2.習いつつ見てこそ習へ習はずに 善悪言うはおろかなりけり
とやかくいうなら習ってみてからにせよ。習いもせずに良い悪いを述べるのは愚かなことである。
納得の言葉である。
見ているだけど、実際やってみるのとでは、大きく違う。昔はあまり感じなかったが最近は頓に感じる。簡単にやっているように見えても、いざ自分がやってみるとできなかったりする。見ていて美しいと感じる所作や芸道の裏には、実は大変な地道な努力が隠れていたりする。
お茶のお稽古では、新しい動き、茶壷の扱いやお稽古道具の準備など、見るだけとやるのでは大きく違うと感じる。普段先輩がやっていることを見ることも勉強にはなるが、では、実際自分の番になると、思ったようには手が動かず、不器用で美しくなかったりする。何事も経験してこそ、回数を重ねてこそなのだ。
先日のお稽古では、いつもてきぱきと準備してくださる正教授の方がお休みで、仙遊の準備をした。炭、花台、香盆の準備、見てはいたものの、やってみると記憶が定かでないこと、手が思うように動かないことに気づいた。いい勉強をした。
自分がやりもしないのに、批評するだけの人間にはなりたくないものである。頭と身体両方をバランスよく使って精進なくてはと思う。
とやかくいうなら習ってみてからにせよ。習いもせずに良い悪いを述べるのは愚かなことである。
納得の言葉である。
見ているだけど、実際やってみるのとでは、大きく違う。昔はあまり感じなかったが最近は頓に感じる。簡単にやっているように見えても、いざ自分がやってみるとできなかったりする。見ていて美しいと感じる所作や芸道の裏には、実は大変な地道な努力が隠れていたりする。
お茶のお稽古では、新しい動き、茶壷の扱いやお稽古道具の準備など、見るだけとやるのでは大きく違うと感じる。普段先輩がやっていることを見ることも勉強にはなるが、では、実際自分の番になると、思ったようには手が動かず、不器用で美しくなかったりする。何事も経験してこそ、回数を重ねてこそなのだ。
先日のお稽古では、いつもてきぱきと準備してくださる正教授の方がお休みで、仙遊の準備をした。炭、花台、香盆の準備、見てはいたものの、やってみると記憶が定かでないこと、手が思うように動かないことに気づいた。いい勉強をした。
自分がやりもしないのに、批評するだけの人間にはなりたくないものである。頭と身体両方をバランスよく使って精進なくてはと思う。
一年前から灰形を習いに行ってますが、見ている分には簡単そうに見えたのに、習ってみるとめちゃ難しい~。
と、一年経ってもひしひしと感じております。
灰形、習いに行っているんですね。私は先生のお宅でみようみまねなので、ちゃんと習いたいなあと思っているところです。
熟練の方がひくとすーっと綺麗な表面になるのに、自分がやるとそうはならない。同じようにやっているようでも全く違うんですよね。
頑張りましょう!
これ、私の一番好きな(?)道歌です。
たまごさんの書いておられるように
やりもしないで批判するひとにはなりたくないですね。
茶道だけでなく、他のことでもね~~。
利休百首は、簡単なようで実はとても難しいことを教えていて、とても奥の深い教えですね。
一番好きな道歌ですか。
おっしゃる通り、利休百首は当たり前のことでありながら、実践できていないことが多くて、はっとさせられます。時々読み返して気を引き締めます。