どこかで一度は耳にしたことがあると思うが、和敬清寂という言葉。これは、千利休が茶道のあり方について述べた四規七則のうちの、四規である。
和は人との協調性を大事にすること、
敬は目上の人や客を敬うこと、
清は心清らかに、
寂は心静かに穏やかに、ということだろう。
続く七則、
茶は服のよきように点て 飲む人がおいしいと感じる服加減にお茶を点てて
炭は湯の沸くように置き 炭は頃合よくちょうどよい加減の湯が沸くように置いて
冬は暖に夏は涼しく 春も夏も過ごし易い環境を整えて
花は野の花のように生け 花は野に咲くように自然に生けて
刻限は早めに 時間には余裕をもって
降らずとも傘の用意 何事にも心がけ、怠らず準備を整えて
相客に心せよ 全ての人をもてなそうとする気持ちを忘れないように
初めて読んだ時はまだ茶道を始めて浅く、なるほど位だったのだが、今はすごいなと思う。あまりに当たり前のことなので初め読んだ時は言葉通りに受け止めるだけだったのだが、お茶を習ってみると、結構この自然にちょうどよい具合というのが難しいし、基本的だけれど大事なことだと気づいた。お客が当たり前のように自然に楽しく感じるように、如何に蔭で細やかな気配りがなされているか、お茶を習い続ける程深く感じる。
最近、個人主義が横行しているが、普段の生活でも蔭で支えてくれる人がいることを忘れず、自分もさりげなく相手が心地よく感じるよう心遣いをしたいもの、そしてお互いに感謝しあえる関係を築いていきたいもの。
言葉って、自分の見る風景が変わると持つ意味や感じ方も変わってくるものですね。
和は人との協調性を大事にすること、
敬は目上の人や客を敬うこと、
清は心清らかに、
寂は心静かに穏やかに、ということだろう。
続く七則、
茶は服のよきように点て 飲む人がおいしいと感じる服加減にお茶を点てて
炭は湯の沸くように置き 炭は頃合よくちょうどよい加減の湯が沸くように置いて
冬は暖に夏は涼しく 春も夏も過ごし易い環境を整えて
花は野の花のように生け 花は野に咲くように自然に生けて
刻限は早めに 時間には余裕をもって
降らずとも傘の用意 何事にも心がけ、怠らず準備を整えて
相客に心せよ 全ての人をもてなそうとする気持ちを忘れないように
初めて読んだ時はまだ茶道を始めて浅く、なるほど位だったのだが、今はすごいなと思う。あまりに当たり前のことなので初め読んだ時は言葉通りに受け止めるだけだったのだが、お茶を習ってみると、結構この自然にちょうどよい具合というのが難しいし、基本的だけれど大事なことだと気づいた。お客が当たり前のように自然に楽しく感じるように、如何に蔭で細やかな気配りがなされているか、お茶を習い続ける程深く感じる。
最近、個人主義が横行しているが、普段の生活でも蔭で支えてくれる人がいることを忘れず、自分もさりげなく相手が心地よく感じるよう心遣いをしたいもの、そしてお互いに感謝しあえる関係を築いていきたいもの。
言葉って、自分の見る風景が変わると持つ意味や感じ方も変わってくるものですね。
このブログはお茶のことはいろいろ勉強になり、ありがとうございました。2年くらい前お茶を習い始め、その知識はまだ浅いですが、四気七則と教わってきました。つまり四つの気持ちと七つの規則ということではないでしょうか?もしかして、自分が勘違いしているのではないかと自身がなくて、、
私は四規七則と習いました。
本でも四気七則と書いてあるものを見たことはありませんが、習っていらっしゃる先生に確認するか、ご自身でいくつか本を調べて確認してみてください。
私も自分のブログの中でこの言葉を取り上げました。トラッドな服装が好きで、シンプルなことに通じるものがあると前々から思っていました。今こうして楽しめるのはトラッドを着続けてきたおかげ。感謝に尽きます。
トラッドな服装がお好きなのですね。ピシッと服装を決めると心も心地よく引き締まりますよね。何事もsimple is bestと私も感じることが多いです。
おっしゃる通り、目上、目下であろうと敬う気持ちに変わりはないものと私も思います。茶席では招く招かれる立場の違いしかないというのもおっしゃる通りです。
目上の方は、人生の先を生きてきた先輩として、茶席という場所だけではなく、常に尊敬し、謙虚な気持ちで接するべきと考えています。
茶の道は、禅の道に繋がりますから、四規七則も人としての生き方として、「目上の人や客を敬う」のではないかと思っての記載でした。
読んだ人が間違えて覚えてしまうと大変な
かつ重大な誤字だと思われるので、ここにひとつ記しておきます。
昔の記事を全部読み返すことはなかなかないので、また何か間違いを見つけましたら宜しくお願い致します。