父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月26日

2005-07-26 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
26日  (日)  曇り 涼し

今日は聯隊長の内務巡視、本部は午后なので午前はその
準備。大野隊の大野中尉の所へ遊びに行って無駄話をする。
午后は本部が一番先の巡視、聯隊長はあっさり簡単に
見られる。車廠まで見て、二時頃に終ってしまふ。
夕方は将校団の会食。六時より将集にて。戦後の第一回の
将校の会食。佐藤軍医が某隊へ転属の内令があり、其の
送別会も兼ねる。○重22とか言ってゐたが、召集解除の前
ぶれではなくて比島か仏印の外地部隊ださうだ。佐藤軍
医が、がっかりする事。
今夜は随分呑まされて、大変酔った。ふらふらになって兵舎へ
帰る。点呼は下士官にまかせておく。岩本は酒の気嫌で出か
けて行った。病気で寝てゐる鈴木中尉と新井中位と三人将
校室でおとなしく寝る。
又今日、Rstにパラチブス保菌者が出て隔離期間
が長くなり、来月二日の記念祭は中止にすると副官が言
ってゐた。こんな委員なんかやらされるんなら紀念祭など
中止してしまった方がいゝ。いづれ又日を改めて実施するのだ
らうが、僕達が召集解除になったあとでやって貰ひたいも
のだ。お客さんとして何もやらせないで招待して呉れるんな
ら別だが。
将集解除も未だ何時の事かさっぱり分らない。佐藤軍医
の転属が内命があった位だから、我々の招集解除も、近
ければもう内命があってもいい筈だ。八月一日の召集解除
は駄目か。R長も副官も此の八月の異動には転属
になるものと予期してゐた所、未だに内命も何もなくて、がっ
かりしてゐるとか。

 内務巡視 将校会食

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昭和17年7月25日

2005-07-25 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
25日 (土) 小雨、涼し

昨夜冷えすぎたか、今朝、すっかり風邪をひいてしまった。
咽喉が痛くて仕様ない。
今日は昼から砲兵司令官北島閣下の初度巡視
があるので午前は舎内外の清掃、将校室もきれいに
する。
正午に部隊全員営庭に整列し、閲兵をされる。
将校は将集で伺候式があり、中食は会食、僕が
閣下に酒を注ぎに行ったときに野重七で御世話にな
りましたと言ったら、聯隊長が此れは一番古い将集将校で
自動車の権威です、と言ふ。もう直に将集解除をしてや
るよなんて言ふ。閣下も古いものはどんどん帰さねば
不可んねと言はれる。午后営内巡視がある筈だった
が雨がひどくなって自動車でざっと巡はられて帰ら
れる。
今日から週番。いつでも勤務の始めには僕に
やらされるのでかなはぬ。もう直に召集解除が
近いと言ふものを勤務なんかにつけなくてもよさ
さうなものだが。
夕食の帰りに三中隊へ寄る。石原、古江少尉等と
話をする。三中隊では木村大尉及片岡准尉の
比島戦線に於ける徴発がものすごいさうだ。
今日三中隊から赤痢が発生して隔離、
伝染病が出て来月二日の記念祭が中止になれば
いゝ。計画委員なんて全く嫌だ。
今夜は巡察23時。

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昭和17年7月24日

2005-07-24 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
24日 (金) 小雨 涼

今日は、聯隊紀念祭の命令案を作るのと、各中隊○出し
の下士官兵の人選等に各隊を巡って歩く。一日がゝりで
忙しい事。
今日は最后の日直で、僕の番に当ってゐるのだが明日からの
週番が僕なので今日の日直は新井中尉にやって貰ふ。
夜、腹が減って、岩本と崎山と三人で山を下る。一富士へ行って、
ヤキメシを食って帰る。ウドンを食べたかったがない。
十二時頃寝る。

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昭和17年7月23日

2005-07-24 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
23日 (木) 晴れ 涼し

午前に聯隊本部、森田少佐の所へ行って紀念祭の連絡
今度の紀念祭は委員が我々招集将校ばかりで現役将
校や中隊長連中は一人も加はらぬ。青木大尉等は自分
がやりたくて仕方がないらしいが、やらせないので気嫌悪いらしい。
森田少サに言ったが、中隊将は忙しいからお前たちでやれと
言はれてしまふ。飯田中尉にも連絡する。委員及助手の任
命の命令を早く出さねばならない。計画委員も忙しい。
午后は二時間許り昼寝する。その后各隊へ廻って隊長から
委員助手の下士官の撰室を頼んで廻る。途中でやめる。
四時頃入浴する。
夜、密着印画をやったが印画紙が古くてカブッてゐるため
皆真黒になってしまい駄目。途中でやめる。大連の旅館
の娘さんに送るのもうまく出来ないので駄目だ。
九時頃、フィリピンから持って来たラヂオを始めて聞いてみる。
徴発のラヂオでフィルコの優秀なもの。始めてロシアのデマ放送
を聞く。九州ナマリの日本語でモスコーから短波放送をやっ
てゐた。独ソ戦の戦況をソ聯が大勝してゐるやうに
報じてゐる。1942年中にはソ聯はドイツを壊滅して
しまふ予定だと。大したデマだ。
もう手紙は出せるのだがまだ家へ手紙を出さぬ。もう二ヶ月
か、三ヶ月位家へ手紙を出さぬ、家でさぞ心配してゐる事だ
らう。明日は是非書かねばならぬ。
十時半頃寝る。

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昭和17年7月22日

2005-07-22 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
22日 (水) 晴れ 涼し

午前はⅡst長の所へ、紀念祭の事について連絡に行く。
本部へ寄って副官と森田少佐に会ひ、紀念祭の打ち合せ、
午后、黒河へ連絡に行く。黒河神社に慰霊祭を挙
行するので八月二日にやって貰ふやうに頼む。同行新井
岩本中尉。其の他数ヶ所を連絡し、一龍とニューギンザ
ゴールドへ寄って帰る。帰隊八時半。本部の将校室に
中村、大野中尉等が来てゐる。あとから又崎山、上島中尉
等が来て、十時頃まで無駄話。十一時就寝
八ヶ月ブリで黒河へ行ったが大部変ってしまった。食
堂へ行っても何も食べられぬし、飲みに行ってもつまらぬし、
昔日の面影なし。甘いものが少し出て来たやうだ。今日
は神武屯の13i安藤部隊の外出日だが兵隊の
数も至って少ない。少し活気がなくなったやうな気がする。


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