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"Life is either a daring adventure or nothing at all"

When BAD Things Happen to GOOD People

2012年07月11日 17時39分36秒 | カトリック

届いた!

まだ序章だけど『この本のタイトルはWhyじゃなくてWhen』というところに共感。


著者はユダヤ教のラビ(司祭みたいな方)です。

息子さんがプロジェリアという早く老いていく難病にかかって亡くなり、その経験を通して書かれた本です。

1970年代からベストセラーで、邦訳も「なぜ私だけが苦しむのか」という題で出ています。(なんか英語とだいぶイメージが違う訳・・・それで英語を買いました)

 

「神がいるのに、なぜ善い人々に悪いことが起きるのか」

「私が何をしたっていうのか」

そんな哲学的なテーゼと取り組む本のようです。どうやら、うちの神父さまがおっしゃったことと似てるような気もする。

 

なぜ私が二分脊椎で生まれたのか

なぜ私の家庭環境はタフなのか

なぜ私はいじめにあったのか

なぜバリアフルな日本のあの時代に生まれたのか

なぜ私はサバイバーになる経験をしなければならなかったのか

なぜ私は信仰者なのか

なぜその苦しみのときに神はいなかったのか

 

と生身の人間の私が感じてきたことにスパイスを与えてくれるような予感。

わくわく。

 

この前教会で、シスターが「なぜ」じゃなくて「なんのために」と聞くといい、とおっしゃった。

発想の転換って素敵、この本もWhenだしね。

 

 

 

 



カトリックのジェンダー

2012年07月05日 10時03分27秒 | カトリック

昨日、委員会があった。 

平日の昼間にあるので、主婦の女性が多い。退職した男性がいてもいいようにおもうんだけど。 

委員会は滞りなく終わり、お茶をしているときに、誰かが「キリストの死」を人に説明しにくいと言い出して、そこからFr○○の臨時入門講座みたいになった。 



私は旧約聖書の一番最初の「創世記」で、女性のエヴァ(イブ)が、男性のアダムの脇腹から造られたっていうのが、どうも納得がいかない! 
脇腹うんぬんより、アダムが「一人だったら良くない」からって、そのためにエヴァが造られたって!! 

自分が入門講座にいた時は、当時の神父さまも、私がジェンダー専攻で、絶対そこにひっかかることはわかってらしたみたいで。。。 
ちょっと詳細に読んでから 
「人が造られて、そのあともう一人造られて、 
それから最初の人を男、次の人を女って名づけられたんだよ。 
だから逆もありえたんだよ」みたいな説明を受けて、それなりに納得した 

・・・気がする。その時は。 

女性が司祭になれないのも、キリストの弟子に女性がいなかったから、とか、 
でも、バチカンに男だらけで、システムが聖職者は男女の役職が分かれていたとしても 
(だって司祭やシスターやブラザーご本人は、それを承知でそういうお仕事をを決めたんだから) 
一般信徒自身が「分業やん」っていうことはないと思うし・・・ 


世代的なものもあるのかもしれないし、私が外国に行ったからかもしれないんだけど、 


スイカの話をしました・・・(しつこい) 

神父さま笑ってはった。「性別関係ないね」 
ほら! 
切り方があるらしいんだけど(きっと人数を割ったときの1玉の%) 
「包丁をつかって切って、お皿に載せて、冷蔵庫に入れる」のは性別関係ないぞ! 

そして、やっぱり、意図的に、口にはださないけど、教会内のお仕事?を、男女平等にしようとされているのがわかった。だって先日の評議会のときに、あるグループが女性ばかりになっちゃった。そしたら「バランスが大事だから、男性にも入っていただいて」って。 
そのときに、あれ?とおもったんだけど、やっぱりそうだった。 

そういえば評議会も、奇数だけど若干半数くらいかな、。 
まだ、司祭としては50代で、若いほうっていうのもあると思う。 

ついでに、創世記の話も。(しつこい) 
そしたら、さらっと「男性が考えたからね・・・」わお。認めはったわ。めっちゃびっくり。 
そりゃああんな文章を書いて、書物に残せるのなんて、歴史的にみて女性はまだ教育が受けられてないんだろうし、男性に決まってるやん。 

でもスイカは関係ないのよ。(しつこい) 信徒も努力しないと。。。 


そして、”消化不良つながり”で聞いてみた。 

例えば、私がなぜ二分脊椎で生まれてきたのか、とか(信徒はよくヨハネ9章を持ち出す)、 
なんでしなくてもいい経験をしたのかについては 
「わからない。たくさんわからないことがある。教会は”わからない”ということに対して 
謙虚になる必要があると思う」 


そして宣教の話になって、 
「じゃあ神父さまは、赤道の向こうの、アフリカ大陸の、コンゴからはるばると、こんな日本の、小さい教会までやってきて、どんな神を、どんなイエスを伝えたいの?それも、はっきり”これ”、って一言では言えないの?」と聞いてみたら 
  
「わからない。でも、豊かに生きられるようになるってこと。いろんなアプローチがあるけど、豊かになる」 


それやったら私もわかるわ!性別も障害も関係ないし。 

はたと気が付いた。 
システムは、聖職者の性別の分業があるけど、 
私が出会ったカトリックの聖職者、司祭なり、シスターって、そんなに「男性はこうあるべき」、とか、「女性はこの仕事」、とか言わない。 
自炊してる司祭も多いし、金づち持つシスターも多いし。 
女子高だったけど、性別でうんぬん言われたこと、あったかな? 

私の障害の理由も、前の司祭は「胎児のときになんかあったんでしょうね」とおっしゃったし(そらそうや)、学校のシスターも「なんででしょうねえ」とおっしゃった。 


もうちょっと信徒が主体的に動けば、なんとか少しずつでも変わっていくんじゃないだろうか。。。 



スイカとか。 


トマ

2012年07月03日 21時13分38秒 | カトリック

今日は聖トマの祝日。

カトリックでは聖人の日があって、自分の洗礼名の聖人の日は、霊名記念日という。(ちなみに私の洗礼名のカシアの聖リタの祝日は5月22日。
おめでとうっていうくらいだけど。)

Anyway。
トマは、キリストの弟子だったんだけど、復活の時にいなくって、ざくっと「見ないと信じない」と言った人。

昨日ちょうど、父が「なぜ宗教を信じないか」ということを語っていた。
私も無神論者の時は、信仰者の友達に語ったわ。そのころには理屈があった。
父は「もし神がいるんだったら、せっかく復活したんだからまた死なずに、ずっと生きたままみんな治せばよかってん。リタのことも治せないのに奇跡?」とかなんとか。

まあ、気持ちは分からなくはない。でもそれは。。。魔法使い。

奇跡が欲しい人の気持ちもわかる。特にがんとか難病とか。だから奇跡はあったらいいなと思う。
だけど、私の信仰はあんまり今そこにはなくて・・・
信仰者になる前も、いろんなところからお誘いはきたの。「足が治るよ」って。
うーむ。別に「足」はよくならなくていいんだけど。。。(ヒールがはける)

私は車椅子のアスピィの女性でいいのよ。
健常の女性と同じことができて、同じ権利と義務があって、同じ存在意義と価値があればいいの。
もっとさくっといえば、基本的人権が尊重されていて、対等ならいいのです。
奇跡がおこるなら、私はこのままで対等になりたい。
でも現実はそうじゃない。

ジェンダーを専攻したのは、マイノリティ学に一番近いと思ったから。
身体障害とアスペルガーと女性と、三倍のマイノリティ。
健常の女性よりも被虐待の率も増えるし、恋愛に関しても特殊な課題があると思う。

でも、権利は同等にあるのよ。存在価値も。
そう信じたくて、なんでこうなっちゃっているのか私なりに答えを知りたかった。

健常の女性の「ように」は別にならなくてもいい。それは私じゃないから。
でも、生きていくためには健常に近づく努力をしなくてはいけない。
私を捨てないでその努力をしなくてはいけない。
それには私は弱すぎて、ひとりではできなかった。私はトマだったと同時に、見ないで信じた部分もある。

いろいろ理不尽な思いもしたけど、私の「見ないで信じる」っていうのは
「いつか絶対、完璧にわかるときがくるから、それまで混乱しても笑って、泣きながらも頬笑んで、”何事にも理由があるんだよ”って自分自身に言い続けよう」
っていうことかな。





・・・だけど腹立つことも多いけどね~。私、短気だから!
Patience is a virtue...1・2・3.。。


サバイビング

2012年07月03日 16時07分04秒 | カトリック

別のところにちょっと前にアップした記事。限定公開にしているのだけど、ちょっと編集して載せます。

 

***注意:心を乱す表現があります*** 



カトリック六甲教会の片柳神父さまがFacebookで、先日、梅田の教会であったセミナーについて記事を書かれていました。 
欧米でのカトリック教会における性暴力、虐待をうけての研修だったそうです。 
どんな内容だったかは詳しくは書きませんが、虐待を受けた経験のあるサバイバーの方からのお話があったそうです。(教会は関係ない) 



私もサバイバーです。教会や家庭は関係ありません。大昔のことです。 




クライストチャーチに行ったとき、友達のお母さまが私の様子がおかしいのに気付いて、薦められてカウンセリングを受けました。 

だいたいの日常的な英語は話せて語学学校に行ったけれど、そんなカウンセリングを受けるほど詳細な、非日常の形容詞や言い回しは知らないし、セッションは私も、カウンセラーの人も大変だったと思います。(おかげで英語はうまくなった) 

帰国寸前まで受けて、抗鬱剤もたくさん処方されて、摂食障害になって、何回も救急車で運ばれて、大変でした。私も周りも。 
でも、友達にたくさん恵まれて、一人暮らしの時も様子を見に来てくれたり、家事をしてくれたり・・・ありがたかったなあ。 
命に不安を感じた時は、泊まってくれたり泊まらせてくれたり。感謝でいっぱい。 
大学も、専攻が社会学のジェンダーだったので、辛いときもありました。 




障害者と性、セクシュアリティについて考えたり、性別がないものとして(性の社会化)育てられたので、逆に女性性や男性性を外から眺めたりもしました。 
これをすべて英語でやったことが、私には良かったと思います。 
日本語に比べて直情的な言語、形容詞が多くて、相手に対しては罵り言葉もあるし。

そして、帰国してずいぶんたって、だんだん思えるようになってきたけれど、 
I am worthy. I am deserving. I am proud of myself for surviving. I can let it go.って日本語でわからない。 



でも、物理的な体調も、精神的にも耐えられなくなって帰国しました。 
ほんとはジェンダーでPhD取って、大学教授になりたかったな。 



帰国後もカウンセリングを受けました。 
でも、日本語だし、カウンセラーは母世代の女性だし、とてもむずかしかったです。あまりに辛くて記憶が飛んだり、英語しかしゃべれないときがあったりしました。そしてカウンセラーの先生も、私はこのままだったらきっと死ぬだろうと思ったようで、なにか信仰を持つように勧められて教会に行きました。 



カトリックを選んだのは、中高がカトリックの女子校だったことと、教会が家から近かったこと(。。。) 
最初の日は母校の先生についてきて頂いてミサに行き、エレベーターもあって車椅子トイレもあって、いい感じのスタートでした。 


でも、キリスト教には疑問も、課題も山積みでした。 
荘厳で純潔を尊ぶし、それなのに欧米じゃ司祭は逮捕されるし、混乱の極み。 

洗礼を受けるのに(最初は軽いノリだった。”死ぬのをやめて”生きることができればそれでよかったから)勉強しても、納得できないことが多いし。 

ゆるしなんて、生き抜くこと第一の場合、それどころじゃない。 
隣人を「自分のように」愛しなさいって、自己肯定感がないのに、意味をなさない。 

肝心な質問には誰も答えてくれそうにない雰囲気。 

「あの時神様はどこにいたの?」「なんで私なの?」 

話しても「右も頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」とかいうし、私、そんなん嫌!打たれた時点で逃げるよ! 
「ゆるす」ことを期待されて、「生きる」ことを前提にされている気がして、とてもとても難しい数年でした。 



私はなんで信仰者なの?             さぁ・・・?わかりません。 
きっと、これしかみつけられなかったから? 

でも、今の神父様は 
「神様は一緒に泣いて苦しんでいたと思う」「この世はある意味壊れているんです。クレイジー」「でも、あなたはそのままでとても美しく造られたの」「時間は未来に向かって流れているの。過去へは流れない。生きるっていうのは未来へ向かうこと」 

許しなさいとか、なんにも言われなかった。 
「絶対に、あなたのせいじゃないです」とも言ってくれた。 

うん。それが私への答えかも。みつかったかも。 
私は愛を見つけたし、この世界には生きてみる価値があるってことがわかったし。 

生きるって素敵だよ。 


虐待とかレイプって、一番悲しいのは心身が傷つくとかそんな軽いもんじゃない。 
自分には生きる価値がないとか、「純粋」じゃないとか信じてしまうことだと思う。 

でも生きれるようになる。 
魂って強いなぁ! 

癒えるのは一生かかると思うけれど、癒えることと、手放すこと・ゆるすことと、生きたくなることって全部違うことだと思う。 
赦せないことって罪じゃない。私はそれぞれのペースで、ここまで来たことを誇りに思ってる。 

I am worthy. I am deserving.  


ひとつひとつが奇跡で、私はお金持ちじゃないかもしれないけれど、周りの人々にはとても、とても恵まれたことに、日々感謝・・・ 
生きたい、って思うもんね。 

I am the happiest person alive.


教会の委員長

2012年04月22日 18時26分08秒 | カトリック
委員長のお仕事には、ミサの後の月一回の評議会と、うちの教会が会場の当番の北摂地区合同委員会がある。

典礼に基づき、黙想会や研修会もあり、他の教会から神父さまを講師でお呼びしたりする。
ミサ~お話~告解~委員と三役と講師で軽食というコースもある。


先週の合同委員会と、前回と今日の評議会は、身体がもたないので、ミサは聖変化までロビーのソファで与った。

だけど一人だけっていうのは、共同体として捧げるミサとしては⁇だし、委員会や評議会の為にミサを犠牲にするっていうのも、なんか違う気が…
今朝は、御ミサの前にソファで寝てたら、前委員長が『大丈夫?』
私『大丈夫じゃないです。一人はさみしい』

しばらくして、御ミサが始まって少し後、『今日は私もここで聖変化まで一緒に受けるよ』
ときて下さった。嬉しかった。

それもあって、私もやっぱり御ミサは一番だし、言ってみよう、と思って、次回委員会でみんなで考えていただけたら…と、委員の方々にもお願いした。

評議会についても、私個人の問題ではなくて、公の課題として、副議長に話した。
二人であれこれミサの与り方を考えていたら、他の評議員の方も加わって下さり、私の思いを伝えた。

すると、副議長が『あなたはいつも通りにミサに与って、評議会を和室にしたらいいんじゃない』

私『腰が悪い方や正座苦手な方は?』

副議長『そういう人とか、神父さまが正座苦手だったら、逆に椅子に座ってもらったらいいんじゃない』

嬉しかった。これから三役会であげていただくので、次回評議会はまだどうなるかわからないけれど、私の課題を教会のあり方として考えていただける事になった。

黙想会や研修会についても、委員会のあり方として次回挙げてみよう。



素敵な一年の始まり。

2012年01月02日 10時04分22秒 | カトリック
あけましておめでとうございます。

昨日は所属教会の元旦ミサに与りました。
うちの教会は元旦に記念撮影をして、ホームページに載せます。
それが毎年苦痛で・・・

仁豊野巡礼の一件で爆発しちゃって、この元旦の記念撮影が心配で心配で。
ミサの後、聖堂の長椅子を祭壇の前に持ってきて、
神父さまを中心に、
足の悪いお年寄りと子供とかが長椅子に座って、後列に人々が立つ。
その時に「前に、真ん中に」コールが毎年降りかかる。
去年はトイレに行って、わざと遅れて行って、端っこに車いすをパーク。
その前は車いすから降りて最前列。結構小細工に疲れた。

仁豊野の神父さまに会いに行ったときに、この前の巡礼の写真のことと、元旦の記念撮影の事を話したら



笑われた。
(記念撮影があるから、元旦ミサに行きたくないと言った)

笑い事じゃないよー。

「私だったら、何言われても好きなところに座りますけどね」
ニュージーランドだったら私もそうしますけど、それができたら苦労しませんやん。



元旦ミサは悩んだけど、やっぱり一年の始まりだし行ってみた。
ミサの終わりに、(所属教会の)神父さまが「お年玉」として、
油を額に塗って祝福してくださった。
だから、ミサ~祝福~記念撮影。
ミサのあと、こっそり帰ろうかと思ってたんだけど、祝福して頂きたくて待ってた。(そのあと、記念撮影の前に帰ろうかどうしようか、まだ悩んでた)



そしたら、議長さん(だったかな)がマイクで
「このあと記念撮影を行いますが、今年は祭壇から撮影します。真ん中に寄ってください」




わ~い!




ミサに与っていた人で近くに座っていた人は、日曜学校の人達(だからかかわりがある)と、祝福の後に立ち話をしていた学校の友達。

ソファは写真に入らないので、車いすに移った。
だけど、祝福が終わって写真の位置に納まる人々の列の邪魔になっていたので、隣の長椅子に。
(「そんなん邪魔なんかならへんやん、(歩ける人が)よけたらいいねん」と言ってくださった方がいたんだけど)
友達が車いすを端っこに持って行ってくれて、彼女は私の隣に座った。



きっと、仁豊野巡礼のときに私が泣いて、それを翌日に説明した方々が、
今回のことも考えてくださったんだと思う。
幸せな一年のスタート。ここまで来るのに長い道のりだったけど、勝利の獲得のような気分。

そのあと、帰省中の同じ学校の子(健常の同世代)と喋って帰った。
「久しぶり~」みたいな普通の話。めったにできない「普通の」話。
喋れたことに感謝。



最寄駅まで出て、午後から祖母のお見舞いに行こうか、どうしようか考えつつ、ジャンクを食べていたら、また別の帰省中の学校のお友達からお誘いが。
お見舞いはまたにして、厚かましく元旦からお邪魔した。ひゃっほ~

なんか、うちにない「平和な日本の家族のお正月」って感じだった。
至れり尽せり、きっと実家に帰るってこんな感じなのかも?と想像。
おいしいものをいただいて、(きんとんやら久しぶりにバクラバ頂いた!アラビア人と付き合ってた頃以来だから、12年ぶりくらいだ)
さっき教会で喋っていた子も合流して、
こたつの中で姿勢ゆるゆるで、お茶頂いて
たぶん「リラックス」ってこういうことなんかも?
と思いながらいろいろ喋った。

新しい出会いに感謝。(私は「知ってた」子だけど、教会で年に数回会うだけだから)
ご招待くださった友達とご両親に感謝。



帰りはお父さまに車で送っていて(どこまで厚かましいんだ)
カーシートが温かくなってきてびっくりして、
素敵な素敵な一日・元旦・一年の始まりだった。


絶対今年は素晴らしい一年になるはず。。。

私にも選ぶ権利を。

2011年11月16日 14時19分06秒 | カトリック
うちの教会の毎年の巡礼が、土曜日にあった。
今年は仁豊野へ前の司祭に会いに行くというものだった。
今まで教会行事は痛みもあるし、バスだし「私は対象外」的な気持ちがあったので、参加する意思もなかった。

だけど今年は、お掃除と委員会が一緒の方が誘ってくださり、バンを出して私が寝転んで行ける様に手配してくださった。仁豊野は電車で二~三回お邪魔しているので、「司祭に会いに行く」というよりは、共同体の一部になるために、ありのままの私で一部になるための「挑戦」という感じだった。

私が巡礼に参加するということは、こうやってバンを出してもらったり、司祭の部屋へ休憩したり、プログラムの一部に参加しなかったり、考慮が必要になる。
でも、私も共同体の一部なんだから、そしてやっと「声」を持てるようになったから、参加してみようと思った。

カトリックには社会活動を管轄するデスクが司教座(大阪は玉造)にあって、その中に障害者のグループもある。でも、何回誘われても、私が意図するところとポイントが違うので参加していない。まあ、基本的に群れない、協調性のない人なんだけど、私。

道中はロザリオ一環やって、しおりの聖書朗読をやって、そのあとは素晴らしいお天気だったので私は空と雲に魅了されてしまって、ずううううううっとその話をしてた気がする。

仁豊野について、お昼ご飯は用意してくださっていたお弁当を、みなさんは食堂で食べてたんだけど、椅子も足りないとの事で、私は外でピクニック。
そしたらその前の司祭も着いてきて(しまい)、全部で6人で小さなピクニックになった。あらら。みんなのその神父様に会いに行ったのに、食堂からさらったみたいになっちまったよ。
芝生にはちいさなカエルもいて、私は寝転んで空の写真ばかり撮ってた。素敵な午後だった。

帰る前、記念撮影。
並ぶとき、時間がせいていたのもあるけれど、私に「真ん中の一番前に、前に」とみなさん。

私だって一番前はいやだし、まん真ん中はいや。
司祭の隣が嫌だとかじゃなく、車椅子で写真の中心がいや。
おじいさんとおばあさんと一緒に、ただ車椅子だからって理由で座らされるのがいや。優先座席に座っているような図柄はいや。

私は自分の場所を自分で決めたい。だから嫌だといい続けた。
でも、結局あまりに皆さんが進めるし、時間も堰いていて、結局前の列に。
私と司祭の間にはひとつの空席。真ん中の司祭の横は、みんな嫌がってこない。

私は誰か、私に関連のある人に座って欲しかった。
一緒に車で来てくれた方は遥かかなた。周りの私に関連性のある人は、嫌がって座らない。
…自分が拒否されたように感じた。

私はこの写真撮影に賭けていた部分もあった。
群れなくっても、共同体に「普通に」存在するって示したかった。特に、そのカトリックの障害者のグループに。(うちの教会はホームページがある)

だから仁豊野巡礼に参加したの。前の司祭にも、私は共同体に普通に存在するって示したかった。私の思う「普通」を見せたかった。示せば、理解はできなくても、知ることはできる。
でも、これで失敗したと思ったし、勝手に座る場所を決められたのが辛くて、悔しくて、ある人に説明している間に、ぼろぼろ涙が・・・
そのうち気持ちがどっと出てきて、号泣。とまらなくなった。

しゃくりあげてトイレに行く私を見つけた神父様(現)に、どうしたのか聞かれたけれど、うまく(日本語で)言葉にならず。。。
「そんな事で泣くの」きいいいいいっ。
英語だったらうまくいえるんだけど、パニックになると日本語はぽーんと飛んでいく。これは一種の私のアスピイからくる反応なんかしら。
特に教会で障害のことで何かにぶち当たったときに、日本語で説明できないと、私はぶちっと号泣モードになる。

でも帰りの車の中で(日本語で)いっぱい喋って、かなりすっきりした。

無事に帰れて「共同体の一部として教会行事に参加する」という目的は達成された。だから巡礼は大成功だった。
泣いたことで気がついてもらえたことも収穫だった。

次の日、「ただ単に写真の椅子の位置だけで泣いた」と思われたくなかったので、司祭に話した。でも「いい齢して泣くの」とばっさり。残念だったけどそれ以上は言わなかった。
私が泣いたことを見たり聞いた人が、昨日どうしたのか聞いてくださったので、何人かの教会の方々と(日本語で)話せた。理解者が増えた。怪我の功名?
「普通に」接してくれている方は、「接してくれている」つもりもなく、普通だということもわかった。空席に座ってくれそうな人は、巡礼に参加していなかったり、遥かかなたにいたり、ちょっと残念なシチュエーションが重なっていた。

昨日、フィリピンの女性の手作りおもちゃを販売するプロジェクトをしている、アイルランド人の女性にメールしたとき、その写真撮影話に触れた。
彼女の返事は私がなんでそんなに取り乱したか、わかる気がする、と。
ほっとした。

彼女が結婚した当時「早く日本人に(国籍じゃなくて)ならないと」って言われるたびに「アイルランド人で問題があるんですか?」って言い返したかったけど、日本語の語彙がなかったこと。
今は「日本人みたいですね」って言われたら「違います。りんごはオレンジになりません。あなたがアイルランド人みたいなんです」って言いたくなること。
だけど皮肉は何の役にもたたないので言わないこと。
言うときはホントにいらいらしたときだけ。
私になんのお咎めもなく、自分の体験で、私の体験との共通点(気持ちの)があるエピソードを話してくれた。
救われた。

でも、たいていの人は「もっと強く、いやって言えばいいじゃない」「席を移動してしまえば良かったんじゃない」「プレッシャーに負けなければいいんじゃない」
そうじゃなくて、「どこに座りたい?」とか、私の権利というか希望を聞くっていう基本的なことはどうなったの?
私にも気持ちがあるんだよ。

私はキリスト教会でなければ、写真撮影なんて場所はどうでもいい。
キリスト教会でなければ、勝手に席は移動している。
でも、キリスト教会だから、わざと、問題提議するために頑固に「いや」といい続けた。そうしないと教会のバリアフリーはないと思う。

権力に屈して、なあなあに過ごしていくのはとても簡単。
そうできたらどれだけ楽かと思う。
でも、バリアがほとんどない国で過ごした経験があって、価値観や体制の古い教会に存在する私。楽には生きられない。
信仰と宗教と教派は別だ。私はたまたまカトリック教会にいる。
ミサを捧げるだけじゃなくて、共同体にみんなが「普通に」存在することを、
権利や希望をあえていわなくても、お互い尊重しあえる教会を
(ほんとは社会を、世界をって言いたいけど、とりあえず目先の教会を)
作るために、私は私のままで、大泣きしても通い続ける。。。

存在そのもので遣える

2011年11月08日 13時15分50秒 | カトリック
うちの教会は、金曜日のミサの後、その二日後の日曜日にミサで読まれる福音の分かち合いがある。

先月末の福音の大きなテーマは「仕える者になりなさい」

私はキリスト者になったけれど、どうも引っかかっていることがずっとあった。
障害があって教会組織に存在していると、教会の外の社会よりも、なまじ隣人愛の教えがあるがために、間違った声かけがあったり、関わり方がパターナリスティックであったり、
すっと自分の存在価値が、教会にくると低くなっている気分になっていた。

私は優しくされたくて教会に行ったのではないし(冷たくされても困るが。撫で撫でみたいな)
むしろ力を得るために行ったのに、
優しくされすぎて(配慮されすぎて)小さく小さくなった。
組織の価値観がinclusionではないのね。

そこに持ってきて「遣えるものになりなさい」
私、なんにもできないやん。つかえられて、やさしくしてもらってばっかりやん。

この話になると、リジューのテレジアの話になる。
リジューのテレジアはすごい人かもしれないよ、だけど私はリジューのテレジアじゃない。

存在そのもので遣えてる、って言われても、特に存在が必要とされていると思えていない、
どう存在そのもので遣えればいいのか、ずっとわからないから答えがなかった。
そしてくやしくて泣いたの。私はこんな小さくない。

このパターナリズムには真剣に悩んでいて、あちこちの司祭や牧師先生に質問した。
でも聖職者からは、納得する答えは得られなかった。

補佐司教さまにお手紙を書いて、メールでお返事を頂いたときには、
司教さまは、日本の社会の障害者への関わり方の成熟度の遅れを認めて、
「その一部である教会も問題を抱えながらも内外に働きかけていき、
私は今の日本に足りない社会学とジェンダーの視点を持っているから、
その意味でも必要とされている」って書いてくださっていた。
でも、私自身は組織には必要とされているなんてまったく思えてなかったし、
むしろお荷物だろうと思っていたし、

・・・それが自分の純粋なカトリックの信仰とぶつかって苦しんだ。

信仰を持って教会の外では元気に生きていけるようになったのに、・・・なんか違う。
教会は罪人の集まりだから、社会の縮図。一歩入れば差別と偏見に満ちている。
わかってはいても、特に私はニュージーランドを知ってしまったから、苦しんで苦しんだ。
教会に来たら障害を感じ、できない自分、申し訳ない、そんな思いに縛られて怖かった。
いろんな対立もあった。

そして英語のミサに出たり、ネットで英語圏のクリスチャンと繋がったり信仰を保とうとしたし、
いろんな本も読んで混沌とした世界を理解しようとした。

どうして障害をもって生まれてきたのか、この先の困難に対してどう立ち向かっていくか、
そういう信仰上の自分自身の答えは得られたのだけど、人との関わりについては悩んで悩んで。

分かち合いの次の日曜日。
どんなお説教になるのか楽しみであり、怖くもあった。
どうせ答えは得られないだろうという諦めもあった。

でも、答えが出た。
その神父様のお説教がこちら

私が金曜日から思い巡らしていたように、きっと神父さまもいろいろ考えてくださったのだろうな。。。

さ、、元気に生きましょう。
司教さまがおっしゃるように、もしかしたら、私の「行動はプレゼンテーション」っていうのが、私の使命かもしれないしね。












虚しいって?

2011年10月30日 23時27分23秒 | カトリック
先日、他の教会から、ある幼稚園の園長のシスターをお招きして、お話をしていただいた。

そのなかで、彼女は幼児洗礼、つまり、子どものときに洗礼を受けたんだけど、
あるとき、二十歳くらいのころに、ある種の虚しさを覚えて、大人の信仰を持ったらしい。

私は成人洗礼。
喜怒哀楽はかなり激しく、ヒマが嫌いで、基本的にめちゃくちゃ忙しい。
だから、腹が立つとか、落ち込むとか、悲しいとか、ひまとか思ったとしても、
虚しいという言葉は、日本語の定義は知ってるし、小説で読んだって、
日常で使う言葉、そして、実際に感じる言葉だと思ってなかったので、地球がひっくり返りそうなくらい驚いた。

英語で聞いても、私には旧約聖書の中の言葉で、日常の人間の感情を表すと思ってなくて、びっくりした。

いろんな人が、どういう感情か説明してくれたけど、やっぱりわからない。

きっと、虚しさをわからない私は、とても幸せ。
だけど、私は虚さがわかる人が身近に結構いてびっくり。

今も、虚しさはわかりません。
でも、虚しいと思った事がある人がこんなに身近にいるって事は、

虚しさは…珍しくないんだよね…


それもそれで一大事よね…



ミサに出たはいいものの・・・

2010年12月17日 17時13分40秒 | カトリック
10:00の御ミサ。

いつものように教会の方が迎えにきてくださり、その辺を歩いていた男性に車椅子を車に積んでいただいて、出発。

昨日は癲癇の薬を飲み間違えて頭がチリチリしていたのと、手術前からのストレスが解消しきれず、久しぶりに「二号」と「三号」までもが出た。あまり記憶がない。
退院前にドクターには、二号や三号が出ないといけないくらい、しんどかったんだと言われたけれど・・・
やはり記憶が飛ぶと言うのは怖いものが・・・

更に、昨日も書いたように、あまりおなかの調子が良くないため、すぐに教会の車椅子トイレに行った。
今まではちゃんと二本の足で立てたから下着もパンツ(ズボン)も脱ぎ着できたんだけど、一時的なものなのか、支えがうまいことないと、それができない・・・

導尿をして、うまく立てなくて、床に座り込んでどうにかしようと頑張った。
そのうち、いつもよりやたらトイレに時間が掛かるのを心配した方々(一人は送迎をしてくださった方)が見に来てくださった。

なんとか片手ずつで身体を支えてぎりぎりまで下着も、パンツもあげたけれども、それ以上が上がらない・・・

「あげてあげるから、大丈夫だからドアを開けて」というオファー。
本当に嬉しいオファーだけど、さすがにそれは頼めず・・・
トイレの床は寒くてだんだん冷えてくるし、あまり後先を考えずにミサに来た自分を反省…


結局、代母さん登場。「ほとんど上げられてるじゃない。ちょっと支えになるものを工夫すれば、自分でできるようになるわよ」
・・・そうだといいけれど。
「それにね、もうみんな子ども産んで育て終わった歳なんだから、パンツ(下着の)やパッドや見たって驚かないよ。生理だってあるんだし、普通よ」

私が「自分を捨てて死ねない」だけなんだけどね・・・

そしてミサには家から大きなクッションを持参して、ひざ掛けと毛布と教会のお座布団で、リクライニングで与り、ミサの後にある、聖書のお話には、同じように長いソファでリクライニングで出席した。

手術前に望んだ様に、椅子にしゃんと座っては過ごせなかったけど、いろんな意味でたくさん助けていただいて、すごく感謝な一日だった。

膀胱直腸障害がおかしくなるのは、一時的と言われている。
だけど本当にこれが予測不可能になると、外出が厳しい。

しかしながら今日は、たくさんの方々の愛を受け取った。

やっぱり全ては善きに変わるんだね。