月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

平安のみやびな競技「歌合」とその資料

2013年02月17日 | 講義
陽明文庫講座「今にいきづく宮廷文化 第3回」 講師:名和修

今様謌舞楽会の歌合せで歌人をさせていただく機会が増えたので、歌合せというものについて、もう少し勉強せねばと思っていたところ、ナイスな企画だった。

もちろん、これは、和歌の歌合せがテーマだ。

「類聚歌合」の総目録や、「天徳四年内裏歌合」のときの配置図など貴重な資料も配られた。

「天徳四年内裏歌合」というのは、歌合史上最大の規模を誇り後世にも大きく影響したもので、その詳細が伝わっている。

最後の一番が〈忍ぶ恋〉の題で、

左方(壬生忠見)「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」
右方(平兼盛) 「忍ぶれど色に出にけり我が恋はものや思ふと人の問ふまで」

双方秀歌で判者も迷い、天皇が「忍ぶれど…」と口ずさんだのを御意と解釈して右の勝ちとしたため、負けた忠見が病んだ末死んでしまったという話は有名だ。

以下、メモ。

・記録に残る最古の歌合せは、在原行平邸で催された「民部卿家歌合」(仁和元年885-三年888)。
・「相撲(すまい)」や「賭弓(のりゆみ)」「競馬(くらべうま)」などの競技を参考に考えられた文系競技だったのでは?
・純粋に競技として催されることもあれば、勅撰集編纂の準備として集歌を目的に催されることもあった。
・〈方人(かたうど)〉左右に分けられた参加者。代表者は〈方人の頭(とう)〉。
・〈念人(ねんにん)〉方人に対する応援者。
・〈判者(はんじゃ)〉左右の優劣を判定する。判定理由を記したものが〈判詞〉。
・〈講師(こうじ)〉和歌を詠み上げ披講する。
・〈歌人(かじん)〉和歌の作者。身分が低いことが多くたいてい歌合せの場には招かれない。
・〈文台・州浜〉州浜の形状にした島台の作り物。優雅に装飾を競い、和歌をこれに載せた。
・〈員刺・算刺(かずさし)〉勝数を数えるため、一勝ごとに串を刺すこと。その用具。
・「天徳四年内裏歌合」では、左右の方人が装束を赤系青系に色調を揃えた。
・「天徳四年内裏歌合」の様子が、嵐山時雨殿に人形の模型で展示されている。

最初の歌合せを催したとされる行平は、「松風」の行平だ。
先日、業平のアウトローぶりと対照的な行平の出世ぶりのお話を聞いたところだったが、それが実感された。

州浜のことがよくわかったのもありがたかった。飾り物の文台のほうはなんとなく知っていたけれども、庭先にある州浜型のものがよくわからなかった。ここに串を刺していくとの説明に「あれか!」と膝を打つ。先日、梨木神社で小笠原流三三九手挟式の奉納を見たとき、命中すると盛り上げた土に串を刺していた。

いろいろなところで見聞きした事柄が、思いがけずつながったときって、ちょっと嬉しいですね♪

名和先生の講座の後、前回の講座で発表された「俊寛の書状発見」について再度詳細な報告があった。

俊寛のサインの決め手になったのは、虫食い修理の外側にほんの少し滲んでいる墨(500倍ルーペで確認した)だったとか(^_^;) 
かなりややこしい説明だったので全部理解したとは言えないけれど、発見した研究者たちの興奮だけはしっかり伝わってきたのでした。

(付記)
家に「近衛家陽明文庫」展の図録があって、歌合せについてさまざな解説を発見。
講演会とこの図録でかなりのことがわかった。
 

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いつもありがとうございます (月扇堂)
2013-09-03 04:37:44
田口先生、いつもご指導ありがとうございます。

この日の講座は、11月の今様合に向けてわたくしにはとてもとてもためになりました♪
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Unknown (田口)
2013-08-31 21:08:47
名和先生の、そんな素敵なご講義があったのですね♪

私も大学1回の時、講義を受けさせていただきました。
最近年をとったためか、昔のことがやたら懐かしく思い出されます(笑

また、今様合の際、歌合についてご講義ください!月扇堂さまのお話は、とてもわかりやすく的確ですので★
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