Log @daily life

記録。
ふつうのいちにちの中で、神様といっしょにすごすせいかつの中で、
感じたこと、思ったこと。

価値のはなし

2008-10-23 16:43:19 | Weblog
人は、まあとかく価値を決めたがるものだと思う。
そして、自分も、とても簡単にその価値にのっかってしまうものだと思う。
何かを見たとき、これって他の人から見たら何点なんだろう、という風に。

問題は、自分にとってかなり大切な、人生に意味のある決断をする必要があることに関してまで、
それが影響することだ。
そして、果たしてそれが本当にそれだけの価値や意味を持っているか?というと、
つきつめていくと本当はそんなこと全然ない、ということもありえるのである。

でも、自分の人生に関わる一大事なことを決めようとしているときというのは、
きっと微妙なバランスで自分の判断がふれたりぶれたりしていて、なかなか冷静に
物事を決める、というのは難しいのではないだろうか。

そうすると、本当は意味や価値が?な評価であったとしても、
1つの判断基準として無意識の内にそれにすがってしまうということがありえるのだと思う。

そんなことを考えたきっかけは、今日読んでいた聖書の箇所からだった。

「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。」

アサリオンというのはとても小さい単位のお金のことだったと思うけれど、どう考えても
生き物の値段がまとめ買いできるような形で定められるのか?と思うわけである。

そのお金にどれだけの価値があるのか分からないけれど、
なんとなくおかずやご飯を買うくらいの勢いのイメージがしたのだった。

すずめの価値観は人それぞれだと思うけれど、少なくとも僕としてはそんな簡単そうに
まとめ売りなんてされると、そうかなあ?と思うのである。
(だってすずめってよく見たらかわいいじゃないですか。←これも僕の価値観ですが)

そんなことを考えていると、価値っていうのはあてにならず、
人というのはまあ無責任に価値を作り出すものだ、と思ったのだった。
ちなみに、この聖書のフレーズの全文は、こうだ。

「五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。
恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

また、その後に、こんな言葉も続いている。

「烏のことを考えてみなさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。
だが、神は烏を養ってくださる。
あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。 」

夢2

2008-10-21 16:05:20 | Weblog
目覚めたのが朝の6時前だった。
いつもは、見た夢なんかあまり覚えていることが多くないのに、
その朝はかなりはっきりと覚えていた。

夢の中で、僕は外国人の男の子2人と英語で会話をしようとしているのに、
うまく言葉が思いつかず、そもそもあまり話す内容なんて
ないよななんて、なんだかリアルに感じていた。

それから場面は変わってプールの中で、国対抗で何かの競技をしていた。
なぜかバトンを前の人に渡して行き、一番速く先頭の人にバトンが渡れば勝ち。
書いていて自分でもよく分からない情景だから、読んでくださっている方は
もっと訳が分からないと感じると思う。

(関係ないけど、夢の中で、日本の右隣の列のチームは、韓国のようだった)

でも、その夢の中で僕が感じていたことは明確だった。
はじめ、外国人の2人と話していたとき、自分はもどかしさを感じていた。
次に、プールので競技をしている中で、前後には同じ国の人たちがいて、
勝つためにバトンを手渡して(変な情景だと思うけど)いた僕は、
言葉は通じるけど、なんだかなーと感じているのだ。
この人たちとはどれだけ心が通じ合っているんだろうか、と
なんでかそんなこと感じながらバトンを渡していたのだ。

そんなことを感じながら見ていた夢から目覚めたすぐ後、
これもどうしてか分からないけれど、はっきりと分かったような感覚を覚えた。
今まで、自分がかなり恐れてきたこと。
なのに、あまり意識に上らなかったこと。

それは、誰かに置いてきぼりにされてしまうのを、
僕は、ずっと心のどこかで恐れていた、ということ。
だから、それを避けるために無意識にいろんな努力をしてきたこと。

小さいころのいつからか、今に至るまでかなり長い間、
僕はずっと、置き去りにされることを避けるという動機から、
いろんなことをしてきたんだ、ということを急に自覚したのだった。

なんでこのタイミングで急にそんな風に自覚したのか分からないけれど。
まだ薄暗い夜明け時に、ぼんやりと考えていた。
どうしてそういう風に恐れるようになったんだろうか・・・
何がきっかけだったんだろう・・・
もしかしたら日本に住んでいたら自然にそういう風に感じるような
社会になっているのかもしれない・・・とかなんとか。

そこまで思い至ったら、今の自分はたとえそう感じたとしても、
そういうことを怖がらなくてもいい、そう書いてあった聖書の箇所を思い出した。

「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」