「裁くとき」も「裁かれるとき」も決して心地よいものではありません。
誰もが周囲の人たちや環境と「上手くやっていきたい。」と思うはずです。
なのに、なぜ 「だめ、ダメ、駄目!」と裁きくのでしょう?
その心の奥にあるメッセージは何だと思いますか?たとえば、誰かが 誰かのしていることに対して、判断を下している時、
実は、相手に愛する条件を伝えているのです。
自分が良い・正しいと思っていることを、相手がすれば、その人を愛
しましょう。と、言うわけです。
そして、相手が自分の良い・正しいと思う 範囲にいなければ、悪い、
となり、「分かってもらえない」「受け入れてもらえない。」恐怖心が、
怒りや苛立ちとなり、腹を立てて愛を取り上げる。『あなたに愛を与える必要はないわ』と、心の奥で思うわけです。
なかなか認めるのは難しいかもしれませんが、
なんとなく、身に覚えがあるような気がしますね。「裁くとき」も「裁かれるとき」も決して心地よいものではありません。
『裁かない心』を養い、こころを開き まわりや相手を見つめ理解する
ような姿勢で、物事に関わっていきたいものですね。
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