KYOTO EXPERIMENT 2010(京都・京都造形大学春秋座)
デュラスは尊敬する作家。『愛人(ラマン)』が代表作だとポストトークでも盛んに言われていたけれど、20年くらい前、むしろ『エミリー・L』や『夏の雨』にいたく感銘を受けた記憶がある。
『アガタ』は、1981に書かれた戯曲。
会場は春秋座なので大ホールを想像していたのだけれども、行ってみると、舞台も客席も暗幕で覆われた狭い空間の中にあったので意表をつかれた。
舞台の上には、天井から波打つような布が吊され、ブルーに照らされている。舞台は能舞台ほどの広さだろうか、正方形で、各辺に向かって客席が40~50席ずつ並ぶ四方正面の造り。(格闘技のリングみたいな)。
床の中央に下からの明かりを通す板があり、これが鏡になったり池になったりといった仕掛け。
登場人物は、〈男〉と〈女〉のふたりきり。どちらも極めてシンプルな装いで、小道具は〈女〉の日傘と鞄とサンダルだけ。
戯曲なのに、二人の台詞はすべて語り役がひとりで滔々と読み流してしまう。特段に感情を込めたり抑揚をつけたりするわけでもない。最低限の〈意味〉だけが伝わるような。
舞台上では男女が極めて抽象的な動きをしている。台詞に合っているような合っていないような、むしろ台詞の奥を表現しているような、いや台詞の嘘を暴くような。
二人は兄妹であり、妹アガタは明日旅立とうとしており、兄はそれを引き留めようとしている。語られているのは昔ふたりの間にあった(にちがいない)危険な恋愛関係、あるいは今現在分かちがたく結びついている魂の関係。
けれど、筋はさほど問題ではなくて、きわどい場面が語られているときでさえ記憶はただ美しい。ちょうど「禁じられた遊び」に邪気が感じられないのと同じように、ここにエロスは感じられない。
公演には「――ダンスの臨界/語りの臨界――」という副題があって、その意味がとてもよくわかる。跳んだり跳ねたりせずにどこまで踊れるかとか、吊り糸なしにどこまで身体を床から離せるかとか、どこまで演技を抽象化できるかとか、あるいはどこまで語りを裏切れるかとか、さまざまな意味でたしかに〈臨界〉を試している風。
人間の身体というのは、使おうと思えばこんなふうにも使えるのだなぁと感心させられるのは、シルヴィ・ギエムのモダンを見たときと同様だ。
*
デュラス同様、若き日のヒーローだった浅田彰が登場するというので公演後のポストトークも拝聴。
『構造と力』とか『スキゾ・キッツ』とか、理解できたとは思えないのに夢中になったなぁ。いつの間に造形大学大学院長になったのだろう。知らなかった。
なんだか、ぐぐっと頭を学生時代に引き戻されて、懐かしいような切ないような体験でした。
*****
作:マルグリット・デュラス
訳・演出・語り:渡邊守章
振付・出演:白井剛、寺田みさ子
デュラスは尊敬する作家。『愛人(ラマン)』が代表作だとポストトークでも盛んに言われていたけれど、20年くらい前、むしろ『エミリー・L』や『夏の雨』にいたく感銘を受けた記憶がある。
『アガタ』は、1981に書かれた戯曲。
会場は春秋座なので大ホールを想像していたのだけれども、行ってみると、舞台も客席も暗幕で覆われた狭い空間の中にあったので意表をつかれた。
舞台の上には、天井から波打つような布が吊され、ブルーに照らされている。舞台は能舞台ほどの広さだろうか、正方形で、各辺に向かって客席が40~50席ずつ並ぶ四方正面の造り。(格闘技のリングみたいな)。
床の中央に下からの明かりを通す板があり、これが鏡になったり池になったりといった仕掛け。
登場人物は、〈男〉と〈女〉のふたりきり。どちらも極めてシンプルな装いで、小道具は〈女〉の日傘と鞄とサンダルだけ。
戯曲なのに、二人の台詞はすべて語り役がひとりで滔々と読み流してしまう。特段に感情を込めたり抑揚をつけたりするわけでもない。最低限の〈意味〉だけが伝わるような。
舞台上では男女が極めて抽象的な動きをしている。台詞に合っているような合っていないような、むしろ台詞の奥を表現しているような、いや台詞の嘘を暴くような。
二人は兄妹であり、妹アガタは明日旅立とうとしており、兄はそれを引き留めようとしている。語られているのは昔ふたりの間にあった(にちがいない)危険な恋愛関係、あるいは今現在分かちがたく結びついている魂の関係。
けれど、筋はさほど問題ではなくて、きわどい場面が語られているときでさえ記憶はただ美しい。ちょうど「禁じられた遊び」に邪気が感じられないのと同じように、ここにエロスは感じられない。
公演には「――ダンスの臨界/語りの臨界――」という副題があって、その意味がとてもよくわかる。跳んだり跳ねたりせずにどこまで踊れるかとか、吊り糸なしにどこまで身体を床から離せるかとか、どこまで演技を抽象化できるかとか、あるいはどこまで語りを裏切れるかとか、さまざまな意味でたしかに〈臨界〉を試している風。
人間の身体というのは、使おうと思えばこんなふうにも使えるのだなぁと感心させられるのは、シルヴィ・ギエムのモダンを見たときと同様だ。
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デュラス同様、若き日のヒーローだった浅田彰が登場するというので公演後のポストトークも拝聴。
『構造と力』とか『スキゾ・キッツ』とか、理解できたとは思えないのに夢中になったなぁ。いつの間に造形大学大学院長になったのだろう。知らなかった。
なんだか、ぐぐっと頭を学生時代に引き戻されて、懐かしいような切ないような体験でした。
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作:マルグリット・デュラス
訳・演出・語り:渡邊守章
振付・出演:白井剛、寺田みさ子