父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月16日

2005-07-16 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
16日 (木) 晴れ 涼し

昨夜、二時頃孫呉着、去年、関特演で整備として召集
された将校、我々が南へ動員された時残留になって将
校の山田少尉が我々を出迎へに出て呉れる。今は孫呉
の野砲一にゐるとか。今第四軍は部隊増設々々で召集
解除なぞ思ひもよらぬと。孫呉で此れから九〇野砲
数ヶ大隊と野砲一ヶ聯隊が増設されるので山田少
尉等は九〇要員として毎日自動車操縦の訓練をし
てゐるとか。野重一には今度の見習士官は皆他部隊
は行ってしまって、来ないと。これでは我々の満期もいつの事か
分らなくなってしまった。感心せぬ情報ばかり。
神武屯で朝食を受領する筈の所を孫呉で受領す
る事になる。三時頃孫呉出発。
朝水で夜が明ける。朝水と○琿の間で雨の為に線
路が壊れて、汽車不通、朝八時頃に復旧の予定と言ふのに
予定の如く復旧せず。午后三時にやっと復旧する。神武屯に
は九時に到着する予定がすっかりおくれてしまふ。朝
水で計画以外の給養、中食を612部隊から受領
する。朝水はつは三時半頃○琿に入る手前から
水が出て線路がすっかり緩んでゐる。列車は最徐
行で走る。神武屯着は五時半頃。七時頃に全部
人員器材共卸下終了。懐かしの部隊へ八時頃到着
少しも変ってゐない。今迄○重隊が入ってゐたとか。
Δ中隊へ入る。此の兵舎は電灯が壊れてゐて真暗、ローソク
をつける。前に居た兵舎なので着いた許りだがすっかり気持
が落着く。半年振りに鉄の寝台に就寝する。あゝ遂に神
武屯に来てしまった。もう二度とは見る事はないだらうと思っ
てゐた神武屯。
もとの谷津部隊49iは今はもうゐない。北安へ行って
いまったとか。そのあとへ又何処かの歩兵が入ってゐる。
官舎は中隊長のだけ空いてゐてあとはまだ空いて
ない。多分営内生活。兵士ホームも谷津部隊と一緒
に北安に引上げてしまったとか。

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