「良いこと」をしようと思って何かをしようとすると、
何の役にも立たないばかりか、
周りの人に対して、マイナスさえ与える・・・
認めたくないけど、これは真理みたいだ。
裏目に出る、という次元の問題ではなくて。
それは、悪い種を撒いているようなものなのかもしれない。
本当に認めたくないのだけど。
どうしてそうなるのか・・・
「良いこと」をしようと思うとき、
本当は、その人のためにではなく、
自分が認められるためにそれをしたい、
そういう種があるからなのかもしれない。
どんなに社会的に正しく見えても。
道理に合っているように見えても。
もっともだと思えても。
結局は自分のためにする「良いこと」は、多分そう。
たとえ、どんなにきれいに見えなくても、
不細工に見えても、
幼稚に見えても、
取るに足りないように見えても、
「良いこと」のためにではなくて、
相手のことを思う気持ちから出たものには、
「良いこと」はまったくかなわないのだろう。
どれほど問題を解決するために躍起になって、
人を無視してきたことだろう。
きっと無理して「良いこと」をする必要はない。
なのに、それを忘れ、自分を守るために、
もっともらしい理由をつけて「良いこと」をしてしまう。
僕自身無自覚なところから。
なんとかなりたい。
たとえ少しずつであってもいいから。
何の役にも立たないばかりか、
周りの人に対して、マイナスさえ与える・・・
認めたくないけど、これは真理みたいだ。
裏目に出る、という次元の問題ではなくて。
それは、悪い種を撒いているようなものなのかもしれない。
本当に認めたくないのだけど。
どうしてそうなるのか・・・
「良いこと」をしようと思うとき、
本当は、その人のためにではなく、
自分が認められるためにそれをしたい、
そういう種があるからなのかもしれない。
どんなに社会的に正しく見えても。
道理に合っているように見えても。
もっともだと思えても。
結局は自分のためにする「良いこと」は、多分そう。
たとえ、どんなにきれいに見えなくても、
不細工に見えても、
幼稚に見えても、
取るに足りないように見えても、
「良いこと」のためにではなくて、
相手のことを思う気持ちから出たものには、
「良いこと」はまったくかなわないのだろう。
どれほど問題を解決するために躍起になって、
人を無視してきたことだろう。
きっと無理して「良いこと」をする必要はない。
なのに、それを忘れ、自分を守るために、
もっともらしい理由をつけて「良いこと」をしてしまう。
僕自身無自覚なところから。
なんとかなりたい。
たとえ少しずつであってもいいから。