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実は、こうした弊風は、何も高等学校だけに留まりません。大学入試を課す側の大学においても、こうした傾向は顕著に現れています。大学の場合、競うべき「実績」は就職先のよさや資格試験の合格者数ということになり、法学部なら司法試験・公務員試験、商学部なら公認会計士試験の合格者数が「よい大学の指標」となります。そしてそこには、大学当局側と学生側との馴れ合い、相互依存関係が見え隠れしているのです。
例えば、私が卒業したある私立大学の法学部では、司法試験や公務員試験の合格者数を増やして大学としての評価を高めるべく、大学自身が特別の受験指導機関を設置。受験生に情報提供や受験勉強の面で便宜を図っていました。それだけならまだ理解可能なのですが、かかる「合格者数の競争」は更に教授単位でも行われ、ゼミナール(研究会)の入会審査にあたって司法試験の択一成績表を以ってレポート提出に代えたり、司法試験委員(司法試験の問題を出題・採点する大学教授)の立場を利用して「自分のゼミで学べば出題傾向が把握でき、司法試験に有利」と喧伝する教授まで存在しました。学生側も、「司法試験受験生を優遇してくれるならここのゼミがよい」「このゼミに入れば、司法試験の出題傾向が把握できる」としてゼミを選択。通り一遍の研究活動で課題を片付け、あとはひたすら司法試験の準備に費やすことになります。
もっとも、現在の法学部の一般的なカリキュラムをこなしただけでは司法試験合格は到底おぼつかないため、学生の側も有名な司法試験予備校に通学し、いわゆる「ダブルスクール」をするのが一般的でした。しかも、「ダブルスクール」とは名ばかりで、実際には「私立大学の教授の異端学説は司法試験で問われる通説とは異なる」等として予備校の授業のほうを優先し、大学の授業は適宜欠席、試験のときだけ大学に戻り、予備校で習った知識で試験問題に答えるという学生が数多く見られました(その意味では、私の出身高校と同じ状況に陥っていたことになります)。こうした傾向は、予備校産業による、受験生の不安心理に漬け込んだ巧妙なPR(「早期にダブルスクールしなければ現役合格できない」等々)によって更に助長されることとなります。
結果、アカデミズムの場としての大学は空洞化し、「司法試験科目ではない」という理由で基礎法学(法社会学、法史学、法哲学、法と経済学、法文化論、犯罪学・被害者学など)は学生から徹底的に軽視され、法学部学生でありながらイエーリング(Rudolf von Jhering、1818年~1892年)やケルゼン(Hans Kelsen、1881年~1973年)の名前さえ知らないまま法学部を堂々卒業するという事態に立ち至りました。大学当局や教授の側が、明示的にせよ暗黙の内にせよ、自らの定める学問としてのカリキュラムではなく、資格試験の勉強を慫慂する等というのは、もはや大学がアカデミックな機能を自ら放棄し、目先の利害にとらわれた片端教育に陥っているという他ありません。最近、司法試験の制度が改革されて「法科大学院」(果たしてこれも「大学院」と称するに値するのか疑問で、実態に即して「法務高等専修学校」とでもすべきだったと思われます)が設置され、実務経験0の大学教授が作成した空虚な講義事例を問う試験一辺倒だった従来の方針が緩和されて、実務家による「過程の教育」(仏語でいうところのControl continu)が行われるようになりましたが、依然として「法科大学院」の評価は新司法試験の合格者数に左右されているようで、これでは制度改正の意義も半減しようというものです(個人的は、それでも司法試験という「足枷」が無くなったぶん、通常の法学部教育が「学問」に純化されるよい機会だとは思うのですが)。
卒業生の進路だけを学校の評価基準と考え、目先の「成果」にばかり拘泥する学生・保護者・社会と、それに対してアカデミズムとしての毅然とした態度すら示すことができない教職員(大学教授を含む)。そして、学生・保護者・社会の評価に怯え、少子高齢化の中で学校の経済的運営の観点でしか物事を考えられない学校長。それでいて、高等専門学校や専修学校は大学より一段下の評価しか与えられず、大学を、それも有名な大学を卒業することこそが大学通学の目的であり、大学とは一体如何なる場で、学生は如何なる身分であるのかを徹底的に錯誤する学生・保護者・・・。以上見てきたように、教育の空洞化は単に学校当局の問題だけでなく、そこには学生・生徒と学校の相互依存関係、共同謀議が存在していることは明らかです。私の出身大学の法学部の例で言えば、大学は優秀な学生に入学を許可して「有名大学の学生」というステータスを与え、就職時に便宜を供与することで大学としての「成績」を上げ、学生側もこうした大学のオファーに便乗して、「有名大学の学生」というステータスを保持したまま、実際には予備校等で勉強を重ね司法試験を受験。一般企業への就職に進路変更した場合には、学生としてのステータスを最大限に利用して有名企業に入社する・・・かかる相互依存的構造を根本的に改め、「何のために学校に行くのか」ということを問い直さない限り、今回の問題でいくつかの高校の履修漏れを是正し得たとしても、日本の教育の再生には到底至らないのではないでしょうか。