NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#455 ロニー・ブルックス(ギター・ジュニア)「Family Rules(Angel Child)」(Goldband)

2024-07-04 07:52:00 | Weblog
2024年7月4日(木)

#455 ロニー・ブルックス(ギター・ジュニア)「Family Rules(Angel Child)」(Goldband)





ロニー・ブルックス、1958年リリースのシングル曲(B面)。リー・ベイカー、エディ・シューラーの作品。

米国のブルースマン、ロニー・ブルックスことリー・ベイカー・ジュニアは、1933年12月ルイジアナ州セントランドリー教区デュビュイスンの生まれ。

子供の頃はバンジョーを弾く祖父からブルースの演奏を学ぴ、ギターを弾き始めるが、特にプロミュージシャンを目指してはいなかった。

50年代初頭にテキサス州ポートアーサーに移住。その地で活躍するゲイトマウス・ブラウン、T・ボーン・ウォーカー、B・B・キングらの演奏を直に聴いて、ベイカーはプロを目指すようになる。アコーディオン奏者クリフトン・シェニエと知り合い、彼の引きでバンド入りする。

その後50年代後半、ソロ活動に入り、ベイカーは芸名としてギター・ジュニアを名乗るようになる。

彼はルイジアナ州レイク・チャールズに拠点を置く独立系レーベル、ゴールドバンドと契約、58年に「I Got It Made(When I Marry Shirley Mae)」をリリース、これが小ヒットとなる。本日取り上げた一曲は、そのB面にあたる「Family Rules(Angel Child)である。

この曲はゴールドバンドの創設者、エディ・シューラーとベイカーの共作である。ゆっくりしたテンポのブルース・バラードだが、現在ではA面の「I Got It Made」よりも、こちらの方がスワンプ・ポップ(南部ルイジアナ、テキサス独自のスタイル)の定番曲として知られるようになっている。

ゴールドバンドでは他にも「The Crawl」「Made In the Shade」」というシングルもリリースして、ヒットしている。2曲はのちにザ・ファビュラス・サンダーバーズがカバーしている。

ローカルで一定の成功を収めたベイカーは60年、次のステップを踏み出す。ブルースの都、本場中の本場、イリノイ州シカゴに進出したのである。

シカゴではギター・ジュニアというそれまでの芸名を変えざるを得なかった。というのは、彼より年下(1939年生まれ)のルーサー・ジョンスンが、ギター・ジュニアの通名を既に使っていたためだ。新参者のベイカーは遠慮して新たな芸名を選ぶ。それが現在に至るロニー・ブルックスである。

60年代、ブルックスはシカゴのウェストサイドをはじめ、近郊のブルースクラブで定期的に演奏をして、名前を売っていった。そしてチェス、マーキュリーをはじめとする多くのレーベルでシングルをリリースしていく。ジミー・リードのサポートを務めたのもこの頃である。

地道な活動を積み重ねた結果、69年にようやくファースト・アルバム「Broke an’ Hungry」を大手キャピトルレーベルからリリース。このアルバムはエディ・シューラーの息子、ウェイン・シューラーがプロデュースしている。

74年には複数のアーティストと共にヨーロッパ・ツアーに参加、フランスのレーベル、ブラック&ブルーでレコーディング、翌75年にアルバム「Sweet Home Chicago」をリリースする。

その後はシカゴに戻って、サウスサイドのクラブで定期的に出演する。これが新興のアリゲーターレーベルの創設者、ブルース・イグラウアーの目に止まり、78年に同社との契約を果たす。

以後、1990年代末に至るまで約20年の長期に渡って、アリゲーターレーベルより数多くのアルバムをリリースするようになる。これが、ロニー・ブルックスのブルース界における評価を大いに高めたと言っていい。

特に79年リリースの「Bayou Lightning」はその完成度の高さにより、80年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでグランプリ・デュ・ディスク賞を受賞している。

86年のアルバム「Wound Up Tight」ではブルックスの熱烈なファンであるジョニー・ウインターと共演している。

88年のライブ盤「Live from Chicago-Bayou Lightnig Strikes」では、彼の息子であるギタリスト、ロニー・ベイカー・ブルックスとの初共演を聴くことが出来る。

ロニーは1967年1月生まれ。現在最も脂の乗り切ったブルースギタリストのひとりと言える。父子はその後もことある毎に共演して、キャリー・ベル=ルーリー・ベルと並ぶ、ブルース界の「父子鷹」として知られるようになる。その後、同じく息子のウェイン・ベーカー・ブルックスもこれに加わるようになる。

93年、ちょうど60歳となる年にはには大物ブルースマン(BB、バディ・ガイ、ココ・テイラー、ジュニア・ウェルズら)と組んだ全米コンサートツアーを行う。ついにブルックスもビッグ・ネームのひとりと認められたのである。エリック・クラプトンともクラブのステージで共演を果たす。

ロニー・ブルックスは2017年4月、シカゴで亡くなっている。時に83歳であった。

こうやって通しで見てくると、ブルースマンとしての彼の人生は、格別大きなつまずきもなく、おおむね順調なものだったなと思う。

下積みの時期、停滞期なども全くなかったわけではないが、それらの苦労も結果的にはしっかりと報われていて、常に右肩上がりで堂々たるキャリアを積んでいった、そんな印象である。

彼の持つ、いい意味での楽観的な性格、明るさが、その歌やプレイにもはっきりと現れている。

それは天性のものもあるだろうが、彼の育った米国南部、ルイジアナの、温暖でのんびりとした環境によるところも意外と大きいのではないかな。

最初から寒冷地のシカゴに住んでいたのでは、こういうおおらかな雰囲気は出せなかったかも知れない。

本日の一曲「Family Rules」にも、その豪放磊落なキャラクターを感じ取ることが出来る。ざっくりとした歌い口、思い切りのいいギター・プレイ。どれも、ブルックスならではのものだ。

彼は最初期の作品であるこの曲には、とりわけ思い入れがあったと見えて、83年のアルバム「Hot Shot」でも再演している。ここのギター・プレイも素晴らしい。実に伸び伸びと、弾きたいように弾いている感じだ。

彼の、90年代以降のライブ映像はYoutubeで各種観ることが出来るが、どれも本当に楽しそうに歌い、演奏している。ギターの曲弾き(歯で弾くなど)も積極的にやっており、サービス精神のほどがうかがわれる。

ギター・スリム、ジョニー・ギター・ワトスンあたりとも共通した匂いを持つ、飛びきり根アカなブルースマン、ロニー・ブルックス。その陽気な歌声とギターを、新旧ふたつのバージョンで楽しんで欲しい。




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