釣釜では使用しないとお話した五徳について。円形の輪から3つの柱が立ち上がり、釜がかけやすいよう、先端が内側に曲がり爪状になっている器具。小さいですが大切な道具です。昔、火鉢があった時代にはどの家庭でも五徳を使っていたようですが、今はガスコンロやIHになってしまい、ほとんど見られませんね。私も茶道に関わらなければ見ることもなかったかもしれません。
炉と風炉では微妙に形状が違います。
炉の五徳は大ぶりで下部の輪は円形になっている。
風炉の五徳は小ぶりで下部の輪の一部が切れていて、前瓦を立てやすいようになっている。
初期の風炉は切掛や透木を用いたので風炉に五徳を据えるようになったのは炉より後のこととなります。
また、小さいながらも爪の形も色々工夫されています。小爪・中爪・長爪・鴨爪・蝮爪・平爪・銀杏爪・瓦爪・笹爪・芋爪・法蓮爪・蓬莱爪など。
ところで何故この器具が五徳と呼ばれるのか、不思議じゃありませんか?
調べてみたのですが、唯一それらしい説明としては、“五徳はもともとかまど(京都の言葉で「くど」)の中にあった物「くどこ」をひっくり返して使用したのでこの名がついた。民具から転用した道具である。三脚は火が燃えるのに必要な要素、風・土・水を表す。“というものでした。
では、「くどこ」とはどういうものかと思いましたが、こちらはわかりませんでした。五徳の由来や「くどこ」がどういう道具かご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
ちなみに五徳という言葉自体の意味を調べてみると、中国の儒教の教えに突き当たりました。五徳=五行=五常とも言い、天に由来する五つの「徳、仁・礼・信・義・智」を表している。中国皇帝が国を治める徳として上げられ用いられたもの。聖徳太子の冠位十二階もここからとられているそうです。「仁」とは人を思いやる心・「義」とは正義を貫く心・「礼」とは礼を尽くす心・「知」とは知恵を磨く心・「信」とは人を信じる心、この実践を説いているのが儒教。これ以外に五徳には「地、水、火、風、空」や「温、良、恭、倹、譲」の言葉を当てはめる場合もあるようです。
徳の原字は「悳」にあり、生まれたままの素直な心で生きることを意味するそう。
五徳の意味を調べると、儒教から仏教・禅の精神にも繋がってきます。となると、茶道との関わりも深い気がするのですが、道具の五徳との繋がりは不明です。
京言葉で「くど」と呼ばれる竈、日本人は昔から米を炊き、食べ物を作る台所や竈を神聖なものとして大切にしてきました。敬称をつけておくどさんと呼ぶことも多かったそうです、大晦日、八坂神社で新しい年の竈に神聖な火を頂くおけら参りもそうした竈や火への思いが今に受け継がれている習慣といえるでしょう。そうした意味でも、食べ物を火にかける為に必要とされた五徳は小さいながらも大切な道具だったことは間違いありません。
釜を乗せるだけの道具ですが、考えるほど不思議な名称です。
炉と風炉では微妙に形状が違います。
炉の五徳は大ぶりで下部の輪は円形になっている。
風炉の五徳は小ぶりで下部の輪の一部が切れていて、前瓦を立てやすいようになっている。
初期の風炉は切掛や透木を用いたので風炉に五徳を据えるようになったのは炉より後のこととなります。
また、小さいながらも爪の形も色々工夫されています。小爪・中爪・長爪・鴨爪・蝮爪・平爪・銀杏爪・瓦爪・笹爪・芋爪・法蓮爪・蓬莱爪など。
ところで何故この器具が五徳と呼ばれるのか、不思議じゃありませんか?
調べてみたのですが、唯一それらしい説明としては、“五徳はもともとかまど(京都の言葉で「くど」)の中にあった物「くどこ」をひっくり返して使用したのでこの名がついた。民具から転用した道具である。三脚は火が燃えるのに必要な要素、風・土・水を表す。“というものでした。
では、「くどこ」とはどういうものかと思いましたが、こちらはわかりませんでした。五徳の由来や「くどこ」がどういう道具かご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。
ちなみに五徳という言葉自体の意味を調べてみると、中国の儒教の教えに突き当たりました。五徳=五行=五常とも言い、天に由来する五つの「徳、仁・礼・信・義・智」を表している。中国皇帝が国を治める徳として上げられ用いられたもの。聖徳太子の冠位十二階もここからとられているそうです。「仁」とは人を思いやる心・「義」とは正義を貫く心・「礼」とは礼を尽くす心・「知」とは知恵を磨く心・「信」とは人を信じる心、この実践を説いているのが儒教。これ以外に五徳には「地、水、火、風、空」や「温、良、恭、倹、譲」の言葉を当てはめる場合もあるようです。
徳の原字は「悳」にあり、生まれたままの素直な心で生きることを意味するそう。
五徳の意味を調べると、儒教から仏教・禅の精神にも繋がってきます。となると、茶道との関わりも深い気がするのですが、道具の五徳との繋がりは不明です。
京言葉で「くど」と呼ばれる竈、日本人は昔から米を炊き、食べ物を作る台所や竈を神聖なものとして大切にしてきました。敬称をつけておくどさんと呼ぶことも多かったそうです、大晦日、八坂神社で新しい年の竈に神聖な火を頂くおけら参りもそうした竈や火への思いが今に受け継がれている習慣といえるでしょう。そうした意味でも、食べ物を火にかける為に必要とされた五徳は小さいながらも大切な道具だったことは間違いありません。
釜を乗せるだけの道具ですが、考えるほど不思議な名称です。
「くどこ」は、たぶんお釜をのせるための台のことですね。学校の理科の実験で、三脚の台の上に石綿金網を置いて、アルコールランプを使いましたが、その三脚の台を大きくしたようなものではないでしょうか。
m-tamagoさんは裏千家の今日庵に行かれたことはありますか?
私は裏千家と表千家は近所にあるというのは地図で知っていたのですが、ほんとにお隣同士だったんですね。実際に見て、ちょっと驚きました。
という本の中で かかれていました
そのまま引用するのも 何ですので ご一読下さい
驚いたのは 蓋置きの五徳が 風炉や炉の五徳のミニチュアだと思っていたが違っていたことでしたぁ
ないのですか?そう思いこんでいました。
五徳の蓋置きといえば。。何年も前のことです。
福岡の遠州のお席で
焼き〆の平水差しに五徳の蓋置きを
淵に掛け 円形の輪のところから花を生けてありました。
広い口の花入れに 花を留める為に使われていたのでしょうが、お家元の粋な生け方が今も目に焼きついています。
いつかこのように生けてみようと思っています。
が、なににでも語源がありますよね。
茶道で使う五徳では有りませんが、私の小さい頃
茶の間にある箱火鉢に使用していた長方形の五徳は
祖母が朝一番にぴかぴかに磨き(流しで砥石を使う)
灰を篩い、炭を置き、鉄瓶で湯を沸かすのが
日課でした。
表流では「7種の蓋置き」の一つ五徳は
一つ爪を向うにして置き、釜の蓋を取るとき
打ち返して、輪を上にします。
炭をじっと見てました、餅焼いてもらったり。
五徳の由来、調べると面白そうですね。
東京では”くど”という言葉は使わないので初めて知りました。
くどこのことも教えて下さってありがとうございます。
アルコールランプの三脚台ですねー、なんとわかりやすい。
>m-tamagoさんは裏千家の今日庵に行かれたことはありますか?
私は門のところまでは行った事があります。そう、お隣同士なんですよ。もともと1つだったのを、玄々斎の頃、門を分け、間に壁を作って今のようになったそうです。宗家研修やついたち稽古に行けば入れるようですが、いつか。。。。。
ありがとうございます。
蓋置の五徳はミニチュアではないのですか、なかなか興味深いですね。
遠州流のお席での話、花留めに代用するとは思いもつきませんね。そういうサプライズいいですねえ。
スジャータさんが生けたら是非紹介してください。どのようなものか拝見してみたいです。
おばあさまの日課、昔は炉を整え、火をおこし、湯を沸かすのがどの家でも朝の仕事だったのでしょうね。大切になさっている様子が目に浮かぶようです。
>表流では「7種の蓋置き」の一つ五徳は
一つ爪を向うにして置き、釜の蓋を取るとき
打ち返して、輪を上にします。
裏は、建水に仕込む場合と蓋置として置く時は輪を上にして、棚に飾る時は輪を下にして使用します。
台子・長板総荘では輪を下にして建水に仕込み飾ります。
炭で焼いてもらった御餅って特別な味がしましたよね。
焼きあがるのを待つまでがまたいい。
五徳の由来、またご紹介頂いた本など読んでわかったら書き込みますね。