Log @daily life

記録。
ふつうのいちにちの中で、神様といっしょにすごすせいかつの中で、
感じたこと、思ったこと。

「良いこと」

2007-05-29 12:41:11 | Weblog
「良いこと」をしようと思って何かをしようとすると、
何の役にも立たないばかりか、
周りの人に対して、マイナスさえ与える・・・

認めたくないけど、これは真理みたいだ。

裏目に出る、という次元の問題ではなくて。

それは、悪い種を撒いているようなものなのかもしれない。
本当に認めたくないのだけど。
どうしてそうなるのか・・・
「良いこと」をしようと思うとき、
本当は、その人のためにではなく、
自分が認められるためにそれをしたい、
そういう種があるからなのかもしれない。

どんなに社会的に正しく見えても。
道理に合っているように見えても。
もっともだと思えても。
結局は自分のためにする「良いこと」は、多分そう。

たとえ、どんなにきれいに見えなくても、
不細工に見えても、
幼稚に見えても、
取るに足りないように見えても、
「良いこと」のためにではなくて、
相手のことを思う気持ちから出たものには、
「良いこと」はまったくかなわないのだろう。

どれほど問題を解決するために躍起になって、
人を無視してきたことだろう。

きっと無理して「良いこと」をする必要はない。
なのに、それを忘れ、自分を守るために、
もっともらしい理由をつけて「良いこと」をしてしまう。
僕自身無自覚なところから。

なんとかなりたい。
たとえ少しずつであってもいいから。

分からず屋

2007-05-28 12:29:25 | Weblog
自分のことを、どうしても正しいと思っていたい気持ちがある。
それだけではなく、
人からも正しいと思われていたい、自分の頑張りを認めてもらいたいとも思っている。

自分のことばっかりだ。

僕自身、目の前にいる相手に向かって何かを伝えているというよりは、
自分の中で作った自分のイメージに向かって、
それを守ろうとしたり、体裁よく取り繕うとしたりしている、
という気がする。

そしてそんなときにかぎって、冷静さは失われていて、
きっと、ただのクレーマーになっているのだろう。

人が離れていって当然だ。
僕だってそんな人の近くにいたくない。
どうしてこんなに自分は分からず屋なのだろう、と思う。

もっと楽に考えればいいのに、と言ってくれる人もいる。
本当にありがたいのだけど、
でも、今は、はいそうですね、と、
納得したくない自分もいる。

あわれみ、という性格が、
どれほど自分にとって必要なことだろう。

その人の悪い点を見て愛することをやめない性格。
その人の良い点をすぐに見つけ出してくれる性格。

こんな自分を大好きで愛してくれる神様は、
本当にすごく憐れみ深い人格なのだろう。
もっとそのことに気づくことができればいいのに。

放蕩息子

2007-05-21 22:51:03 | Weblog
放蕩息子といっても、僕の息子ではなく、
弟のこと。

6年前に、父と喧嘩をして家出をしていた弟が、
先週の木曜にふらりと帰ってきた。
6年ぶりに見た彼の顔は元気そうだった。

奥さんと2歳の子どもがいるけれど、
単身赴任で一緒に暮らすことはできない。
でもあと3年ぐらいしたら一緒に生活できるめどがたつとのこと。

どうか、それまでも神様がこの家族を守ってくださいますように。

去年の6月ごろには、離婚していた母が戻ってきてくれて、
再び一緒に暮らすことになった。
僕はそのとき5年ぶりに母の顔を見た。
それから約1年後、まさかこうなっているとは。

一度は、文字通りにばらばらになった家族が、
6年の年月が過ぎて、やっと
コミュニケーションをお互いにとれるようになったことが、
本当にうれしい。

それまで家族であったのに、その人が、
自分の意思で離れていくということが、
どんななのかを、僕は見てきた。
残された人たちのことを思うと、
胸が痛い。

僕の父はあきらめなかった。
神様は奇跡を起こしてくれた。
そんな奇跡であれば広がっていってほしい。

肩が重たくなるようなこと

2007-05-18 09:36:19 | Weblog
いったい、今僕は何について、これは重い・・・と感じているのだろう。
どこが、痛いと感じているのだろう。
何について、苦しいと感じているのだろう。

多分、自分のしていることが、
実は、何の意味も成さず、ゼロ、無駄なんじゃないか、
むしろ、マイナス、しない方が本当は良いんじゃないか、

そう分かってしまうのが怖いのだと思う。
そこから生じるいろんなものを、恐れているのだと思う。

だからといって、
理屈で自分を納得させられるほど僕はしっかりした人間じゃない。
自分にそんな自信は無い。

そんな僕であることを認め続けられる正直さが欲しいし、
必要を認め、助けを求め、
そんな僕と一緒に歩いてくれるという神様に、
確かにこれは重荷だし、
それを任せて一緒に歩いていければ、と思う。

判断のベース

2007-05-17 13:01:43 | Weblog
仕事を普通にしている自分は、何を考えているのだろうと、ふと思う。
もっと言うと、ひとつひとつの決断のベースにあるものは、
僕にとっては何なのだろうか、ということ。

というのは、僕は、仕事において、表面的にしか物事をとらえず、
やっつけ仕事までとは言わないものの、
心、頭の浅い部分で、
インプット-アウトプットしているような気がするからだ。

それは、深みに入る必要性に迫られていないからかもしれない。
もしくは、仕事をすることにおいて何かあまり期待していないからかも。
もっとこんな風になれば・・・
という、良い意味での理想が、あまり無いということだろうか。

願わくば、いつも「目を覚まして」生きていたいものだ。

Life expectancy

2007-05-11 22:29:44 | Weblog
自分はあとどれぐらい生きることになるのだろう。
あと50年ぐらい?
ひょっとしたら60年生きているだろうか。
それとももっと短いだろうか。

何かを成し遂げるということが、
自分の生きる目的ではないことは確かだ。
だけどそれは、人生で成し遂げるべき事が無いという意味ではない。

何かを成し遂げるまでに、あえて待たなければならないこと、
そしてその時間が自分の願いとはうらはらに長いということは、
ひとつのテストなのかもしれない。

テストの目的は、何かをはっきりさせること、
また、間違いを知り、正しいことを知ること、
その事柄に関して、正しい認識、知識を得させることだと思う。

待たなければならないにしても、
自分がおじいさんになったとき、
あるいはこの地上を去ることになったとき、
そのときの自分に後悔させることのないような選択をし続けていきたい。

変化

2007-05-10 12:35:16 | Weblog
朝に感じていたこと、思っていたこととが、
夜には簡単に変わってしまっていることがたくさんある。
自分にとってプラスに思えるような変化の場合もあるけれど、
そうは思えない変化の場合もある。
移ろうのは、人間の、仕方の無い性質なのかもしれないし、
変化するのは、自由を与えられているからこそ、なのかもしれないけれど。

でも、願わくば、変わらずにいてほしい思いや考えもあるのに・・・
それは、結局は自分にとってそれほど大事ではないことだからなのだろう。

変わる自分をみつめながら、
でも変わらない神様を見上げながら、
という生活をしていくなら、自分はどう変わっていくだろう。

欲しいもの

2007-05-09 12:34:26 | Weblog
欲しいものは、たくさんある。
大切なことを忘れてしまわないような記憶力。
一番大事なことに思いを馳せる思考力。
あわてないで、間を持てる心。
互いに研ぎあうことのできる友達。
一緒に歩き続けていく伴侶。
などなど。

頼りきれないと感じるとき

2007-05-08 22:43:08 | Weblog
ふらふらしているような気がする。
安心していたいのに、心からはそうできないような。
でも、安定しようということを目的にしてしまうと、
悪化こそすれ改善はしないと思う。
ペテロが、足元の水をふと見て、
湖に落ちてしまったのは、そういうことじゃないかと思う。


願い

2007-05-07 21:56:14 | Weblog
願わくば、
正直に、
何も飾ることなく、
気負うこともなく、
そのままで、
自然に、
普通に、
記録を残していくことができますように。