There were/ホモセクシュアル/days

或るホモセクシュアル経験者発信のzakki等。

著名な人のゲイであることを知ること

2010年08月26日 23時15分53秒 | コラム
図書館の書棚で、たまたま眼にした海野弘著「ホモセクシャルの世界史」。
興味を覚えたので借りてきて、目下読み始めたところ。

目次で、ちょっと目に入った名前のオーデン、ハックスリ、イシャーウッド。そうした作家や詩人たちの名を見るだけで、ゲイだったことを知ることになるし、中をちょっと読んでもタイロン・パワーや「哀愁」でヴィヴィアン・リーと一緒だったロバート・テイラー。「シャレード」でへブバーンと共演のケーリー・グラント。それから、ローマ時代の太った老獪な政治家役といったの感じの記憶があるチャールズ・ロートンだとか。ロック・ハドソンはむろん、ゲイ。バイセクシュアル。ああ、その人も? というのは次から次へと出てくることになる。マレーネ・デートリッヒのレズ。あれこれと、分かること多々。私の知らなかったこと、多いわけです。音楽の、コール・ポーターとかね。ゲイということでも知られていたんだろうけれども、私は知りませんでしたね。

そういうことが、色々とあるわけですね。著名な誰それさんがそう。というような情報。例えばのこと、日本の中のことでもね。歌手、俳優、作家、その他。さまざまな世界で知られた人たちが、ゲイ、バイセクシュアルであるということ。多すぎるくらい、でてくることになるでしょう、事実としてのそうしたことは。私自身、有名な歌手、あるいは知られた俳優との、むろん彼らはゲイであることをカミングアウトしていない人たちですが、セックス経験があります。

知ってどうなんだろうな、ということを今、思ったりなどするわけですね。この「ホモセクシャルの世界史」という本は、史的に多方面から考えられた内容あるもので、読みながらその方面のことについて、関心をもって考えてみたくなる向きもいることだろうと思うけれども、ホモセクシュアルである自身としてはどうか? 関わりある関係。ということで読み始めているわけですけれどもね。
自分の状況、そしてそちらの眺め。そんなあれこれを思ったりしながらになりますか。

性的マイノリティの活動に資金提供したいと余命僅かな中東人 (2)

2010年08月18日 23時03分38秒 | weblog
ともかく、弁護士に至急連絡をとってもらいたいという、彼からのメイル。その一方的という印象の、「至急(immediately)」という言葉に彼の置かれている、時間がないという状況が思われはしたのだが、それはこちらの事情というわけではない。
自分は、残すファンドを人のために役立てたい。君が弁護士に連絡を取れば、彼は君がどういうことをすれば良いか、そのステップを示してくれる。君を信用してのことだから、問題はなにもないですよ、とメイルには書かれていたのだけれども、そのステップとはどのようなことをやることなのか、思い及ばない。それは、手順として、こちらがやるべきことがでてくることは、当然あるはずのことだったけれども。

用などもあって、ヨーロッパの、彼が入院している某国の彼の弁護士にメイルをしたのは、3日の後。そのメイルには、自分はホモセクシュアルであるけれども、その社会の人間とのつき合いは、ほんの数人程度で、ほぼ関わりを持たないような状況にあると言っていい。だから、その資金提供をしたいという、性的マイノリティのために活動をしている人々、団体とコンタクトするとしても、先ずはネットでその情報を得ることしか始めなければならない。ということを、書いておいた。じつは、こうした活動方面のことでは、この国の先達ということになるだろう南定四郎さんは、彼が最初のタブロイド紙を出した1970年代の初めの頃だったか、知った間柄だったこともあり、当時以降会っていない彼に連絡をとってみようか、などと考えたりはしたのである。

ネットで見ながら、彼に連絡ができないかを考えたのだが、得たメイルアドレスも現在は使われていないようだったりで、結局断念。彼ならば、適切なグループ、あるいは活動団体を紹介してくれるのではないだろうか、などと思ったのだけれども。
ネットで見た限りの、その方面の活動グループ。未知の、私には不案内な、これまで関心を持ったことのない、そうした彼らのことを知るには、時間をかけ、入りこまないことには、どうにもならないことのように思えた。これこれの、資金提供をしたい人がいる。あなた方のところでは、如何ですか。必要ですか? というような形で、良くは知らない相手ととりあえずは、コンタクトをとってみる。そんなことしか、短い時間の中ではできないだろう。

弁護士からは、こちらの連絡を待っていたもののように、すぐに返信があった。
こちらに提供される分ファンドについて、私自身が活動に使いたいということであれば、全額を私に。他の活動団体に提供されることになるのであれば、彼らに80パーセント。私には20パーセントが与えられる、ということ。
そのためのステップと言っても、特別なものがあるわけではなく、パスポート、あるいはクルマのライセンスなど、自身の証明になるものの必要。職業。住所、氏名、連絡先などを示すこと。そして、このことが私の思い及ばなかったところのことであるのだが、最終的には、私がその国の銀行に弁護士同行で行き、銀行側と会い、ファンドのお金の引き渡しもする。そうした手順となること。

多分、私にその意志があるとするなら、問題なくその条件はクリアできるよううであったし、ともかく中東人は私を全面的に信用する考えに立ち、弁護士はその考えに従い仕事をするだけの立場であることからすると、何より先に資金がこちらに渡される形になるような、印象だった。利用先の確定は、そのあとのことでも良さそうなようであって。何故に未知の私を彼が信用しようとしたのか? それは、そのアメリカのゲイサイトの私のプロフィール等を見て、同じゲイとして何か彼に感じるところがあったからと思うしかないであるが、それと彼には時間がないという事情。でも、そういうことは分かっても、こういう選択しか彼にはなかったのか。客観的に考えて、そうしたことを思わなくもなかった。あまりに、唐突ではないか。調査し、提供先を選ぶ、ということはどうだったのか。

私は、活動しているグループ。団体についての知識を得ようと、ネットで調べ始めてみた。何処のグループでも、その活動のための資金は必要だろうし、役立つことになるはず。人のためにファンドの一部を役立てたい、という彼の希望はそれだろう。だが、現実に自分が彼らとコンタクトをとり、ヨーロッパまで行くということに、私の実感が伴わないのだ。そもそもサイトを通じて、余命幾ばくもない大金持ちと思えるガン患者の中東人に、依頼されたからといって、その彼の願うことの為に私が何故に本気になって動きださなければならないのか。そのことに、実感の伴わない感覚。
結局は、それが私に、無理であることを感じさせた。意識がちがいすぎる、ということであったんだろうと思う。そのようにしか受けとめられない、ということであるのだった。
そのことをメイルで彼に知らせ、この死期の近いある人間の幻想によってもたらされたかのような、ちょっとした出来事は、終えた。

性的マイノリティの活動に資金提供したいと余命僅かな中東人 (1)

2010年08月15日 05時04分49秒 | weblog
今月の初め頃のこと。
私が加入している、あるアメリカのゲイサイトの私のinboxに、ひとつの長いメッセージ。
アメリカやヨーロッパ、あるいはアジアの国から、サイトの私のプロフィールを見て、時たまメッセージは送られてくる。だが、この時の、この人物のメッセージは普通のものではなかった。
というのも、このここにはその出身国は書かないけれども、中東のある国の人である彼が、前立腺や食道のガンで医者には、残りわずかな命と言われているというようなことが書かれていて、今の彼の心境、そしてなにか人の役に立つことをしたいという考えから、自分のファンドの金を、そのために使ってもらうための働きかけをあちこちにやっているところなのだという。うまくいかない国の場合もあるけれども、日本での性的なマイノリティ。ゲイ、レズビアン、トランスジェンダー、そうしたマイノリティの活動のために私のファンドマネーを使ってもらいたいと考えている。そのためのことを、あなたにやってもらえないだろうか、という内容。

中東の大金持ち、という印象。
ともかく、自分には残されている時間がない、ということを強調している。急がないといけないのだ、と。そうしたことを全く未知のこちらのような人間にいきなり言ってくるというのも、普通のことではないのではないかな。同じホモセクシュアルであると言っても。日本のその方面のことをリサーチできる専門家なりに依頼して、それを通して資金提供対象を選び、実行するというほうが、現実的なのではないかな? 私は思うのだけれども、あまりオープンにできないということもあるのかもしれない。彼はヨーロッパの病院にいるのだけれども、彼の国ではホモセクシュアルであることを知られるのは、死を意味するというようなことも、彼のメッセージ文にあったくらいだから。

私にやってもらいたいとは、そうした活動をしている団体、あるいはグループへの橋渡し、ということであるのだけれども、その場合に私に支払われる割合なども示されていた。どれほどの額になるのかは分からないものの、少なくはないということは分かるようであった。でも、そのような金のために彼の要望に、すぐに応ずると思われたくもない。メッセージ文を見れば、彼が真剣であることは分かる。出来るようであれば、その意思に応えてあげたいと思う。残り僅かな命の人、ということを思えば、そうしてあげるべきだろう。でもまだ数カ月の時間はあるのではないだろうか? 私は推測して、すぐにかからなければいけないということでもない。許された時間の中で実現できれば良いことだろうと考えた。
だから、そのことには直接触れずに、当たり障りのない普通の返信メイルをしただけ。そんなやりとりをしている間に、彼の要望方面のことにも、触れていこうかと。そんなところだった。

そうしたこちらのメイルに対する、彼からの返信はなかった。ならば、このままやりとりは止めることにしようか? 思ったけれども、もう一度、短かなメイル。それに対して、2日ほどして、ヨーロッパの、彼が入院しているその国の彼の弁護士に至急連絡を取ってもらいたいという彼からの、メイル。今日彼と会ってあなたのことを話している。彼に連絡をしてくれれば資金を渡すまでの手順を、教えてくれることになっているから。そうした内容。
彼の私に対する関心は、ただ資金提供の相手探しに動いてくれるか否か。ということだけというわけだったんですね。
お金で人を思うように動かしてきた人間。そんなイメージを彼に対して抱かなくもなかったかな。中東の、金持ち。そういう人の、これまでの人生。そんなものを感じて。

(つづきは、次回)

何でもあり? の人類史的側面/未来

2010年08月07日 03時27分46秒 | コラム

ニュースによるとこの4日、スーダンで「道徳を乱したことで、女装の男たちに鞭打ち刑」、ということが行われた由。なんでも、同性同士の結婚を祝うためのパーティで、女性の身なり、化粧をしていたイスラム教徒の男19人が、警察の強制捜査により摘発されて鞭打ち30回の公開刑、そして罰金の処分を受けたということである。判決を下したのは、首都ハルツームから、ナイル川を挟んで対岸にあるオムドゥルマンという街の裁判所。
同性愛についても、この国の北部ではイスラム法が適用されて、禁じられているのだとか。
実情がどのようなものであるのか、私には、とんと分からないけれども、制限の強そうなことは、感じられる。

また同じ4日。アメリカのカリフォルニア州の連邦地裁は、同性婚を禁止した同州の憲法改正が、アメリカ憲法に反するとの判決を下したとのこと。それに対して同性婚反対派は控訴をするとみられ、連邦最高裁まで争われる公算大の見込みのようであるとか。


ここのところの、そうした情報。
自身の周辺の現実とはかけ離れた、いずこかの民族、国での出来事、状況という印象が個人的には強いけれども、それとは別に、思うことは色々とある。
20代の前半、ヨーロッパを旅していた頃、オランダのアムステルダムのゲイ・スナックで中年のスーダン人に誘われたことがあった。眼鏡をかけた浅黒い顔立ちの人だったけれども、スーツ姿だったと思う。教養のある人らしい印象だった。アフリカの人と話すのは初めてのことだったし、ホモセクシュアルであるということにも興味を覚えなくはなかった。アフリカにも、そういう人たちがいるんだなということを、新たに知ったようなそうした感覚でもあっただろうか。ただその時には、私には既に相手がいて、彼の誘いに応じることはなかったのだが。

法で禁じようと、独裁的な特殊思想が排除にかかろうと、宗教的に許されないという束縛があろうとなかろうと、ホモセクシュアルというのは、人間属性の一部としてあるもの。人類意識が、どのように未来的に変化をしていくものか。そこには興味を覚える。性別などの枠にとらわれない、同性婚など当たり前というような意識変化を経た社会になっているのか。
例えば、一万年先。人間界全般、どのようなことになっているのか。それは、興味のつきない、未来模様。どういう世界になっているものか。総てにおいて。


「夏とある検事のこと」のつづき

2010年08月04日 23時43分33秒 | weblog
半世紀、とまではいかないけれども、それに近いほど遠い過去のことながら、彼とのことは私の人生にとっては、貴重な記憶。
出会った時のことも印象に残るし、彼のイメージにも忘れがたいものがあるからだろうと思う。彼もエピソードのことなど少しは話してくれたけれども、私の抱いていた彼が経てきた旧制の高等学校のイメージだとか(東大時代のことは聞いたことがない)、そうした背景を重ねて見ていたところもあって、なにか精神的に培われてきた魅力、雰囲気を感じてしまうところもあったように思う。二重瞼のキリッとした形の良い眼。端正なふっくらとした顔立ち。眼鏡。二人の娘の父親でもある働き盛りの、中肉、175センチほどの姿良い中年紳士。検事。
私にとっては、とりわけその魅力的な容姿。理想のタイプ、ということだったでしょう。

夏のことというと、思い起こすのは、ボートに乗った時のこと。
会う時は、私のアパートで仕事帰りに、ということだったのが、玉川でボートに乗ろうと電話で彼が言ってきたのである。東横線の二子玉川園の駅で待ち合わせ。夏の夕暮れ時の頃だったと思う。彼は仕事帰りだから、カバンを持った姿。
今思えば、彼が仕事の行き帰りにいつも通っている線。電車から多摩川を見ながら、ボートのことを思いついたのかもしれない。白いワイシャツの袖をまくって、漕いでいた彼の姿が浮かんでくる。薄暗い時間の川の上。中年の彼と高校生の私が、そのような時間にボート上にいる。外目には、変わったとり合わせと、映ったことだろうと思う。でも、辺りに他のボートがいたという記憶もない。今になれば特別な、彼との思い出。

そうしたことは、彼にとっても記憶に残ることであったのかもしれない。
というのも、何十年もの後、彼がどうしているのかを知りたくなって、その記録を辿ってみたことがあったのである。それによって知ったのは、彼が東京で仕事をしていたのは、私と会った前後の数年間だけで、それ以前、そして後も、九州から東北に及ぶ県の検察庁の仕事に就いていたということ。私の思いもしなかったことに。私はそれまで、ずうっと東京での仕事、と思いつづけていたのである。
だから、そうしたことを知って、東京のような都会とちがって、当時の地方では、仕事の性格もあり行動も限られていたのだろうな、と想像もしたのである。若い男の子との性的関係、などということについては。どのようなことがあったものか、私の知る由もないことだけれども。

彼の記録を辿って知ったことには、戦後の世に知られた事件の担当検事として、彼の名のあったことなどもあった。私が知る、はるか以前の時代の彼のこと。法廷での検事としての彼がどんなふうであったものか。私は、想像ができない。明晰、頭脳優れた人であることは分かる。でも、私は自分の前にいた彼をしか、思い浮かべることができない。

私が母と住むことになって、それまでのようにアパートで二人だけで会うことができなくなるという事情も生じて、また私の受験のことなども考えてのことだろう。10月の頃会った時に、彼が、今日を最後にしようと言った。
駅の近くの和風の店に入って、カウンターそばの座敷席に向き合って座ると、彼は酒を注文した。外で一緒に店に入るのは、その時が初めて。別れのための盃を交わしたい、という彼の気持の表れ。そのことが良く分かったし、彼ともこれで最後と思うと、気持は沈んだ。言葉もでなかったように思う。そんな私に彼は、これからの人生への励ましの言葉を、向けてくれたりなどしていたと記憶する。
店を出た後、いつも彼を送った駅まで、最後となったその日は、彼は私の肩を抱いて歩いてくれた。沈む私の気持を慰めようとするかのようでもあったけれども、それだけではない、彼自身の思いもまたあったのではないだろうかと、今は思う。

前の記事で触れた、彼にもらった参考書のこと。それはチャールズ・ラムの「エリア随筆集」の対訳本のことで、早稲田志望だった私の、受験の英語に役立つようにと、持ってきてくれたもの。それは以前、彼が読書の一端に使っていたものだったようで、いくつかの場所には、うすく赤のアンダーラインが引かれていたりした。その抑制を感じさせるようなラインの感じに、私は、彼という人を思ったりなどしたのだけれども。
その、彼に繋がる唯一のもの。一冊の本。今、殆ど眼に触れることはない。見れば、今でもなにか切ないような思い、甦る。