどん解雇して、賃金の安いパートやアルバイト、派遣労働者を大量に雇っています。でも、それって仕事に対してプロ意識を持って臨む人をどんどん減らして、とりあえず適当にやっときゃいいやというプロ意識も責任感も無い人間をを大量に現場に送り出す事になってるんじゃないですかねえ。
日本製品の質の良さは現場に携わる人たちのプロ意識が支えてきたものなのではないかと思います。それはコストやノルマなどでは簡単に数字では計る事のできないものかもしれません。だからといって、目に見えないものをどんどん切り捨てていっては、いつかおおきなしっぺ返しを食らう事になるのではないでしょうか。
ここ数年頻発している三菱自動車のリーコール問題や日本航空の整備点検ミスなどは、こうした数字に表れない仕事を知り捨ててきた結果なのかもしれません。
これ以上大きな問題が起こる前に、労働の「質」の向上を、本気で考えるべきでしょう。
それは、労働の「量」の問題であるニートやフリーター、派遣などの問題とも密接にかかわってきます。


おおげさな「おままごと」

2005-06-11 14:59:43 | NEET
わたしが子どもの頃には、女の子がぬいぐるみや人形などを使っておままごとをしていたものです。わたしは男ですが、たまに混ぜてもらったりしていましたね。
泥の団子や砂の器、木の葉のお皿に木の枝の箸。
何故だか食卓の風景が多かったような気がしますが、家族が一堂に会するのが食卓だったということでしょうか。
とにかく、子供は教えなくても、みようみまねで大人の「生活」を体験していたものでした。
最近は、どうなんでしょう。
「おままごと」なんて、言葉自体が死語になってしまっているのではないでしょうか。

この「おままごと」の復権を意図したのかどうかはわかりませんが、東京都品川区立城南中学校に、架空の街で住宅ローンを組んだり食べものを買ったりし、生活設計について体験学習する「ファイナンス・パーク」なるものが作られたらしいです。
さすがに企業がらみとなると、子供の遊びとは違い、街ごとつくってしまう、かなり大規模なおままごとです。朝日新聞の記事によれば、

実際の空き教室を改装してブースをつくり、銀行やスーパー、不動産会社など本物の大手企業十数社が「出店」した。三井住友銀行の看板のロゴやカウンターは本物で、大和証券には株価の変動を示す電光掲示板が備え付けられている。中古車販売店には三菱自動車のパジェロミニの実物が展示してある。

ということですから、かなり本格的です。まあ、想像力が欠如した大人のやり方だと言えなくもありませんがね。
このおおがかりな「おままごと」の仕掛け人である区の教育委員会は、この「おままごと」の狙いをこう説明しています。

ニートやフリーターが増える中、生活費のやりくりなどを中学生に具体的に学ばせる試みだ。「親の苦労を現実的に知ることができるし、親元を離れて社会に出る際の準備にもつながります」

なんと、おままごとはニート対策の一環なのでした!

大人の用意した、まことに大げさな「おままごと」に否応無く参加させられている品川区立城南中学校二年生の生徒諸君には、あらかじめ年収や子供の数、納税や年金の額など条件が与えられ、各店を回りながら電卓とパソコン操作で支出計画を立て、ローンを組んだり買い物をしたりしなければならず、クレジットカードなど様々な支払い方法の仕組み、住宅や車のローン購入計画の立て方などをすでに学習し始めているそうです。そして、家計のやりくり具合は教師やボランティアの保護者が最後に評価するということでした。
区の教育委員会は、「限られた収入のなかで家計を切り盛りすることになり、ほしい物を我慢したり選んだりする知恵が育つ」と期待しているらしいですが、どうなんでしょうねえ。
だいたい、はじめから収入があるという前提で話を進めているのがおかしいでしょう。
いくらもらう事になってるのかわかりませんが、実際に卒業したあとで就職に失敗したら無収入ですよ。欲しいものを我慢するも何もあったものではありません。
カードで買い物したりローンを組んだりと、借金を前提とした生活をなんの疑問も無く子供におしつけているのは、一体全体どういうことなのですか。
これじゃあいぬっころや踊るねーちゃんを広告に使って「ご利用は計画的に」とか言って責任は借入者の側にあるかのように責任転嫁しているサラ金業者と同じではないですか。
借金などしなくても生活していけるような未来のビジョンを描く事もできず、「これが現実」とかつぶやいているような頭の固い大人には、泥の団子や砂の器、木の葉のお皿に木の枝の箸で、立派に食卓を描きあげて見せた子供達のおままごとのに、しっかり学んで欲しいものです。

このばかばかしいほどに「現実」を意識した「おままごと」の最大の問題は、現状維持に汲々として、少しも発展の意思が感じられない事です。
大人たちの貧困な発想の下で繰り広げられるおおげさな「おままごと」。
それにつきあわされる生徒諸君こそ、いい面の皮でしょう。

少子化問題について

2005-06-11 02:23:36 | 雑記
数日前のエントリの続きです。

現役ママさんたちのblogを見ていると、どうやら少子化の原因は子供を産みたくなるような社会制度が整っていないから、という結論に達するかたが多いようです。つまり現代日本には、安心して子供を産み、育てる環境がないということらしいですね。

80年代初期の高度経済成長末期頃から、多くの企業が「国際的競争力をつける」という名目で、大胆な合理化やリストラという名の首切りを行ない、正社員よりも安上がりな非正規社員を採用するようになり、大量の不安定雇用層を作り上げた事により、一組の夫婦がその生活を維持していくためには夫婦ともに働きに出なければならない状況が作り上げられてきました。にもかかわらず、女性の社会進出の実態に制度が追いついていかず、女性に特別な条件である出産と、その後の育児に関する社会的補償がほとんどない。
簡単にいえば、子供を産んだら職場復帰できない、育児休暇を取ったらもうその職場には居辛い、という意識があるようです。
夫婦二人で稼いでも、二人が生きていくのにやっとで、子供を産むような余裕はない、という事情もあるようです。
結局、少子化の大きな原因の一つには経済的な問題があることは確かなようです。

ところで、6月10日付の朝日新聞に「世界の億万長者、6人に1人が日本人 04年134万人」という記事が載りました。メリルリンチ日本証券が10日発表した世界の個人資産家についての報告だそうです。04年末時点で100万ドル(約1億700万円)以上の純資産がある富裕層は134万人で、日本の人口比では約1%を占めるということでした。 この人たちのお金は、一体どこからきたのでしょう。

世界的、あるいは歴史的に見て、「富裕層」と呼ばれる人たちの収入は、往々にして不労所得です。
自分が働いて稼いだお金ではない。
彼らの多くは「資産運用」によって、所得を得ているのが常です。この「資産運用」は株式や土地、建物、各種サービスから会社経営まで、「投資」を行う事によって、えられる利潤、悪く言えば他人を働かせてその上前をはねる事で成り立っています。
資本主義の究極は、ぶっちゃけいかにいかに効率よく他人の上前をはねるかにかかっているわけです。だが、それが資本主義というものなのだからしょうがない、頭の悪いやつは他人に踏みつけにされてもしょうがないのだ、と考える人もいるでしょう。もしも純粋に金策の才能だけで資本主義が語れるのであれば、それを優勝劣敗の結果と見る事もできるかもしれません。
しかし、真実はそんなに簡単ではありません。
「投資」するためには「資金」が必要です。では、彼らの「資金」は一体どこからきたのでしょうか?かれらが「運用」している「資金」は、もともと誰のものだったのか?
この問題を考える時に、参考になる事件があります。
その事件については、次のエントリで書いてみたいと思います。

ところで、今年の長者番付にサラリーマンがエントリーしたというのが話題になっていましたが、その収入はその人の働きに本当に見合っているのでしょうか。
長者番付に載る人と載らない人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。
「労働」の価値とは、一体なんなのでしょうか。
続けて考えていきたいと思います。



ニートのやってるインターネットラジオ

2005-06-08 18:22:16 | ネット
以前のエントリでも書いたように、いまネットラジオにはまっています。
先日、とても面白いネットラジオを発見したので、紹介したいと思います。
「ニートで暇すぎて頭にきたからネトラジやる」(通称ニトラジ)です。
このニトラジは、自称28歳、ニート歴一年半、前職営業系、兄貴が芸能人の男性が、平日(月~金)23:00~1:00の間に放送しているネットラジオです。
内容は掲示板の書き込みを読んだり、ものまねをしたりと、素人さんのネットラジオにありがちな内容なのですが、とにかく本当に本人もそうと暇らしく、最近ネットラジオの放送が唯一の趣味になっているそうで、ネット放送に関する楽曲の使用許諾やパソコンのスペック、放送機材などについて自分で調べたり、番組を盛り上げようをいろいろな企画を募集したりと、だんだん本格的になってきました。

暇つぶしには最適なこのラジオ。もしお時間のある方は一度聞いてみてはいかがでしょうか。過去の放送分も聞けるようになっていますので、リアルタイムじゃちょっときついという方も安心です。
ただ、放送時間が二時間近くあるので、いっきに聞くのは、それこそ時間のありあまってるニートでもないとつらいかもしれませんが。

それにしても、彼のようにニートだからといって後ろ向きにならない、ポジティブで行動力のあるニートの存在は、ニートの定義を考える際にも無視できないのではないかと思います。
お金にはならないけれども、彼は彼なりの方法で社会に働きかけているわけですが、こうした活動は社会的に意味のないものとして、なかったことにされてしまうのでしょうか。
以前、私がまだニートではなかった頃、社会人だった知り合いに「金を稼いでないんじゃ仕事じゃねーよ」といわれた事があります。それは確かにある意味では正しいのかもしれません。しかし、やはり何か違和感を覚える。この違和感はなんなのか。ニートの社会人に対する僻みではないとすれば、それはなんなのか。
働くってなんなのか、何のために働くのか。
そういうことを、もっとまじめに考えるべき時に来ているのではないでしょうか。