父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月18日

2005-07-18 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
18日 (土) 晴れ 時々小雨あり 涼し

昨夜おそかったので眠かったが六時半頃起床。七時
点呼。今日の日課は兵器の手入れ。青木大尉は今
朝は朝礼に間に合ふやうに出勤して来る。
今日も退屈な一日。朝の中、車廠へ、手入状態
を見に行き、それからRstへ行く。Rstの残部も
今朝早く到着したらしい。
午后は、本部事ム室へ兵器関係書類を見に行く。
随分来てゐる。第一大隊長森田少佐が来てゐて、色々
話をする。今月末に軍の兵器検査があるのださうだ。
その他、慰霊祭、記念祭等が今月中にあって忙しい
事。兵器掛として兵器検査の事が心配なのでRst
へ行って藤原少尉に連絡してみる。藤原少尉はそ
の件で明日孫呉軍司令部へ連絡に行くのださう
だ。佐藤中尉、藤原少尉等と又本部事ム所へ行き
森田少佐と話す。石井大尉も来てゐて、森田少サが聯
隊の今后の行事に就き盛に協議してゐる。兵器
に関係する事は今后僕は一切関与しないでいゝ事
になる。兵器掛はR本部の事だけやってゐればいゝの
でR全般の事や隊外交渉等はやる必要はな
かったのださうだ。森田少サが今日はっきりと言はれる。
戦争間、佐藤中尉に言はれて散々兵器部等に交
渉、連絡に行ったのは兵器係の任務外の事だったの
だ。すっかり苦労してしまった。もっと早く言って呉れれば
よかったのに。まあいゝ。今月末の兵器検査は僕の周
知した事ではなく、計画も何も作る必要はないわけだ。
助かる。又木村中尉が兵器委員として活躍せねば
ならなくなった。佐藤中尉は勿論、兵器委員だ。
森田少サの口振りでも我々は近く召集解除にな
りさうだ。見習士官の補充は今の所ないらしいが或
ひはあとから又補充されるかも知れない。来月当り、召集
解除になるのではないか。R隊長も八月には異動されるか
も知れない。その為に今月中に慰霊祭も、凱旋祝賀会
も皆やってしまふと言ふのだ。20日に部隊の集結を終り
それから僅か十日間位で色々な行事をやるのは大変な事だ。
四年次兵は今月末に召集解除になるらしいし、初年兵は来
月には入って来るだらう。我々も来月中には何とかなるらしい。
あゝもう少しだ。
家へ久しく手紙を書かない。心配してゐる事だらう。バタン
が陥ちる前に出したきりだからもう三月も便りをしてないか。
その中に便りをしやう。
野淵少尉が夜孫呉から帰って来て、我々の召集解除の話
をする。服部参謀の話によると八月中には四年兵及召集兵
の一部を帰し、初年兵を迎へ、召集将校は我々古いものを召集解
除にするとの事だ。見習士官は現在割当はないが他部隊へ
行った者の中から数名を野重一に配属換するとの事。此れ
で大体我々の召集解除の事は畧畧確実となったわけだ。
八月中には何とかなるだらう。今夜は嬉しい事、おびたヾし。

人気blogランキング 元祖blogランキング