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古代日本誕生のロマン3

2012年07月01日 | ぶらり旅



前漢の鴻嘉3年(前18年)、高句麗の始祖である朱蒙の三子温祚が百済を建国した。(ウィキペディア)

高句麗語、百済語、倭語は、母音で終わる。

高句麗は、現在の中国東北部に位置する扶余で建国されたとされる。

高句麗の三子が初代百済王である。

そして、百済と加羅は、隣接した国

日本語は、この経路で言語が流れてきている可能性がる。

新羅が朝鮮半島を統一し、長い年月の間に高句麗、百済の言語は、風化したが、母音で終わる日本語は、生き残ったのではないか。

新羅は、今の韓国語(朝鮮語)の言葉そのものではないか。


これが私の想像です。


日本人の起源の探究が私の趣味です。

定年後、温かい台湾島にロングステイをしながら釜山、山口、福岡に歴史探究の旅をしたいと思っています。

荒削りな私の知識を磨き、古代日本のロマンに時を費やしたい。


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古代日本の誕生と東アジア2

2012年07月01日 | Weblog
倭国、百済連合軍は、唐、新羅連合軍に大敗した。

それ以降、日本の歴史の中で豊臣秀吉の朝鮮出兵までは、ほとんどない。

さかのぼる事200年前

朝鮮半島の南部に倭国の植民地が有った。

などとネットサーフィンをやっていると

そう主張する方々がいる。

実際は、どうだろう。

前回のブログで弥生人と縄文人のDNAが違う

そう結論づけました。

それを前提に

朝鮮半島からの渡来者は、原住民(縄文人)を何らかの形で支配し倭国を形成したのではないか。

私は、そっちの意見を支持する。

その方が合理的です。

当時の朝鮮半島は、南部は、加羅。

西部は、百済。

東部は、新羅。

三韓ですね。

現在のソウル付近は、髄が高句麗を支配し

ほぼ、髄の支配地域になっている。

よって、倭国王は、加羅王でもある。

当時の加羅王は、百済や新羅よりも優位に立っていた可能性が有る。

重きには、軍事の面だと想像がつく

キム・スロの歴史ドラマでは、鉄の精製技術に長けていた。

こんな史実も有る。

倭国王が百済、新羅を率いて

高句麗に何度も戦を挑んだ。

(中国の史実書より)



次回は、言語のお話をしたいと思います。
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