父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月28日

2005-07-28 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
28日 (火) 晴れ 涼し

今朝、副官から八月二日の紀念祭は延期になったから
招待状を出した所へ断り状を出すやうに言はれる。有難い、
紀念祭が中止になれば委員もしないで済む。八月中旬
に延期とか言ってゐたが八月中旬ならば我々の召集解
除も近いから委員はさせないだらう。
聯隊本部の週間予定表を作らせられる。指揮班長
が何も計画も指示もしないので、いゝ加減に作って
おく。今週は兵器の整備週間なので兵器の手入れ
許りだ。
午后は、週番を一時、岩本中尉と交替して、黒河へ行く。
紀念祭が延期になったので黒河神社其の他へ断
りを言ひに行く。大野中尉と一緒に飯田隊の乗用
車で行く。用事が終ってから雑誌を買って、ロシア料理
を食べに行く。此の頃黒龍江の河岸に出来たと言ふロシ
ア料理ザハロフとか言ふ、三階の食堂で対岸がすっ
かり見渡せる。急造の木造屋だがなかなかきれいだ。
ソ聯は目下対独戦争で死の苦しみをなめてゐるのに
此方の満州国はこのやうに楽しい国土だと言ふのを
見せびらかす為に、わざわざ黒河の特務機関で作
らせたのだと言ふ。随分時勢が変ったものだ。我々
将校は制服のまゝで大いに歓迎すると言ふのだから
変れば変ったものだ。もとは軍服で河岸へ行っても不
可ないと言ってゐたのに。此の料理店ではロシアの乙女
が数人ゐてサービスするし、ロシアの音楽はジャンジャン
鳴らす。黒河にもこんな所が出来たかと嬉しくなる。料理
はうまいけれども高価だ。大野中尉と二人で四品
ばかり取ったら16円もかゝった。どうもマニラのやうな工合
にはいかない。えいがをみて行きたかったがやめて早く
帰る。
今夜から防衛演習がある。31日迄。今夜は早速
燈火管制があり、明朝は非常召集がある筈。悪い時に
週番についたものだ。十一時頃寝る。

人気blogランキング 元祖blogランキング