月扇堂手帖

観能備忘録
あの頃は、番組の読み方さえ知らなかったのに…。
今じゃいっぱしのお能中毒。怖。

新作能 望恨歌(マンハンガ)

2019年04月20日 | 観能記録2


多田富雄没後九年追悼能公演(東京・国立能楽堂)

昨日はお能を観にちょっと東京まで。(お金も時間もないので、最近こういうことはしないようにしているのですが……)。

多田富雄氏の新作能「望恨歌(マンハンガ)」です。多田氏について語ると長くなるので、それは端折って、これは、戦時中日本に強制連行されて働かされた朝鮮人の悲劇を扱った作品です。

重いテーマですし、昨今の日韓関係を考えると、「とっても観たい!」という気にはなかなかならないお能かもしれません。

ロビーで抗議活動されていたりしたら怖いな、とか…。

が、行ってよかったです。ほんとうによかった。

まず、〈恨〉の文化についてわたしの中に誤解があったようです。他者を恨みアイゴーアイゴーと喚いて決して許さない文化というような理解でいましたが、ソン・ヘギョン氏によれば、そうではなく、「外部からの衝撃によって生じた未解決の心理、わだかまりを、外へ発散せず内部に沈殿させること」であると。

ついでに言うと、日本は〈怨〉の文化で仕返しをするけれども、〈恨〉はしないのだと。

逆ではないかという気もしないではありませんが、そのあたりでムキになると大切なものが壊れるので、掘り下げないことにして…。

物語は、九州の炭坑で亡くなった人々の遺品から新妻に宛てた書きかけの手紙が見つかり、これを妻の元へ届けようとある僧侶が海を渡るところから始まります。

夫と引き裂かれたときには若かった妻も、今ではすっかり老いて、気むずかしいお婆さんになっています。日本人など見たくもないのですが、待ち焦がれて待ち焦がれてついに再開できなかった夫からの手紙を見せられ、やっと会えましたねと泣き崩れます。そうして舞う〈恨〉の舞。

しわしわの顔、真っ白な髪にもかかわらず、結婚式に新婦がするような装いで冠(ティアラのような役割でしょうか)をつけた彼女の姿は憐れみを誘います。昔のことだとか、悪いのは誰だとか、そういうこと以前に、悲惨な境涯には誰であれ同情せずにはいられません。

事件は、その舞の終わったときにおきました。

シテの老女が舞い終えて安座した瞬間、冠と面がはずれて床に落ちました。するとそこにシテの素顔がありました。

昨日のシテは女性だったのです。役柄と年齢も違わない女性です。彼女は動じず、そのまま直面で語り続けました。いえ、動じなかったというのは違うと思います。動じたはずです。そこから一気に場の緊張感が増して、異次元の域に入ったように感じました。鳥肌が立ちました。

言うまでもなく、お能は長く男性社会で、女性能楽師に活躍の場は少なかったことでしょう。このおシテは、そのような中にあって草分け的な存在なのだと思います。女性能楽師の道を切りひらくべく尽力されてきたようにも聞きました。

その方が、舞台で面を落とす…。

それが失態には見えなかったのです。「直面で舞え」と、「女性であることを隠す必要はない」と、お能の神さまが言ったのではないかと、そんなふうに感じました。たとえば、これが「鷺」という曲なら、男性能楽師は直面で舞います。老婆の役なのですから、年輩の女性なら面はいらない理屈です。

東京まで行って、ほんとうによかったです。


追)しかし、一晩たって思い返してみると、男だ女だはこの際関係ないのかもしれない、初演の橋岡久馬師のとき同じことが起こっても、事態は同じように推移したかもしれないと思えてきました。性別を超越した直面でした。
確実なのは、あのとき面が落ちなかったら、わたしは「望恨歌」という作品の意義深さには気付いても、能楽師鵜澤久の凄さには気づかぬままだったろうということです。(4/21)
*****

あまりに感動したので、また書いてしまいました。

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