NEST OF BLUESMANIA

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音盤日誌「一日一枚」#415 JAMES BROWN「THE VERY BEST OF JAMES BROWN」(Polydor 553804-2)

2023-01-06 05:00:00 | Weblog
2023年1月6日(金)



#415 JAMES BROWN「THE VERY BEST OF JAMES BROWN」(Polydor 553804-2)

米国のシンガー、ジェームズ・ブラウンのベスト・アルバム。97年リリース。

ブラック・ミュージックにおけるゴッドファーザー的存在であるジェームズ・ブラウン(以下JB)について語ることは、アメリカ人でも、黒人でもない筆者にとっては容易ではない。

自分はJBの「スゴさ」「偉大さ」を語るに十分な知識も、語彙も持ち合わせていないのだ。

せめて出来ることといえば、断片的な知識で過去の彼の変遷を語ることぐらいだろうか。

そんな程度の話しか出来ないが、よかったら聞いて欲しい。

JBというシンガーは、まず「セックス・マシーン」というえらく刺激的なタイトルのアルバムを出したシンガーとして、筆者の目の前に現れる。時は70年だったろうか。

まずはレコード屋のポスター、そしてAMラジオから流れるシングル曲で。

当時中学生になったばかりの筆者は、英米の白人のロックに興味を持って、いくつかのバンドのレコードを聴き始めていたのだったが、それらの音楽とは明らかに異質な匂いを、JBのサウンドは放っていた。

単純なリフを延々と繰り返すバンドをバックに、歌とも叫びともつかない野性的なボーカルが執拗に続く、それがJBスタイルだった。

多くの白人ロック・バンドがまとっている知性、あるいは良識、そういうものをかなぐり捨てたような、原初的、根源的なパワーを直に感じさせるような歌声だった。

人間の、そしてオスの本能に訴えかける音、そういったらいいだろうか。

肉体労働者のような筋骨隆々たる体格、短かめの髪型。そのルックスも相まって、JBは「野性」そのものの存在に思えた。

その後、次第に音楽の知識が増えてきて、JBのそれまで辿ってきた道のりがわかってきた。

もともとは、普通の曲、つまりブルースなどの起承転結、一定のコード進行のある、メロディもきちんとした楽曲を歌っていた。それも3分程度の、いわゆるシングル・サイズの曲を。

50年代後半にデビューし、60年代前半まではそういうスタイルだった。

しかし、60年代後半より「ファンク」と呼ばれるスタイルに次第に移行、基本ワンコードで長時間演奏するようになった。それが完成の域に至ったのが「セックス・マシーン」という曲、アルバムであった。

中学生の筆者は、メロディとかコード進行に重きをおいた白人ロックに傾倒しながらも、どこか心の片隅でこのJBなる男がやっている音楽にも注意を払っていた。

「こいつのやっていることは、単なる異端の音楽ではないのかもしれない」と。

その後、70年代のいつからだったろうか、JBはあからさまにルックスを変えた。髪型である。

ボクサーのような男っぽい髪型から、ちょっと女性的な長めの髪になったのだ。

そのイメージ・チェンジの狙いがどこにあったのかは、いまだに分からない。

少なくともカッコよくなったとは思えなかったが、以後彼のイメージは、もっぱらその髪型で通るようになった。80年の映画「ブルース・ブラザーズ」に教会のジェームズ牧師役で出演し、歌った時のイメージは、多くの人の目に焼きついているだろう。

ブラック・ミュージックは、70年代に入って変化を迎え、60年代から「ソウル」と呼ばれていた音楽は、JBのようなビート中心の「ファンク」と、メロディ中心の「ディスコ・ミュージック」に分かれていく。そして、ファンクの中でも先鋭化したグループは「プラチナ・ファンク」「Pファンク」と呼ばれるようになる。

JBがオリジネートしたといっていいファンクは、70年代、商業的な成功はさほど得られなかったが、後々のブラック・ミュージックに大きな影響を与えた。

ヒップホップ、ラップといった、非メロディ系のジャンルのアーティストたちがこぞってJBへのリスペクトを表明し、その楽曲をサンプリングしているのである。

最も成功した黒人ミュージシャンであるマイケル・ジャクソンも、JBを父親のように尊敬していた。

詰まるところ、JBのやっていた音楽は、あまりに先進的過ぎたのだ。10年は早かったといっていい。

60年時点でのJBは、基本的に過去のブラック・ミュージックのフォーマットを守っていたミュージシャンであった。他のソウル・シンガーやブルース・シンガーと大きく異なっていたわけではない。

多少、ステージの演出などで他よりもハメを外していた点があったにせよ、である。

しかしその後、64年に「Out Of Sight」で初めてファンク・スタイルを試みてからは、従来のフォーマットを惜しげもなく捨てて、自らが新しいと思う音楽のみを追求するようになる。

ジャズの世界で、何度も過去の自分のサウンドと訣別して新しいスタイルを生み出してきた、マイルス・デイヴィスに通じるものがあるね。

さて、このベスト・アルバムは「Think」「Please, Please, Please」「It’s A Man’s Man’s Man’s World」のような旧フォーマットのJBから、ファンク全開の「Get Up I Feel Like A Sex Machine」の時代を経て、86年の「Gravity」に至るまでの、約30年間の代表的ヒット曲が収められている。

ひとことでJBスタイルのファンクといっても、年代によってサウンドはかなり変化しているので、その変遷を聴き分けるのも一興だろう。

メイシオ・パーカー、ブーツィ・コリンズといったスゴ腕ミュージシャンも、JBなくしては見出されることはなかった。

ブラック・ミュージックにおける「イノベーター」「オーガナイザー」としてのJBは、もっと評価されていい。

もし、ジェームズ・ジョゼフ・ブラウン・ジュニアという男が存在しなかったら、ブラック・ミュージックはおそらく、現在のようなかたちをとっていなかった。

全然違うものになっていただろう。そして、白人たちの音楽も。

白人バンドであるレッド・ツェッペリンも、実はJBフリークで、そのリスペクトを「聖なる館」の「The Crunge」であからさまに表明している。

ZEPが「胸いっぱいの愛を」のような繰り返しパターンを好んで使うのも、重度のJB好きが根っこにあるのだと筆者はニヤリとしてしまった。

実はみんな大好きジェームズ・ブラウン、ということで異論はないよね?

<独断評価>★★★★☆

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