Log @daily life

記録。
ふつうのいちにちの中で、神様といっしょにすごすせいかつの中で、
感じたこと、思ったこと。

想定外

2007-06-03 21:58:19 | Weblog
自分の立てていた計画が、それも2年越しの計画が、
自分の力の及ばないところで、
修正を余儀なくされてしまった・・・
というか、今は、どうすれば良いのか分からない。

正直言って、がっかりだ。
何で・・・という気持ちがある。
ひどい・・・と思うし、
悲しいし、悔しさもあると思う。

ここで、僕はどうするべきなのだろう。
投げ出してしまうことはいつだってできることだ。
いつだってできるなら、今しなくてもいいだろう。
ただ、予想していないことだっただけに、
頭と心が多分、きちんとはついていっていない。

こういう時って、どうするべきなのだろう。

ただ・・・意味の無いことは起こらない。
意味の無いことを僕がすることがあったとしても。

だけど、それは、今、意味が分かるべきことだとも限らない。
どうか、この複雑に絡まった感情や思いを、
自分の中だけに押し込めたり、見ないふりをすることがないように願う。

勇気

2007-06-02 20:37:23 | Weblog
『主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。』
これは、旧約聖書に出てくる、ヨブという人の言葉だ。

子供達を失い、財産を減らされ、健康を損ない、このあと、親友さえ、敵になる。
さらに、変な言葉かもしれないが、今まで神に対して持っていた信仰の感覚まで失っていく。

『与えられることと、失うこと、同じ重さ。』
これは身体に重度のハンディキャップを持った、星野富宏さんという画家の言葉。
うろ覚えなので、一言一句同じではないかもしれないが、意味は同じだと思っている。

もしも、与えられることと、失うこととが、実は同じ目的を持っているとすれば、どうだろうか?

与えることも、失うことも、最終的には、神様から出て、神様に返っていくことだとしたら。

僕は本当に臆病なのだけど。

主は与え、主は取られる。
主は取られるが、与えられる。
それは、僕がどんなときでも、どんな場所であったとしても、神様と一緒に歩いていくため、
そんな関係を神様の方が願っているため。

僕は、失うことをどんなに恐れていることか。

また、先の2人の言葉がどれほど深いものであるか、僕はきっと理解していない。

だけど、もしもそのことが確信できたら、もっと勇気を持って歩いていけるかもしれない。