思い出深い、というのも、そもそもが私がホモセクシュアルの世界を知るきっかけとなったのが、この雑誌、ということがある。中学校を卒業して、上京。その数ヶ月後辺りだから、誕生日前で15才の終わり頃だったのではないかと、記憶する。間借り下宿をしていた処の近くの古本屋で手に取ったのが、最初。全く未知の世界。中を開いてどのように感じたものか、もう記憶にはない。1961年の7月頃のこと。
今度検索をしてみて、雑誌「風俗奇譚」の発行が、1960年1月号から1974年9月号までであったことを知った。ということは、意外だったことに私が手にしたのはまだ、発行の始まった翌年のことでしかなかったということなのだった。それよりもっと以前からのものと思っていたのである。
内容的には、今ではそのような言い方もしないように思うけれども、言わば性的に「アブノーマル」な関係。縮めて「アブ」などと言うこともあったように思うが、男色、SM、女装、フェチ、などという方面。当時他に「奇譚クラブ」というSM、それも確か男女のそれがメインという雑誌(こちらは1952年6月号より1975年3月号までの発行)もあったけれども、そうした出版物は本当に限られていて、現在とは全く異なった様相の時代。
風俗奇譚の創刊から最後の号までの、目次を知ることができる。それによって私が最初に手に取った頃の、雑誌の内容のおおよそを知ることができるのだけれども、自身の記憶に漠として残っていて、その世界に魅惑されるような感覚を覚えたその男色小説が、どの号の何と言うタイトルだったのか、今目次を追ってみても良くは分からない。これではないかと思えるものはあるのだが、それであるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。曖昧。ただ、何人かの作者、投稿者の名前は記憶にあって、懐かしさを覚えたりもする。
改めて今見て感じるのは、男、女、その性的趣味の対象が広いこと。男色、同性愛趣味というのも、その一部に含まれるという形の位置づけ。ただ、この日本という国の中のその趣味の男たちにとっては、そうした場がそこにあるということだけでも、特別な貴重な存在たりえていたということ。それは確か。雑誌の最後に文通欄があって、そこで同じ趣味の相手を求めることもできるようになっていた。それを通して、同性の相手に呼びかけができる。そういう場のあることは、その趣味者にとっては大きかったと思う。
私がその雑誌を知った当時の内容を見てみると、号によってその特集に「女装に陶酔する男たち」「鞭に憑かれた男と女」というものがあったりするのだが、何にしても男女、性的嗜好全域、アブノーマルとして考えられるものは何でも含む、ということになる雑誌内容をイメージしてもらえれば良いものと思う。その中で普通の男色、同性愛内容の記事というのは、僅か。マイナー的な位置的内容にも映る。それにしては、文通欄などの利用者はこちらが多いというようなところだったのではないか。
「マゾヒストの手紙」「浣腸の和解」「責められる女の羞恥」「彫りもの奇談」「悦虐クラブの女」「赤褌斬り込み隊」「ほも禁秘帖」「女装愛好の部屋」「コルセット・フェチシズム」「私の女装半生記」「K氏自虐帳」「尻打ちの世界」「鞭打ち浣腸小説」「ほもの窓」「私が褌マニアになったのは」「ふたりのマゾヒストの女」「女体に加えるウナギ責め」「豊満な白いお尻の魅力」「わたしの女装ひとり歩き」「乗馬服を着てのプレイ」「女装座談会ー女の肌を作る」「ある女性の変態遍歴」「男色者における異性関係」。
当時の各号から拾ったタイトルの一部。
そうした内容の雑誌の中で、ある男色小説から受けた刺激。官能的な魅惑されるもののあったこと。未知の世界。男色に関係した言葉のいくつかなども、雑誌を見ることで知った。中に男性同志交流の「友の会」のような広告があり、興味を抱いた。そうして、入会の申し込み。
まだ、セックス未経験の16才。その会の主宰者である人にも、会いに行っている。どういう経緯でだったか、もう記憶にはないけれども、五十前後ではなかったかと思うその人の住む場所に出掛け、そこに会を手伝う人などもたまたまいたりで、全国にいる会員の簡単なプロフィールの記された冊子などを見せてもらったりもした。
その年の冬近くだったか、会の親睦会が箱根の旅館で行われた。新宿発の小田急で主宰者たちと一緒に出発。そういう年齢であったからか私の場合には費用の一切が免除されたのだけれども、北から南からやってきた大人たちの中にいたその夜のことは、まだかなり良く覚えている。確か大阪からやってきた、いわゆる太目の熟年紳士という感じの五十代と思えた眼鏡の人がいて、事前に主宰者から私のことは彼に伝えられていたものか。16才の子がいる、というように。
夜、参加者が一室で、静岡からの中年の参加者の8ミリフィルムで撮った男のセックス物の映写を見たり、話に興じたりということのあったあと、それぞれに部屋に移ったのであるけれども、私はその太目の熟年者と一緒になるようにされて、同じ布団に。その彼が、私の体の上になって、唇を重ねてきたのが接吻というものの初めての経験。不思議な、気の遠くなるような感覚をおぼえたものだった。参加者の中にはSM趣味の人たちもいて、別の部屋ではそうしたプレイも行われていたもののようだった。
「風俗奇譚」。それを初めて手にして以降の当時の体験。懐かしくもある。
全目次をネットの検索で見ることができることを知った時に、自身も小説めいたものを書いたことを思い起こし、その号を追ってみた。1973年に二度、書いている。使ったペンネームを見て、その内容のことなども思い起こした。はるか昔のことながら・・・・。
今度検索をしてみて、雑誌「風俗奇譚」の発行が、1960年1月号から1974年9月号までであったことを知った。ということは、意外だったことに私が手にしたのはまだ、発行の始まった翌年のことでしかなかったということなのだった。それよりもっと以前からのものと思っていたのである。
内容的には、今ではそのような言い方もしないように思うけれども、言わば性的に「アブノーマル」な関係。縮めて「アブ」などと言うこともあったように思うが、男色、SM、女装、フェチ、などという方面。当時他に「奇譚クラブ」というSM、それも確か男女のそれがメインという雑誌(こちらは1952年6月号より1975年3月号までの発行)もあったけれども、そうした出版物は本当に限られていて、現在とは全く異なった様相の時代。
風俗奇譚の創刊から最後の号までの、目次を知ることができる。それによって私が最初に手に取った頃の、雑誌の内容のおおよそを知ることができるのだけれども、自身の記憶に漠として残っていて、その世界に魅惑されるような感覚を覚えたその男色小説が、どの号の何と言うタイトルだったのか、今目次を追ってみても良くは分からない。これではないかと思えるものはあるのだが、それであるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。曖昧。ただ、何人かの作者、投稿者の名前は記憶にあって、懐かしさを覚えたりもする。
改めて今見て感じるのは、男、女、その性的趣味の対象が広いこと。男色、同性愛趣味というのも、その一部に含まれるという形の位置づけ。ただ、この日本という国の中のその趣味の男たちにとっては、そうした場がそこにあるということだけでも、特別な貴重な存在たりえていたということ。それは確か。雑誌の最後に文通欄があって、そこで同じ趣味の相手を求めることもできるようになっていた。それを通して、同性の相手に呼びかけができる。そういう場のあることは、その趣味者にとっては大きかったと思う。
私がその雑誌を知った当時の内容を見てみると、号によってその特集に「女装に陶酔する男たち」「鞭に憑かれた男と女」というものがあったりするのだが、何にしても男女、性的嗜好全域、アブノーマルとして考えられるものは何でも含む、ということになる雑誌内容をイメージしてもらえれば良いものと思う。その中で普通の男色、同性愛内容の記事というのは、僅か。マイナー的な位置的内容にも映る。それにしては、文通欄などの利用者はこちらが多いというようなところだったのではないか。
「マゾヒストの手紙」「浣腸の和解」「責められる女の羞恥」「彫りもの奇談」「悦虐クラブの女」「赤褌斬り込み隊」「ほも禁秘帖」「女装愛好の部屋」「コルセット・フェチシズム」「私の女装半生記」「K氏自虐帳」「尻打ちの世界」「鞭打ち浣腸小説」「ほもの窓」「私が褌マニアになったのは」「ふたりのマゾヒストの女」「女体に加えるウナギ責め」「豊満な白いお尻の魅力」「わたしの女装ひとり歩き」「乗馬服を着てのプレイ」「女装座談会ー女の肌を作る」「ある女性の変態遍歴」「男色者における異性関係」。
当時の各号から拾ったタイトルの一部。
そうした内容の雑誌の中で、ある男色小説から受けた刺激。官能的な魅惑されるもののあったこと。未知の世界。男色に関係した言葉のいくつかなども、雑誌を見ることで知った。中に男性同志交流の「友の会」のような広告があり、興味を抱いた。そうして、入会の申し込み。
まだ、セックス未経験の16才。その会の主宰者である人にも、会いに行っている。どういう経緯でだったか、もう記憶にはないけれども、五十前後ではなかったかと思うその人の住む場所に出掛け、そこに会を手伝う人などもたまたまいたりで、全国にいる会員の簡単なプロフィールの記された冊子などを見せてもらったりもした。
その年の冬近くだったか、会の親睦会が箱根の旅館で行われた。新宿発の小田急で主宰者たちと一緒に出発。そういう年齢であったからか私の場合には費用の一切が免除されたのだけれども、北から南からやってきた大人たちの中にいたその夜のことは、まだかなり良く覚えている。確か大阪からやってきた、いわゆる太目の熟年紳士という感じの五十代と思えた眼鏡の人がいて、事前に主宰者から私のことは彼に伝えられていたものか。16才の子がいる、というように。
夜、参加者が一室で、静岡からの中年の参加者の8ミリフィルムで撮った男のセックス物の映写を見たり、話に興じたりということのあったあと、それぞれに部屋に移ったのであるけれども、私はその太目の熟年者と一緒になるようにされて、同じ布団に。その彼が、私の体の上になって、唇を重ねてきたのが接吻というものの初めての経験。不思議な、気の遠くなるような感覚をおぼえたものだった。参加者の中にはSM趣味の人たちもいて、別の部屋ではそうしたプレイも行われていたもののようだった。
「風俗奇譚」。それを初めて手にして以降の当時の体験。懐かしくもある。
全目次をネットの検索で見ることができることを知った時に、自身も小説めいたものを書いたことを思い起こし、その号を追ってみた。1973年に二度、書いている。使ったペンネームを見て、その内容のことなども思い起こした。はるか昔のことながら・・・・。