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性的マイノリティの活動に資金提供したいと余命僅かな中東人 (2)

2010年08月18日 23時03分38秒 | weblog
ともかく、弁護士に至急連絡をとってもらいたいという、彼からのメイル。その一方的という印象の、「至急(immediately)」という言葉に彼の置かれている、時間がないという状況が思われはしたのだが、それはこちらの事情というわけではない。
自分は、残すファンドを人のために役立てたい。君が弁護士に連絡を取れば、彼は君がどういうことをすれば良いか、そのステップを示してくれる。君を信用してのことだから、問題はなにもないですよ、とメイルには書かれていたのだけれども、そのステップとはどのようなことをやることなのか、思い及ばない。それは、手順として、こちらがやるべきことがでてくることは、当然あるはずのことだったけれども。

用などもあって、ヨーロッパの、彼が入院している某国の彼の弁護士にメイルをしたのは、3日の後。そのメイルには、自分はホモセクシュアルであるけれども、その社会の人間とのつき合いは、ほんの数人程度で、ほぼ関わりを持たないような状況にあると言っていい。だから、その資金提供をしたいという、性的マイノリティのために活動をしている人々、団体とコンタクトするとしても、先ずはネットでその情報を得ることしか始めなければならない。ということを、書いておいた。じつは、こうした活動方面のことでは、この国の先達ということになるだろう南定四郎さんは、彼が最初のタブロイド紙を出した1970年代の初めの頃だったか、知った間柄だったこともあり、当時以降会っていない彼に連絡をとってみようか、などと考えたりはしたのである。

ネットで見ながら、彼に連絡ができないかを考えたのだが、得たメイルアドレスも現在は使われていないようだったりで、結局断念。彼ならば、適切なグループ、あるいは活動団体を紹介してくれるのではないだろうか、などと思ったのだけれども。
ネットで見た限りの、その方面の活動グループ。未知の、私には不案内な、これまで関心を持ったことのない、そうした彼らのことを知るには、時間をかけ、入りこまないことには、どうにもならないことのように思えた。これこれの、資金提供をしたい人がいる。あなた方のところでは、如何ですか。必要ですか? というような形で、良くは知らない相手ととりあえずは、コンタクトをとってみる。そんなことしか、短い時間の中ではできないだろう。

弁護士からは、こちらの連絡を待っていたもののように、すぐに返信があった。
こちらに提供される分ファンドについて、私自身が活動に使いたいということであれば、全額を私に。他の活動団体に提供されることになるのであれば、彼らに80パーセント。私には20パーセントが与えられる、ということ。
そのためのステップと言っても、特別なものがあるわけではなく、パスポート、あるいはクルマのライセンスなど、自身の証明になるものの必要。職業。住所、氏名、連絡先などを示すこと。そして、このことが私の思い及ばなかったところのことであるのだが、最終的には、私がその国の銀行に弁護士同行で行き、銀行側と会い、ファンドのお金の引き渡しもする。そうした手順となること。

多分、私にその意志があるとするなら、問題なくその条件はクリアできるよううであったし、ともかく中東人は私を全面的に信用する考えに立ち、弁護士はその考えに従い仕事をするだけの立場であることからすると、何より先に資金がこちらに渡される形になるような、印象だった。利用先の確定は、そのあとのことでも良さそうなようであって。何故に未知の私を彼が信用しようとしたのか? それは、そのアメリカのゲイサイトの私のプロフィール等を見て、同じゲイとして何か彼に感じるところがあったからと思うしかないであるが、それと彼には時間がないという事情。でも、そういうことは分かっても、こういう選択しか彼にはなかったのか。客観的に考えて、そうしたことを思わなくもなかった。あまりに、唐突ではないか。調査し、提供先を選ぶ、ということはどうだったのか。

私は、活動しているグループ。団体についての知識を得ようと、ネットで調べ始めてみた。何処のグループでも、その活動のための資金は必要だろうし、役立つことになるはず。人のためにファンドの一部を役立てたい、という彼の希望はそれだろう。だが、現実に自分が彼らとコンタクトをとり、ヨーロッパまで行くということに、私の実感が伴わないのだ。そもそもサイトを通じて、余命幾ばくもない大金持ちと思えるガン患者の中東人に、依頼されたからといって、その彼の願うことの為に私が何故に本気になって動きださなければならないのか。そのことに、実感の伴わない感覚。
結局は、それが私に、無理であることを感じさせた。意識がちがいすぎる、ということであったんだろうと思う。そのようにしか受けとめられない、ということであるのだった。
そのことをメイルで彼に知らせ、この死期の近いある人間の幻想によってもたらされたかのような、ちょっとした出来事は、終えた。


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