2024年7月7日(日)
#458 チャック・ウィリス「C.C. Rider」(Atlantic)
#458 チャック・ウィリス「C.C. Rider」(Atlantic)
チャック・ウィリス、1957年リリースのシングル・ヒット曲。ウィリス自身の作品。
米国の黒人男性シンガー、チャック・ウィリスことハロルド・ジェローム・ウィリスは、1926年1月(28年とも)ジョージア州アトランタ生まれ。のちにプロ活動時はターバンを巻いて異邦人ふうを装っていたが、バリバリの南部米国人である。
世に出るきっかけは、タレント・コンテスト出場だった。アトランタのラジオDJ、ゼナス・シアーズがウィリスの才能を認め、彼のマネージャーとなることを申し出たのだ。
シアーズの助けにより、ウィリスは大手コロムビアと51年に契約、プロキャリアが始まる。主にコロムビア傘下のオーケーレーベルからシングルリリース、翌52年、3枚目の「My Story」でR&Bチャート2位の初ヒット。自作曲を中心にリリースして、シンガーソングライターとしての評価も高めて行く。
53年、ファッツ・ドミノの同年の大ヒット曲「Going to the River」をカバーして、再びR&Bチャート4位のヒット。その後も「Don’t Deceive Me」(53年)、「You’re Still My Baby」「Feel So Bad」(ともに54年)と立て続けにトップテン・ヒットを出す。
ブルース色の強い「Feel So Bad」は、のちに61年にエルヴィス・プレスリーがカバーして全米5位、R&Bチャート15位のヒットとなっている。
その後は勢いが途絶え、55年はヒットが出なくなったが、翌56年、彼は息を吹き返す。
オーケーを離れて、アトランティックレーベルに移籍したウィリスは、再び精力的に作品を生み出し、ヒットを重ねていったのである。
56年に出したヒットは、まずは「It’s Too Late」。R&Bチャートで3位になったこのバラードは他のアーティストの支持も高く、カバー・バージョンもずば抜けて多かった。
オーストラリアのシンガー、ジョニー・オキーフをはじめとして、ブルースシンガー、テッド・テイラー、ザ・クリケッツ、ロイ・オービスン、レス・ポール&メアリー・フォード、オーティス・レディング、フレディ・キングなど、無数のフォロワーがいる。
われわれ世代に一番知られているのは、むろんデレク&ザ・ドミノスのバージョンだろうな。アルバム「Layla」に収められたことで、初めてこの曲の存在を知ったリスナー(筆者も含む)は多かったはずである。
56年には「Juanita」でR&Bチャート7位、「What ha’ Gonna Do When Your Baby Leaves You」で同11位のヒットも出している。
翌57年、それまでを大きく上回るヒット曲が出る。それが本日取り上げた「C.C. Rider」である。R&Bチャートで初の1位を取っただけでなく、全米12位も獲得して、人種の枠を大きく超えた、全米的大ヒットとなったのである。
もともとこの曲は、1924年に女性ブルースシンガーの先駆け的存在のマ・レイニー(1886年ジョージア州生まれ)が最初にレコーディングし、シングルリリースしている。当時のタイトルは「See See Rider Blues」。
作者はマ・レイニー、レナ・アラントとクレジットされているが、本来は黒人のボードビル巡業で生まれたとされるトラディショナル・ソングなので、完全なオリジナルとはいえない。
この曲の由来、ルーツを辿って行くと、それこそ一冊の本が出来てしまうくらいの情報量があるという。なので、あえてそこには触れないでおこう。機会があれば、別の原稿で取り上げるかもしれない。
とりあえず、この曲のテーマは、不実な恋人(男性)のことを歌ったものとだけ言っておこう。
本曲はその後、ビッグ・ビル・ブルーンジー、レッドベリーといったシンガーにより、もっぱら弾き語りのスタイルで歌い継がれるようになる。
ウィリスはこの30年以上前に生まれたブルース・ナンバーを、57年にジーン・バージのサックスをフィーチャーしたR&Bソングとして甦らせたわけだが、いきなり同郷出身のマ・レイニーからウィリスのサウンドにワープしたというよりは、ひとつの中継点を経てからであった、というべきだろう。
その中継点とは、43年にシングルリリースされた女性R&Bシンガー/ギタリスト、ビー・ブーズによる「See See Rider Blues」である。
ブーズは1912年メリーランド生まれ。ジャズピアニストのサミー・プライスの元でレコーディングされた本曲は、R&Bチャートの前身であるハーレム・ヒット・パレードで1位を獲得する大ヒットとなった。
非常にゆったりとしたテンポではあるが、ここからこの曲のR&B化が始まったと言えそうだ。
ウィリス版ではブーズ版のスロー・スタイルよりはテンポを大幅にあげて、バックにコーラスも追加、ロックンロール味の強いサウンドとなっている。
これにウィリスの力強いボーカルが乗ることで、本曲は最強のポップ・チューンとなった。
以降、この曲はマ・レイニーの曲、あるいはビー・ブーズの曲としてでなく、まずチャック・ウィリスの曲として認知されるようになるのである。
カバーバージョンも、基本的にウィリス版の歌詞を使って多数生み出され、その多くがヒットする。
例を上げれば、65年のミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ホイールズのカバー(メドレー中の一曲)は全米10位、66年のエリック・バードン&ジ・アニマルズのシングルも全米10位のヒットとなっている。
「Feel So Bad」をすでにカバーしていたエルヴィス・プレスリーもまた、70年に本曲を「See See Rider」のタイトルでレコーディング。72年以降は彼のコンサートのオープニング曲となった。いわば、彼の看板曲である。
プレスリー・バージョンの登場以降、本曲はもっぱらプレスリーの曲となってしまった感はあるね。
とはいえ、チャック・ウィリスがこの曲をモダナイズすることがなければ、曲そのものがこうも大きくクローズアップされることはなかったに違いない。
どこかのんびりとした雰囲気をまといつつも、そのどっしりとしたビートは逞しさと貫禄を感じさせる。ナンバーワンヒットにふさわしい、スケールの大きいナンバーである。
この曲のヒット後、ウィリスはもうひとつの大ヒット曲を翌58年に出す。「What Am I Living For」である。
この曲はフレッド・ジェイ、アート・ハリスというプロのチームが作曲し、レジー・オブレヒト・オーケストラとコーラスをフィーチャーしたバラード・ナンバー。R&Bチャートで1位、全米9位、100万枚以上のセールス、ゴールドディスク受賞という大ヒットとなった。
なお、この曲は名エンジニア、トム・ダウドが録音を担当しており、ステレオでリリースされた最初のロックンロール・レコードであった。
50年代、このような輝かしいキャリアを積んでいたウィリスであったが、58年4月に悲しい運命が彼のもとに訪れる。長年胃潰瘍に悩まされながらも、大酒をやめられなかったというウィリスは、腹膜炎を発症して亡くなった。32歳の若さであった。
亡くなったのは、その「What Am I Living For」がリリースされた直後だった。なんという、運命のいたずらだろう。
せめてもう少し、彼が自分の健康を気遣っていてくれれば、その後の活躍も十分期待出来たのに、である。
今日では、その名前さえすっかり忘れ去られてしまったチャック・ウィリスではあるが、52年からの6年間は、本当に輝いていたスターであった。
せめて、その素晴らしい作品を聴き返すことで、彼の才能や魅力を再確認してみてくれ。