(写真)ベルギー・ブリュッセル市にあるEU本部(欧州委員会本部)ビル
2006年5月29日は、フランスが国民投票で欧州憲法条約を否決してからちょうど1年にあたります。
欧州憲法条約(ローマ条約、あるいは「欧州のための憲法を制定する条約」、Traite etablissant une Constitution pour l'Europe)は、2002年~03年の憲法草案起草協議会(コンベンション。会長:ヴァレリー・ジスカール=デスタン元仏大統領)によって起草され、2004年10月にローマで調印された欧州連合(EU)の基本的枠組みを定める条約であり、従来のEU・EC諸条約を廃して条文・制度を整理する(例えば、これまで単なる「集まり」に過ぎなかった「欧州連合」そのものに法人格を付与)とともに、「欧州共同体(EC、Euratom)、共通外交・安全保障政策(CFSP、警察・刑事司法協力(PJCC)」のいわゆる「三本柱」を廃止して条約内に一本化。各国の主権と密接に関わる外交・安全保障分野を除いて意思決定手続きも一本化され、欧州連合のあり方を明確化して統合を一歩進めるものとなる予定でした。
しかし、ジャック・シラク(Jacques Chirac)現大統領の決定で国民投票による批准を行うこととしたフランスでは、有効投票総数の54.67%にあたる1544万9508人が「反対」に投票。「賛成」の1280万8270票(45.33%)を上回り、批准は中止に(白票・無効票は73万522票、投票率は69.37%)。その後同年6月1日に行われたオランダでの国民投票(但し、この国民投票は諮問的なもので、法令上の拘束力は無い)でも反対(61.6%)が賛成を上回り、批准機運は一気に減速。元来欧州統合に懐疑的だったイギリスがこれ幸いとばかりに国民投票の延期を決めた他、批准作業を凍結・未定とした国がいくつか出てきました。
もっとも、その後現在までに、5月9日にエストニア議会が圧倒的多数の賛成(73対1)で条約を批准したことで賛成国は15ヶ国となり、EUの全人口4億5000万人中52%にあたる2億3200万人の属する国で条約が承認されています(2007年にEU加盟を予定しているブルガリアとルーマニアも、既にEU憲法を批准済み)。
欧州憲法が否決されてから1年後。事態は、賛成派がいうような「EUの完全崩壊」にも、反対派がいうような「条約の再交渉」「欧州統合の中断」にもなっていない代わりに、EUの「首都」ブリュッセルではフランスの影響力が著しく低下。EUの原加盟国フランスが欧州統合を否定したことで統合自体に対する先行き不安感が広がった他、その後のフランス内政(都市暴動事件、CPE反対デモ、クリアストリーム疑惑事件、保護主義的な産業政策、大統領選を前に弱体化するシラク政権)の影響もあって、これまで共に欧州統合を進めてきたドイツからも距離を置かれる状況となっています。実際、29日に公表された世論調査(TNS-Sofres社)によると、82%のフランス人が「欧州の建設に好意的」と答えたものの、62%が国民投票による否決によって欧州におけるフランスの力が低下したと考えています。フランスの影響力低下は言語面でも現れてきており、今やブリュッセルの事実上の公用語(法令上の公用語は全加盟国の言語20語)は英語(イギリスのEU加盟までは公用語ですらなかった)が占め、フランス語はドイツ語に次ぐ第三勢力に成り下がっているとか。
他方、フランス国内世論のEUに対する見方も依然として厳しく、例えば5月17日付け「リベラシオン」紙によると、国民投票で「NON」と投票した人のうち、98%が「後悔していない」と答えたとか。 これについて仏社会党(PS)のアンリ・エマニュエリ国民議員(Henri Emmanuelli:ランド県議会議長、元予算・消費担当政務官)や仏共産党(PCF)のマリー=ジョルジュ・ビュフェ全国書記(党首)(Marie-George Buffet:国民議院議員、元青少年・スポーツ大臣)は、「国民投票による否決から1年経過した今になっても、フランス人の主張が中央政界やEUにきちんと理解されていない」と批判を強めています。
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