父の日記 昭和17年

昭和17年の日記 
ようやく召集解除 神武屯を発ち東京へ向う

昭和17年7月25日

2005-07-25 | 昭和 (父の日記 昭和17年) 
25日 (土) 小雨、涼し

昨夜冷えすぎたか、今朝、すっかり風邪をひいてしまった。
咽喉が痛くて仕様ない。
今日は昼から砲兵司令官北島閣下の初度巡視
があるので午前は舎内外の清掃、将校室もきれいに
する。
正午に部隊全員営庭に整列し、閲兵をされる。
将校は将集で伺候式があり、中食は会食、僕が
閣下に酒を注ぎに行ったときに野重七で御世話にな
りましたと言ったら、聯隊長が此れは一番古い将集将校で
自動車の権威です、と言ふ。もう直に将集解除をしてや
るよなんて言ふ。閣下も古いものはどんどん帰さねば
不可んねと言はれる。午后営内巡視がある筈だった
が雨がひどくなって自動車でざっと巡はられて帰ら
れる。
今日から週番。いつでも勤務の始めには僕に
やらされるのでかなはぬ。もう直に召集解除が
近いと言ふものを勤務なんかにつけなくてもよさ
さうなものだが。
夕食の帰りに三中隊へ寄る。石原、古江少尉等と
話をする。三中隊では木村大尉及片岡准尉の
比島戦線に於ける徴発がものすごいさうだ。
今日三中隊から赤痢が発生して隔離、
伝染病が出て来月二日の記念祭が中止になれば
いゝ。計画委員なんて全く嫌だ。
今夜は巡察23時。

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