Log @daily life

記録。
ふつうのいちにちの中で、神様といっしょにすごすせいかつの中で、
感じたこと、思ったこと。

クリスマスに

2008-12-25 12:18:03 | Weblog
スタバでコーヒーを飲みながら窓から外の景色を眺めていた。

雨が降っている。
大気の気温がもっと低ければ、雪になっていたのだろうか、
と思うとこの雨も素敵に思える。
実際、僕は雨が嫌いではない。
どこかへ遊びに出掛けたり、特別なことがある時以外は。

今日は1日有給休暇をとったのだった。
12月25日は、毎年教会でイベントがあり、大抵何かを頼まれるので、
予め休みを確保していたのだ。

案の定、頼まれ事をされ、夕方には教会に行くことになった。
教会でクラシック奏者を招いて、コンサートを開くことになり、
僕は教会の最寄りの駅に案内の看板を持って立つことになった。
ちなみに、僕の家から教会へは、電車で1時間ちよっとのところにある。


土曜に来るときはもっと混んでいる店内も、さすがに平日の昼前はすいている。

僕はカウンター席に座り、やたらと見晴らしの良い窓ごしでぼうっとしていた。
こういう時間はかなり好きだ。

ぼうっとしながらとりとめのないことを適当に考えたりする。

家族にはもうクリスマスプレゼントを送った…(それぞれ遠隔地に住んでいるのだ)

教会の人たちにもカードは書いた…

自分プレゼントにケーキでも買おうかな…
でも今月もうあまりお金ないしやめとこうか…

などなど。

ふと眺めていた駅前ビルの窓に、光が映っているのに気付いた。

見上げると、さっきまで曇っていたのに、青空が覗いている。
雲の流れが速い。

「失礼します。」
不意に声をかけられた。
店員さんだった。
お盆に何かを載せていた。
「クリスマスブレンドに合うクランベリーシトラスバーです。お試しくださいませ。」
小さい容器に入った小さなケーキと、コーヒーの入ったミニカップとをくれたのだった。

…自分にケーキを買う必要(?)は無くなった。
それは小さなケーキだったけど。
神様ありがとう。

時間のはなし

2008-12-15 16:00:33 | Weblog
インターネットで調べものをしていると、
ふとおもしろいページでくわした。

それは、質問サイトの掲示板で、
「時間の流れをとめることは可能ですか?」
という意味のお題に対してのたくさんの回答が記されていた。

そんなことを考える人もいるのかー
と感心しながら、改めて「時間」について
考えたのだった。

ちなみにそれについての答えはこの記事とは直接には
関係が無いので省略します。

時間とは、変化を表すパラメータという回答があった。
つまり、基準を示すためのものさしといったところか。

現在というある地点から、過去のある地点までを
比べてみて、どれだけの「時間」が過ぎているか・・・
それが秒であり、分であり、時間(hour)であり、日であり、
週であり、年であり、世紀・・・なのだと個人的には解釈した。

それは、長さっていうのは、これは1センチですよ、という基準を
計りたい対象に合わせてみて、つまり比較して、
じゃあそれの長さは××センチですね、というみたいに。

・・・ということは、タイムマシンていうのはありえないなーと思った。
だって、それがものさしだということは戻す戻さないの次元の話ではないから。

1年って長いなー / 短いなー というのは主観によって異なるが、
それは、結局のところ「あの人って身長高いよね」とかそうでないとかと
言っていることと大して変わらないのであって、
要は何と比べてその長さ / 短さを 実感するか、
あるいは意味を見出すかということなのだと思った。

ちなみに聖書では時間についてこんな風に書いてあるのだった。
「千年といえども御目には昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。」

自分でいることのできる根拠

2008-12-12 14:49:52 | Weblog
それを、支えと呼ぶ人もいるだろうし
立つべき地点、地面と表現する人もいると思う

それは、ある人にとっては
己の姿を覆い隠すための服と形容できるかもしれないし
心の渇きを満たす水のようなものと言えるかもしれない

では、自分にとってそれは一体いくつあるのだろう
僕はそれをどれだけ持ち合わせていることだろう

環境や条件が変われば違うものを引っ張り出して
ローテーションで負荷分散か
自重にそれは本当に耐えうるか

自分の世界がひっくり返るぐらいの
価値感が覆されるような時
果たしてそれは役立つか
身も蓋も無いような現実に直面したとき
自分を保っていられるか
逃げることなく目を逸らさず見つめることができるか

頭が熱くなったとき

2008-12-10 15:57:26 | Weblog
冷静になれ冷静になれ冷静になれと自分に言い聞かせても、
頭はちっとも冷やされない。

そんな時にはどうするべきだろう?
ひとつは、頭が熱くなっている自分を観察することだろうか。
無視したところで炭火は消えない。むしろくすぶるばかりの気がする。
目を逸らさず、でも思考の方向性を少し変えてみる。
こんな風に文章を書いてみたり。

自分が何を避けようとしているのか、
何を恐れているのかが分かってくればもう出口は近い気がする。

それでも自分の力ではどうにもならないところはある。
究極の意味で、避けようとしているものから助け出す力は自分にはない。
究極の意味で、恐れているものから救い出す力は自分にはない。

そこで、祈る、という選択肢が自発的に生まれてくる。
もちろん、この選択肢は僕が神様を知っていて、
なおかつ信じているから出てくるものなのですが。

神様だって絵を描く

2008-12-03 12:47:52 | Weblog
派遣の仕事の帰り道のことだった。
その日はバイトが無かったので、自宅まで自転車でストレートにいけば15分の道のり。

僕の住んでいるアパートは会社からは方角的には南西に位置する。
6時を少し過ぎた頃だったがこの季節ではもう真っ暗だ。

自転車をこいでいて、ふと空に浮かぶものが目に入った。
糸のように細い三日月。
そして、その斜め上に星が2つ。

・・・何かに見える。
いや、少し無理して見ようと思えば、見えるかも知れない、という程度の話なのだが。
にこちゃんマーク?にこにこマーク?
オリジナルをなんと言うのか分からないのだけど、
 
          : )

上の模様が右回りに45度傾いたような角度で、西の空に浮かび上がっていたのだった。

かわいい・・・というよりむしろ幼稚園ぐらいの子が描くような感じか。

その日は、将来についてこれからどうしようか・・・と仕事をしつつも
会社で悶々としていたのだが、その空にある模様(?)を見て、
しばし絶句してしまった。
・・・いや、別にそれまで独りでしゃべっていたわけではない。
正確に言うと一瞬思考が停止した。

へたくそだ。・・・でもなんか見ようによってはかわいい。

神様もこんな絵を描くのか・・・というかむしろ笑わせるためにわざと用意した、そんな風に思えたのだった。

ちなみに、その2日後の今日、朝日新聞のネット新聞に、
まさにその写真付き記事が記載されてあるのを見つけた。
興味のある方は↓のURLから閲覧できますのでどうぞ。(asahi.com2008年12月2日)
http://www.asahi.com/science/update/1202/SEB200812010014.html

電話

2008-12-02 13:30:05 | Weblog
携帯電話に着信ありと表示されていた。
着信履歴を見ると、とても珍しい人からだった。
まず彼から電話をよこすということはない。

早速、電話をしてみた。
「よー兄貴、元気?」
--元気やで。

電話の主は、僕の真ん中の弟だったのである。
ちなみに彼は僕とは1学年違い、つまり年子だ。

「オヤジとオカン、生きてる?」
--生きてるよ。

「××(←弟の名前)は?何やってんの?」
--もう卒業間近だから論文と就職活動やなんやかんや。
--多分東京の方で就職すると思う。

彼は滅多に僕に連絡をよこさない。
この前に話したのは多分実に1年半前のことだ。
その間に、それまでは父と母と僕で一緒に住んでいたが、
母が公営の住宅の募集で目当ての物件に当選し、
でもそこに僕の住むスペースはなくて、結果僕は職場にも近い
都心近くに、両親はそれまで住んでいたところからさほど遠くない場所に2人暮らしという生活に変わったことを話した。

でも家族の近況を聞くためだけにわざわざ彼は僕に電話をかけて来ない。(多分)
何か他の用事があるはずだ。

「住民票登録しようと思って。俺の住所どこにあるん?」

つまり、彼は今から7年前に家出をしてそれっきりで、
何の手続きもせず行き着いた所で暮らす・・・という生活をしていたので、
市役所などでのそういう公的な手続きはとっていなかったのだ。

じゃあ彼の住民票はどうなっていたのかというと、
僕が引越しする都度彼は僕の同居人ということで、
彼の住所も僕と一緒に移していたのだった。

でも、どうして今のタイミングになってそんなことを?

「社員登用試験があって、正社員になれた。」
なんと!
彼は派遣社員として勤め始め、少なくともそこで3年間働いてから
社員登用試験があり、そこで合格したら社員として雇用されるはず・・・
だったのが、
1年もしないうちにそのチャンスが巡ってきて、見事合格したのだという。
しかもその後になって例の恐慌が起こり、その会社は営業利益がそれまでの半分近くに落ち込んでしまい、
周りの派遣社員たちはそのあおりを受けて雇用解除となっているので、彼はまさしく危機一髪だったそうだ。
契約解除された人たちの中には泣いていた人もいたのだという。

タイミング的にももちろんすごいことだけど、
社員になれるということは、その会社の福利厚生施設を利用できる権利が与えられるので、
彼にとっては、社宅・社員寮を利用できるということになる。
そして、それには家族寮も含まれる。
そうすると妻子もちだが単身赴任だった彼は、家族と一緒に住むことができるということではないか。

すばらしすぎる。
僕は喜んで今の住所と手続きをするために必要な役所とを教えたのだった。

次にすること

2008-12-01 14:33:56 | Weblog
しまった次に何をすればいいんだろう。

およそ1年近くかけて勉強してきて、先週やっとある試験に合格した。
そんなにも時間がかかったのは僕の要領が悪かったのと、
派遣とバイトとのかけもちの生活で隙間をぬうようにしての受験勉強だったから、というのもある。

その資格は、持っていることでその業界の中ではある一定の評価をもらえるらしい。
今自分がしている仕事と関連が深いので自分のスキルアップと、
「就職」の準備のためと漠然と考えながら勉強していた。
試験の結果は、まあ合格点を少しだけ超えての合格。
試験を終了し30秒ほどでその結果が出た。
本番は緊張のあまり頭がいつもに輪をかけて回らず、
よくこんなんで合格点を越えたなと本気で思ったくらいだ。
正直、合格の結果を見て自分をほめてあげようとか、
努力が報われたとかあんまり思えないぐらいの感触だったので、
もちろん嬉しいのだけれどどこか微妙だった。
それが土曜日の話。

そして今日。
今までは会社(派遣先)に行くと試験のことを意識せざるをえなかったが
今日はもうそれはない。
しまった次に何をすればいいんだろう。
・・・と思ったのだった。

・・・いや仕事はしていますよ。
そうじゃなくて、ある意味自分の中で、その試験に合格するということが、
短期の「目標」のような位置を少なからず占めていたことに、
しかもそのことを僕自身は自覚していなかったということに、今日気づいたのだった。
いつまでも派遣の仕事をするということはないとは当然のように頭では考えていた。
それでもここしばらくは試験のことがあったからそれは心の中では後回しにできたのだ。
この感覚が、自分にとって身に覚えのある感覚だったので少し怖くなった。
大学3回生の頃、まあいろんなことが重なって、おそらく鬱と言える状態だった。
そうなる要素の1つに進路も含まれていたのだと、今は思う。

次に何するかについて考えすぎるとまたどつぼにはまる。
かといって何も考えないわけにはいかない。
が、じゃあ何から考えていけばいいのか?、というのがさくっと見つからない。
もしかして、僕は、何かをしながらそのことについて並行作業で
考えていくというぐらいがちょうどよいのかもしれない。
でも本当次に何をしよう・・・

実際に仕事をしてみて思ったことだけど、仕事に関して
理想を持ちすぎると、きっと心がつぶれてしまう。
もっと正確に言うと、「理想の仕事」を探そうとするとうまくいかない。
その仕事に執着しないくらいのスタンスで取り組むのがいいのかもしれない。
だって、本当にしたいことは他にあるのだし。
そしてそれはお金をもらっての対価として提供するたぐいのものではない。
実際にそうしている人たちはいるけれど。
少なくとも僕はそうじゃないし、そういう才能や環境は持っていないし、
僕はそれでいいと思っている。
要は、それが許される環境に居ることができばそれでいいのではないか。