There were/ホモセクシュアル/days

或るホモセクシュアル経験者発信のzakki等。

ハコちゃん(岩下尚史)という方の顔、お姿を初めて見る

2013年06月04日 23時28分47秒 | コラム

                    

                         

  

6月4日の今朝も、朝関心のある部分だけだけれども聴くことの多い、ニッポン放送の「高嶋秀武の朝ラジ」を聴いて、途中でスイッチを切ることが多いものの、今日は忘れてしまっていて8時からの番組が流れていた。申し訳ないけれども、8時からの「垣花正のあなたとハッピー」は特には聴いていない番組なのである。垣花君の話す声が聞こえていて、「ハコちゃん」という人の名を言っている。以前にも、たまたま聴いていた時にその名前の人が番組に出ていて、印象としては、オネエ風な話し方をする苦手なタイプ。というようなところで、何を言っていたかの記憶などはないのだけれども、今朝も聴こえたその名前に、声を聴く前からこましゃくれたような魅力のないオネエタイプ中年がイメージされて、とても聴けないなという感覚になり、ラジオのスイッチを切ってしまった。

 

切った後で、そのハコちゃんというのはどういう人なのか、ということを今朝は考えた。それがなければ、彼のことは今も知らないまま。そして、いやな苦手なタイプ、という印象を持ち続けていたことと思う。というより関心もなく、忘れていたことと思う。ところが今朝、ネットで検索をしてみて、その人の画像が先ずは眼に入った時、イメージした人物とは全く別であることを知った。んん? こんな人だったの?  という処。つまりは、個人的な印象として、素晴らしく良かったということになると思う。感じが良いではないですか、と思い感じたというわけ。Wikipediaでその人のことについて見てみても、立派な仕事をされている確かな自身の世界を持っている人物ということが伝わる。YouTubeの対談ビデオを見て、もっとその人のことが見えてきた。ほんの僅かな間に、全く別の人をそこに認めるようなことになったということ。

 

1961年生まれということだから、今年で52歳ということになるんですか。かなりテレビなどにもでておられたようなので知られた人、ということになるのだろうけれども当方、テレビを見ないということもあるのか、全く知識無し。よってそのハコちゃんという名前のみラジオで知っただけなのであるけれども、何をしている人であるかも知らない。ということで、とりわけYouTubeの対談ビデオを見ていての表情、話し方などには興味を覚えた。服装などのセンス、洗練などにも彼という人ならではのものの表われているのを感じたけれども、思わされたその精神的に備わったもののこと。Wikiによれば、「十代の頃から、能、歌舞伎、新派劇、声曲舞踊に親しむ」ということであったようで、早くからそうした世界に興味を抱くことで、吸収し深めていったものが、彼という人の土台を確かに造っていったんだろうな、と。

 

というようなことで、ハコちゃんなる名前もいただいている岩下尚史さんという興味深い人のことを新たに知り、いずれまたラジオなどで声を耳にすることがあれば、今度は別のイメージを以て耳を傾けることにしようと思っているところ。

 

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このYouTubeの対談ビデオを見ていて、かつて知ったある人のことが思い浮かんできた。タイプとして、非常に似ているのではないか。顔立ちなどは、岩下さんの方が良いとは思うけれども、だが身だしなみなどの洗練、全体の輪郭、あるいは伝統などへの造詣を備えた、高いものを感じさせる印象。そして、ホモセクシュアリティ。中年。そうした共通性。その人に会ったのは、遙か遙かに昔の私が18歳位の高校生の頃で、何度かはセックスの関係も持ったように記憶する。彼は、K大の学生時代には歌舞伎研究会にいたという人で、当時もOBとして研究会とのつながりを持ち、企業の人ではありながら自身でもその方面の活動をつづけていたという人。岩下さんをビデオで見ていて、私の知るその人に絡めて、恋愛的、性的関係の方面のことなども、岩下さん当人には余計と思われることながら、想像などしていたところもある。

 

あるいはその方面でも似た傾向があるのではないかな、などという思いと共に。かつて知ったその人の場合など、知るだけに。


最新のオイレンシュピーゲル誌ながら初めて知る雑誌にして

2013年05月08日 16時48分14秒 | コラム

              

 

 

大学図書館の外国雑誌の棚で今日見かけて、大胆な表紙画像、という印象を覚えたものなのだけれども、このキスは挨拶のものなのではなくて、恋人同士、あるいは同性婚をした夫夫という間柄でのキスと見たら良いのでしょうね? ドイツ語の雑誌なので中を見ても分からなかったのだけれども、ここに、I've been looking for freedam、とあるので言わんとしていることは分かるイメージの画像であるわけなんですね。欧米のGayに絡む映画、テレビドラマなど一般に流されているものを見る機会が私なども多いですが、本当に日本とは別の世界、環境がそこにはあることを感じさせられます。偏見は、あるいは理解の難しさは何処に於いても存在するとしても、現実に法的に同性婚、civil unionのようなことが法的に認められているという世界があちらには現にあるということ。ということで、こういう表紙画像も普通に万民向けに出ている、という現実。日本に於いては、所詮あちらの国のことだから、と他人事ならではの受け止め許容。これが日本人同士などということになれば、印象からして、それはもう、、、、、、、、。

 


ゲイ/画家/フランシス・ベイコンを知る

2013年03月23日 19時05分37秒 | コラム

                                 

                                                         

                          

  

現在、国立近代美術館で「フランシス・ベーコン展」が3月8日から5月26日までということで開催されている。見に行こうかと思ってはいるけれども、どうしてもというほどの関心があるわけでもないことから、どういうことになるか。絵の前でどういうことを思うものか、考えたりしているのみ。                                                      実のところは先月だったか、W大学の中央図書館で雑誌「美術手帖」を手にとり、そのベーコン特集号で彼のアトリエの模様などを見てその特異さに目をひかれるまで、彼のことは知らなかった。彼について書かれたその記事で、彼の同性愛関係の相手(ジョージ・ダイア、後に自殺)のことなども知り、その独自の表現世界や人物などに、それとなく関心を抱くことになった。そのセクシュアリティがゲイにあることを知れば、その表現に見られる影響などにも考えは向く。日を置かずに、彼を描いた映画1998年のLove is The Devilを見た。フランシスを演じているのは、デレク・ジャコビ Derek Jacobi(1938-)。彼は、1986年のBreaking the Codeでも、やはりホモセクシュアルで天才数学者のアラン・チューリング(1912-1954)を演じている。デレク自身、実生活でイギリスに於いてCivil partnershipの施行された4ヵ月後の2006年に、27年間パートナー関係にあった俳優のリチャード・クリフォードと同性結婚をしている。サーの称号を与えられた俳優。アラン・チューリングにフランシス・ベーコンとホモセクシュアルでもある人物の役を、ホモセクシュアルの彼が演ずるという巡りあわせになったものだけれども、感心させられるほどの演技者という印象、強し。不思議と外見的にフランシスに似たところのあるタイプ。

                                         デレク・ジャコビ

                                         

 

 


YouTubeで触れるアメリカのLGBT状況の一端☆励ましのメッセージ

2012年09月21日 07時03分10秒 | コラム

LGBT(レズビアン,ゲイ,バイセクシュアル,トランスジェンダー)青少年への、It gets better project。

偶然にその関係のビデオに触れて感じのは、そこに登場する人たち、その所属先が、誰もが見ることのできるYouTubeのような場でゲイとして、あるいはレズビアン、バイセクシュアルとして表に出てきていることへの、強い印象。公然と出てくることなしには、その訴える力とはなりにくいのだから、それはそうなのだろうけれども、勇気ある人々、心に強いものを持つ人々ということを、やはり彼らには感じさせられる。別の国、別の環境、世界なればのこと、というのは確かと言うしかなく、日本などでは考えられない、彼らのaction。                                                                                             2010年の9月にこの活動を立ち上げたのはアメリカの作家、メディア評論家のDan Savage(1964-)、そしてその夫 Terry Millerということだけれども、夫夫ということからして同性婚の二人。やはりそうしたベースがあって立ち上げられた活動なのではないかとも、思われる。

このプロジェクトに参加をしているのは、個人、恋人同士、同性婚をしている二人他、さまざまであるけれども先に書いた所属先、ということでの会社、大学等のことに触れると、著名な名称の場所が網羅されてしまうのではないか、というほどの広がり。CBSのEmployeesもある。ホワイトハウスのスタッフ。VisaのEmployees、AppleのEmployees、Disney、FacebookのEmployees、ソニー映画エンターテイメントのEmployees、Harvard Business School、コロンビア大学、イェール、ハーバード、California Academy of Science、UCLA、スタンフォード、イェール大学の神学部、等々、限りがない。年齢、男女さまざまに、登場するひとりひとりが、ゲイとしてあるいはレズビアンとして等、自分のセクシュアリティにどのように悩み、あるいは苦しみ、それを受け入れるようになったか、なれたかというような体験に触れてくれている。教授もいる、大学院生、政府系機関の職員、スタッフ、様々な企業の社員など、それぞれに今は社会の中で活躍する人々ながら、セクシュアリティゆえの他と自身の差異を成長段階で向き合わされてなやみ、あるいはそれゆえにひどいいじめを受けた体験を持つ人などのいることを知らされる。

当時のくるしさを思い起こし、涙ながらに語る人、自殺を考えた人なども。何故にそれほどにセクシュアリティゆえのいじめがひどいのか、と感じる。アメリカの高校がどういうものか、こちらには知識がないので、このビデオに登場する彼ら、男性女性、その何処にいじめにかかる側である他の者たちが性の異質などを感じとるのかが、不思議に思える。カミングアウトをするか、特別にゲイやレズビアンのように振舞わない限り、普通には相手がゲイなのか否かも分からないのではないか。私などの感覚ではそうなのだが、どうもそれだけではない、何かしらちがうものを感じれば、例えば真面目すぎるとか、自分たちとは違う雰囲気のなにか、それだけでも暴言のような言葉でからかいの対象とする、というようなマッチョ主流のような風潮? 同性愛者に向ける、" queer"だとか、"fag"の言葉を投げつける。暴力さえもふるったりする。というような、なにか、日本で育った自身などには分からない、異質なものがあちらにはあるように思える。とりわけ高校時代を通り抜けるのがいかに大変かを、彼らは知らせる。人生の最悪の時期だったと、言う。

現にその時代にあるティーンエージャーが置かれている、彼らが過去に経験したような状況。セクシュアリティによるいじめによって自殺する青少年のいること。こうしたプロジェクトが立ち上げられたのも、その深刻さあってのことであるはずだけれども、青少年たちがその時代を乗り切れずに死を選んでしまう。それはあまりにも、自身の人生を大切にしないこと。その時期を乗り越えれば、必ずやpositiveに自身のセクシュアリティについても、周囲の世界についても考えられる時が来る。愛する人との出会いもあるはず。そうした自身に出会うことなく、死を選んだり、死を考えたりすることは絶対にするべきではない。"It gets better"。ビデオに登場する大人となった彼らすべてが、心からその言葉を口にする。"It gets better.So much better"。


カミングアウト/プロのアスリートに触れてみる

2012年06月05日 20時04分28秒 | コラム

例えば、イギリスの俳優アラン・カミング/Alan Cumming(1965年1月生まれ)は、このようなことを言っている。彼は、バイセクシュアルを自認。過去に女性との離婚を経験し、2007年にグラフィックデザイナーと、同性婚している彼なのだが。

      "We need to do everything we can to counteract hatred and shame and we need to be strong in this fight"

                     

当然カミングアウトするには、相当に精神的なエネルギーもいることだろうけれども、イメージ的に思うことには、「自分にはこれがある」と確信できるような何かを持っている人は、精神的にも強い、ということ。その人それぞれに事情はあるだろうけれども、その職業において世間に名の知られた人でカミングアウトするような場合など、そうしたことも思う。同性婚の場合などでも、「愛」という精神的な支えとなるものの力、それあっての行動力を思わせる。それが偏見であれ、何らかの外からの圧力のようなものであれ、たたかうためには心の支えになる何かが要る。

アメリカのメジャーリーグでプレイしたグレン・バーク/Glenn Burke(1952~1995)は、高校ではバスケットボールのスタープレーヤー。プロとしてバスケットをやっていけるはずであったのだけれども、別方面のメジャーリーグから指名を受けてしまった。運動能力抜群ゆえのことだったのだろう。そうして黒人の彼は、プレーヤーでいる間に、カミングアウト。1970年代の後半のことだから、時代的にも早い。そして、このような言葉を残している。

    "They can't ever say now that a gay man can't play in the majors because I'm a gay man and I made it"

                      

メジャーリーグにゲイはいないなんて誰に言わせないよ。だってゲイのおれが現にちゃんとやっているんだからね。なにか、個性味を感じる。1995年にエイズに関わる病で、他界。                                                                             

 

メジャーでは、ビリー・ビーン/Billy Bean(May 1964生まれ)が、引退後の1999年にカミングアウト。メジャーには1987年から1995年まで。その間の1992年には、日本の近鉄バッファローズでも、プレイしている。1996年に球界を離れたのは、エイズによって亡くなった39歳のパートナーの死、その辛さを誰にも知られずひとりかかえこんで、表面何事も起きなかったかのようにプレイする自身、現実に耐えられなくなったがゆえのこと。彼の1999年のカミングアウトは、New York Timesが一面で伝えたものだけれども、Gayに対するステレオタイプなイメージ、一般の味方、それに対して多様な個々のいること、それを知らしめるに、やはり影響大きい存在の一人足りうるはず。彼の活動は、つづいている。

                     

 

 NFL。アメリカンフットボールでは、ホノルル生まれのサモア人エセラ・ツアオロ/Esera Tuaoloが、引退後の2002年にカミングアウト。10歳の時に父親を亡くしている。自伝がある。2006年春の出版。"My Life As A Gay Man In The NFL"。2010年の6月に家の中の暴力で逮捕される、というようなことがあった。2000ドルの保釈金で釈放されているのだけれども、恋人との間のできごと。彼はメディアの報じ方は大袈裟と言っていたようであるものの、実際にどういうことがあったのか。なんにしても、当人は188センチ、体重127キロの巨漢なのだから。

                     

 

それよりはるかに早く、最初にプロのアスリートとして1975年カミングアウトしたのが、ディヴィッド・コペイ/David Kopay(June 1942年生まれ)。NFL関係でカミングアウトした他の二人に与えた彼の影響は、大きかったはず。2007年には、母校ワシントン大学のQ Centerに百万ドルの寄付を発表している。Q center。ゲイ、レズビアン、バイセクシュアル、etc、それらのための研究等のセンター。                                                                彼は、このようなことを言っている。

      "I hear from people all over the world that my coming out has empowered in their search for self"

素晴らしいことではないかなと思う。その勇気ある行動。

 

                       

 

NFL3人のうちのもう一人、ロイ・シモンズ/Roy Simmons(Nov 1956年生まれ)は、1992年に、テレビのPhil Donahue showにおいて、カミングアウト。その直後にロイは姿して12年間、消息が解らない状態となる。現われたのがNew York Timesのインタビューにおいて。そこで47歳の彼は、このような事実を話している。エイズのHIV-positiveであること、11歳の時に近くに住む結婚をしている男にレイプをされたこと、2年間ドラッグとアルコールのリハビリを受けていたこと、飛び降りようとしてゴールデンゲートブリッジに近づいたことがあること、そしてまた僅かの間ホームレスだったことのあること。苦しいそうした時代を過ごした人であることを思う。

                      

 

NBA、プロバスケットボールでは、ジョン・アマチ/John Amaechi(Nov 1970年の生まれ)が、引退後の2007年に自伝"Man In The Miイギリス育ち。アメリカの高校に進学してバスケットボールを始める前は、イギリスの1487年創立というStockport Grammar schoolに在学していたということだから、ベースにあるものが少しちがうのかもしれない。                                                                                                                         ところでこんなエピソードを、彼は明らかにしている。なんでも、イギリスのマンチェスターのあるゲイバーに入ろうとしたところが、ドアマンに断られたのだという。理由は、体の巨きな黒人。なにかトラブルでも起こすのではないかと見られたものらしいのだとか。2メートル8センチ。体重、122キロ。まさに、ジャイアント。                         テレビ番組出演のビデオなどを見ていて思うのは、かけているその眼鏡の度数の強そうなこと。当方などがかけたら目が回り頭痛がしそうなほどの、強さを感じさせるのだけれども、眼鏡無しでのプレイヤー時の感覚はどうだったのかなど、知りたくもなる。

                  

 

 

イギリスのプロラグビープレーヤーでは、 ガレス・トーマス/Gareth Thomas(July 1974年生まれ)。ウェールズ出身。2011年9月に破られるまでウェールズの100キャップ記録を持っていた(ラグビーの場合、国同士のゲームをテストマッチと言い、一試合出場に1キャップが与えられる)。2001年に十代の頃に知り合った女性と結婚。2009年に離婚。その間に妻が3度の流産。その2009年12月に、彼はGayであるこのカミングアウト。その後彼は、子供たち、青少年の心の問題に対する電話でのカウンセリング、ChildLineでの活動も行う。                                                           彼は言う。

   "I don't know if my life is going to be easier because I'm out,but if it helps someone else,if it makes young lad pick up the phone to ChildLine,then it will have been worth it"

カミングアウトした自身ならではのできること、心の問題に応えられる何かを与えられられるのではないかと考える彼の、温かな人間性を感じる。

    

                                        

 

プロラグビープレーヤー、ベン・コーエン/Ben Cohen(Sept 1978年生まれ)。カミングアウトしている一方で、彼は結婚していて、双子の子供の父親でもある。2008年には、Gay Times' のスポーツプレーヤーの部門で、ディヴッド・ベッカムを抜いて人気一位。全体の年間最もセクシーな男の部門でも二位と、人気。現在に至るまで、モデル等の活動なども。一方で、彼の場合30パーセント余の難聴ということもあり、同じハンディをもつ若いプレーヤーへの助力などにも力を、傾ける。

           

 

女性のプロアスリート他、彼らのことを思うに、我が国の事情なども考えさせられる。こちらは、完璧にcloset状態と言うしかないのだろうけれども、なんにしてもあちらと此方のなんと違う世界かと、つくづくと思わせられる処。先駆的な存在がある、その人あってあとの人につづく人の道筋も与えられる、ということを思うけれども、そうした存在の生まれる土壌がそもそもこの国の、例えばプロスポーツ界にはあるのだろうか。

 


アン・ハサウェイを知る★ゲイの息子を家族はどう受け容れるのか

2012年03月02日 08時27分26秒 | コラム




名のみ知る程度であった1982年生まれのアメリカの女優、アン・ハサウェイ。netの検索のキッカケは、今回2回目のアカデミー主演女優賞を得たメリル・ストリープ。彼女がヴァッサー大学の出身であることから、共学になる以前にもかつてはヴァッサー女子大として名門大学だったその大学の他の出身者などWikipediaで見てみたくなったこと。卒業はしなかったけれども在学した者のところにあった彼女の名。その彼女のWikiの紹介文を見ていて、やはり思わず目をの止めてしまった部分。「カトリック教で育ったため修道女になりたかったが、15歳の時に兄がゲイであることを知り」という箇所。

それにつづく「兄の性的指向を認めない宗教には属せないと感じその道を諦める」、という彼女の意思に感じたミドルティーンにしてのその理知。そうして「それをきっかけにして家族全員がカトリック教会から離脱した」という事実が思わせた、その家族を結ぶ愛情のこと。内情は知る由もない、だがそれらの事実に率直に感じた、そうした選択のできる人々であること。彼女の父親は、弁護士。母親は、舞台女優。YouTubeで、彼女のインタビューなどを見る。明朗そのものの、魅力的な女性。映画は2007年の「Becoming Jane」位しか見ていないのだけれども、今後は、やはり注目して見ていくことになりそう。活躍を期待したい。

少し前、夜のウォーキング時、ラジオでFar East Netwokを聞いていた時に、メリーランド州上院で同性カップルの結婚を合法化をする法案が可決されたとのニュースを耳にした。賛成25、反対22ときわどいところでもあったようだけれども、あちらは、そうしたことの実現している国。コネチカット、ニューハンプシャー、アイオワ、マサチューセッツ、バーモント、ワシントン州もこの6月には、合法化予定とか。宗教のこともあって難しいところもあるのではないかと思わせるものがありながら、現実には同性同士の結婚を許すという、かつてはあり得なかった革命的な変化が現実には起きていること。そういう国においては、人の常識が変わらざるを得ないのではないかと、離れたところで見ていて思う。偏見の度合い。

むろん、限られた州のことであるし地域によって事情は非常に異なる処のことであるのだろうけれども、そうした情報に触れる時、自分の住む国、日本における事情のことを思うのである。環境の違いを思う。例えばのこと、家族の中で高校生の息子がゲイであることが分かったとして、どういうことがそこで起きることになるのか。それに理解し、受け容れ、尊重し、愛情をもって護る意識を持てるようになる家族をイメージすることは、ほぼ不可能。そうした面での人間的成熟をイメージできるとするなら、それは高度に洗練された意識の家族においてのみ。といったところか。特別な人々。前に記事に書いたことがあるけれども、ドイツでドイツ人と同性結婚をし、日本でも結婚式をやった当人と交流を持ったことがあるのだけれども、結婚した同性の二人が中央に並ぶ親族たち列席の写真を見、実感としてとても異様に感じたものである。

日本にいての、そうした感覚。私自身、窮屈なこの国の常識に意識が縛られきっているように感じる。その束縛を厭い、全く別の人生を願うある者たちは、とうにもっとゲイとしても生きやすい国へと去っているんだろうなと、羨みの気持を抱いて思ったりもする。


想像もできない、怪物のような、相手

2011年09月23日 07時32分52秒 | コラム

私は、自分のつき合いたい相手の好みとしては、概ね身長は180センチ以下。体重は100キロ以下、という辺りのところになるのだけれども、例のアメリカのゲイサイトを見ていると体格的に、ともかく大きい人が目について、人種の違いを感じさせられてしまう。自身の身長は、166センチ。
当ブログ、2010年3月3日の記事で触れている二十代の学生時代からつき合ったアメリカ人のジョゼフ・Bは、身長185センチだったけれども、当時セックスの時などに、大きすぎると意識をしたことなどはなかった。あくまでもセックス面でのことだけれども、身長のありすぎる相手とは、どうも身体的に合わないところがある、と感じるようになったのはずうっと後のこと。そのような感覚のある自身なのだが、今日眼にしたプロフィールの46歳には、実際眼を疑ってしまったもの。なにせ、身長213センチ。体重の168キロは、このサイトではそう珍しくはない重さだけれども、ともかくその身長。プロフィール写真を見ると、スキンヘッドで、口髭。ちょっと迫力のある顔つきに見えるものの、気持の優しいタイプ、ということは想像ができる。求める相手の年齢は、60歳から90歳。ということは、父親のような相手を求めているということ。実際、パートナーがいてその相手は、78歳。フィラデルフィアに住むその彼のプロフィールメッセージ文を見ると、「自分とパートナーのRには、共通の友人が一人しかいない、だから友達を求めている」というような内容。身長213センチ、体重168キロの46歳の彼と、78歳の父親のような相手との"カップル"。例えば、そのセックスなどはどんなものか。とても、想像ができない。途方もない巨体のプロレスラーがいたのは知っているけれども、実際、怪物のようなものでしょう? 眼の前で見たりなどしたら。それが自分のパートナーだったりしたら、どういうものなのだろう?


大阪府議会議長の失言の愚かしさ

2011年03月21日 21時50分05秒 | コラム

人間としての粗悪さが、隠しようもなくどうしても出てしまうということなんでしょう。何とも哀れ。救いようもなく愚か、というこの事実。如何様な言葉で詫びようとも、それは拭えないはずのこと。大震災で亡くなられた方々、あるいは避難所のくるしい状況で過ごされている方々、被災者総ての人々の前で土下座をし、謝られたが宜しいかと思います。それでも足りるのかどうか、何れにしろちゃんとした大人としての良識を持つに至らないでいることを、とことん恥ずべき。というような言葉を投げつけたくなるほどに、腹立たしい事でありましたね。この議長のこうした発言。当人の資質、本性顕著に現われたと思える失言。


大震災/Sからのメイル

2011年03月16日 22時50分22秒 | コラム

今回の大震災で、津波による死者を多数出したS市にいるSからのメイル。


 3月12日 13時37分発信

おとうちゃん、千葉県も揺れましたか? 大丈夫でしたかあ? Y市の自宅の建物、家族親戚一同、皆無事でした。先ほどS市の住宅にに戻りました。五キロ先の海岸付近は・・・壊滅状態で、約200-350名の遺体、海岸沿いに漂っています。余震あり、二次災害有り得るため、遺体回収できません。若林区荒浜地区は全滅だよ。全て、津波に持ち去られましたよ(泣)。余震、未だに続いています。其方も、地震には・・・気を付けてください。ライフラインは・・・水道のみだよ。S市内、火災地域もありますよ。気をつけましょうね。

                                                  S




3月13日 21時31分発信

おとうちゃん、お晩です。Y市の自宅、親戚一同、家族、皆怪我なく、建物も無傷でしたよ。昨日、家族残し、娘夫婦と孫、心配でS市に戻りました。職場の住宅に戻り、上司、同僚部下の安全確認に走り回りましたあ。職場もライフライン繋がり安堵しましたよ。遅くなりました。なんとか頑張って生きいます。しかし宮城県の死者の数、一万人以上、痛ましい限りでした。卒業式襲われ、亡くなった児童にまたあ、涙出ます。痛ましいよ。余震続いてます。気をつけましょうね。おとうちゃんも、お疲れ様でしたね。ゆっくりして下さい。

                                                  S


私の方も、地震の日は揺れも経験したし、東京から自宅に戻るまで大変だったのだけれども、そして住まいの中の物も壊れたり、倒れたりしていたけれども、せいぜいその程度。
被災地の人々のこの大震災による大打撃からすれば、無きに等しいもの。
幸い、Sの関係の人たちは無事だったようだけれども、昨日の午前、彼にしたメイルの後、メイルは届いていない。たまたまのことなのだろうな、とは思うものの。

もうひとりS市にいるメル友親友のMのことは、分からないまま。大丈夫ではないかと思うけれども、地震後出したメイルに対しての返信はない。   


例えばチルデン/キンゼイ/だからどうなのかとは思いつつ

2010年09月03日 23時30分31秒 | コラム
前記事でも書名を出している海野弘著「ホモセクシャルの世界史」(文芸春秋2005)。
読んでさまざまなことを知ることができたわけだけれども、未知のことにしてここで知ることのできたことに、アメリカの往年の名テニスプレーヤー、ビル・チルデン(本名William Tatem Tilden 1893-1953)のことがある。

子供の頃の学校の教科書で知った名前。大正9年(1920)のウィンブルドン大会挑戦者決定戦での、日本の清水善造選手との対戦。その時に転倒したチルデン選手に対して清水選手は、彼が起き上って打ち返せるように、ゆっくりと球を送ってあげた、というシーンがあったんですね。それが美談とされて、教科書にも紹介され、我々の記憶にも残ることになったというわけです。清水選手の名前は記憶から消えていたけれども、チルデン選手の名前は残っていましたね。今度、Wikiなどで見て改めてテニス選手としての彼が、いかに偉大であったかを、知ったというような次第です。これまでは名のみ残っているだけの存在でありましたからね。
その彼が、この「世界史」によれば、「野球のベーブ・ルースと並ぶ国民的英雄であった"ビッグ"ビル・チルデンが、1947年、ロサンゼルスで少年にホモセクシャルな行為をしたとして裁判にかけられた」、ということ。スキャンダル。アメリカをおどろかせた出来事。
チルデン氏、53、4歳の頃です。長身、大男だったゆえのニックネーム、ビッグ・ビル。その彼の少年とのホモセクシャル行為。教科書よって記憶に残るその名と、今度知ったこの事実は、結びつかない。でもあっておかしなことではないなと認めなければならない。そういうことではありますが、ともかく、そうした彼の趣味を知ってみれば、そのホモセクシュアル遍歴のことなど、どうであったのかな、と思わなくもないですね。

それから、自身には若い頃によく眼に耳にしたものとしての「キンゼイ報告」。
アメリカの学者、アルフレッド・チャールズ・キンゼイ(1894-1956)による1948、1953年の「性に関する調査報告」。男性、女性、18000人の調査をもってのもの、とされる。
その報告以外には、その名のみを知るだけだったこのキンゼイ氏についても、「ホモセクシャルだった」ということを知れば、これまた、人間としてのその人物という関心側面へと、眼は向いていくことになる。「両性愛のマゾであり、学生、助手、愛人、妻との集団性交をすすめていたり、親から受けた厳格なキリスト教の教育に反発していたことが明らかになるにつれ、研究姿勢そのものの客観性、中立性が信頼できないという意見も、存在」などという言葉も、Wikiに見えるけれども、名のみではなくその人間を知れば、色々と出てくるものだろう、というところに行くしかありません。

2004年に制作された彼の伝記映画「愛についてのキンゼイ・レポート」。キンゼイをリーアム・ニーソンが演じているこの中では、当時の社会感覚で言えば「破廉恥」というしかないような彼の私生活の内容は、控えるような形でしか描かれていないようであるけれども、「破廉恥」の方に、人間らしさを濃く感じさせるもの、ありますからね。そうしたキンゼイも、思うことにして。

「ロイ・コーン」という人物を知る

2010年09月02日 06時41分59秒 | コラム
なにせ知らないことだらけの人間なので、ロイ・マーカス・コーン(1927-1986)という人物のことも、前記事に書いた海野弘著「ホモセクシャルの世界史」を読むまでは知らなかった。
Wikiを見ると、「マッカーシズムの時代に、赤狩りの急先鋒に立った」などとある。
20歳でコロンビア大学ロースクールを終えていることなどを知ると、有能であったことが分かるし、若くして連邦検事局で実績を見せ、マッカーシーのパートナーとなり赤狩りの急先鋒云々のことがあり、その失脚後は弁護士に転身。

「不動産王として有名なドナルド・トランプやマフィアのボスのジョン・ゴッティといった富裕層の有名人を顧客に持ち、さらに悪名をとどろかせることになる」

そしまた、
「リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンといった共和党保守派で反共産主義者としても有名であった大統領と親交を結び、非公式の顧問ともなった」

このコーン氏は、隠れた同性愛であったのだけれども、表向きはむろん、否定。同性愛の権利拡張には、反対。証人や被告人に対しては、同性愛者であることを暴露されたくなければ、法廷で検察に有利な証言をせよ」と圧力をかけてくることもあったとか。
そういう彼なのであるけれども、1986年にエイズで死亡。ただ本人は最後まで、肝臓癌だと言い張っていたという。

ニコラス・フォン・ホフマン著「市民コーンーロイ・コーンの生涯と時代」(1988)
1993年のピュリツァー賞、トニー賞を受けたトニー・クシュナ―の戯曲、「エンジェルス・イン・アメリカ」にも、「ゲイを抑圧しながら、自らゲイでエイズで倒れた」、このロイも登場する。
テレビ版には、アル・パチーノ、メリル・ストリープなどが出演しているんですね。エイズに冒された同性愛者たち。その周辺の者たちの人間模様。


人間のことは、分からない。結局のところは、そんなところに行きそうでもあるんですが、それは同性愛であることは隠したい。その一方で、同じ同性愛者を抑圧し、脅しをかけるというようなこともする。そして、最後まで同性愛を表向き隠しつづけようとするのだけれども、現実にはすべてあきらかになってしまっている。FBI長官だったフーバーのように、同性愛と見られはしながらも、一応はグレイゾーンの中、という場合とは異なることとなってね。そういう、男の人生。一生。

人間のこと、人のことは分からない。例えば、この日本。ホモセクシュアル。普通には、その行為はしながらも、表向きにはその人が同性愛、などとは絶対に周囲には分からないままに、一生を終える。そういうことになっているわけですからね、殆どの場合。

著名な人のゲイであることを知ること

2010年08月26日 23時15分53秒 | コラム
図書館の書棚で、たまたま眼にした海野弘著「ホモセクシャルの世界史」。
興味を覚えたので借りてきて、目下読み始めたところ。

目次で、ちょっと目に入った名前のオーデン、ハックスリ、イシャーウッド。そうした作家や詩人たちの名を見るだけで、ゲイだったことを知ることになるし、中をちょっと読んでもタイロン・パワーや「哀愁」でヴィヴィアン・リーと一緒だったロバート・テイラー。「シャレード」でへブバーンと共演のケーリー・グラント。それから、ローマ時代の太った老獪な政治家役といったの感じの記憶があるチャールズ・ロートンだとか。ロック・ハドソンはむろん、ゲイ。バイセクシュアル。ああ、その人も? というのは次から次へと出てくることになる。マレーネ・デートリッヒのレズ。あれこれと、分かること多々。私の知らなかったこと、多いわけです。音楽の、コール・ポーターとかね。ゲイということでも知られていたんだろうけれども、私は知りませんでしたね。

そういうことが、色々とあるわけですね。著名な誰それさんがそう。というような情報。例えばのこと、日本の中のことでもね。歌手、俳優、作家、その他。さまざまな世界で知られた人たちが、ゲイ、バイセクシュアルであるということ。多すぎるくらい、でてくることになるでしょう、事実としてのそうしたことは。私自身、有名な歌手、あるいは知られた俳優との、むろん彼らはゲイであることをカミングアウトしていない人たちですが、セックス経験があります。

知ってどうなんだろうな、ということを今、思ったりなどするわけですね。この「ホモセクシャルの世界史」という本は、史的に多方面から考えられた内容あるもので、読みながらその方面のことについて、関心をもって考えてみたくなる向きもいることだろうと思うけれども、ホモセクシュアルである自身としてはどうか? 関わりある関係。ということで読み始めているわけですけれどもね。
自分の状況、そしてそちらの眺め。そんなあれこれを思ったりしながらになりますか。

何でもあり? の人類史的側面/未来

2010年08月07日 03時27分46秒 | コラム

ニュースによるとこの4日、スーダンで「道徳を乱したことで、女装の男たちに鞭打ち刑」、ということが行われた由。なんでも、同性同士の結婚を祝うためのパーティで、女性の身なり、化粧をしていたイスラム教徒の男19人が、警察の強制捜査により摘発されて鞭打ち30回の公開刑、そして罰金の処分を受けたということである。判決を下したのは、首都ハルツームから、ナイル川を挟んで対岸にあるオムドゥルマンという街の裁判所。
同性愛についても、この国の北部ではイスラム法が適用されて、禁じられているのだとか。
実情がどのようなものであるのか、私には、とんと分からないけれども、制限の強そうなことは、感じられる。

また同じ4日。アメリカのカリフォルニア州の連邦地裁は、同性婚を禁止した同州の憲法改正が、アメリカ憲法に反するとの判決を下したとのこと。それに対して同性婚反対派は控訴をするとみられ、連邦最高裁まで争われる公算大の見込みのようであるとか。


ここのところの、そうした情報。
自身の周辺の現実とはかけ離れた、いずこかの民族、国での出来事、状況という印象が個人的には強いけれども、それとは別に、思うことは色々とある。
20代の前半、ヨーロッパを旅していた頃、オランダのアムステルダムのゲイ・スナックで中年のスーダン人に誘われたことがあった。眼鏡をかけた浅黒い顔立ちの人だったけれども、スーツ姿だったと思う。教養のある人らしい印象だった。アフリカの人と話すのは初めてのことだったし、ホモセクシュアルであるということにも興味を覚えなくはなかった。アフリカにも、そういう人たちがいるんだなということを、新たに知ったようなそうした感覚でもあっただろうか。ただその時には、私には既に相手がいて、彼の誘いに応じることはなかったのだが。

法で禁じようと、独裁的な特殊思想が排除にかかろうと、宗教的に許されないという束縛があろうとなかろうと、ホモセクシュアルというのは、人間属性の一部としてあるもの。人類意識が、どのように未来的に変化をしていくものか。そこには興味を覚える。性別などの枠にとらわれない、同性婚など当たり前というような意識変化を経た社会になっているのか。
例えば、一万年先。人間界全般、どのようなことになっているのか。それは、興味のつきない、未来模様。どういう世界になっているものか。総てにおいて。


いまそのひとの実像寄りを知ること

2010年05月05日 21時14分10秒 | コラム
今朝、JJの書いた本を図書館に予約したことを書いたのだけれども、その時点ではその本について知っていたのはタイトルのみ。そのタイトルからの推測での、内容について漠然としたイメージ。それは、自身の関心とは違う分野かな? という感じのものだったのだけれども。

図書館のカウンターで本を渡され、その場でちょっと開いて見ると、いきなり彼の顔がページの上に現われた。見覚えのある、その顔写真。何十年振りかに見る彼の顔。他のページにも他の人たちとの一緒の写真など。
予想に反して、その本。彼の自伝的な内容のものであったんですね。
ということで、少年時からの彼についてのことが、色々と分かることになった。
ああ、こういう人。経歴を持った人であったのかというように、知ることになったというわけです。
かつて私が知ったのは、ほんの僅かな当時の時点での一端だけ。

彼が秀才だったということも分かったけれども、こうした場で対日本の関係で彼が体験をしてきたことなどに触れることなどはどうかと思うので、遠慮をしておくものの、「そういうひとだったのか」と感慨をもって今思わされるようなことになったのは、確か。




Gayのミュージシャンたち/イギリス、ロブ・ハルフォード他

2010年02月27日 17時23分13秒 | コラム
日本の、ミュージシャンと言われる人たちのことを思い浮かべてみる。詳しい方ではないので限りのあるところだけれども、多くの人がその名を知るという中に、例えばカミングアウトしているようなゲイ、というのはいないのではないか? 私は、知らないんですね。
そんなことからも、イギリスなどは何故にこうも知られた名のミュージシャンでゲイ、あるいは濃厚にそちら側、という者が多いのか。風土を含めての内情に対する知識足りない者の、実感だけで考えているのだけれども、その名を挙げれば、エルトン・ジョン(25 March 1947-) 、フレディ・マーキュリー(5 September 1946-24 November 1991)、ロブ・ハルフォード(25 August 1951)、ピート・バーンズ(5 August 1959-)、ボーイ・ジョージ(14 June 1961) 、ジョージ・マイケル(25 June 1963)、他。

この内Dead or Aliveのピート・バーンズなど゛は、整形を重ねて全く別な、それも女性の顔に変えてしまっている。これでは、一体誰なのかが分からない。追求型なんだろうな。その他には理解のし難い、だが自分がなりたいという姿、その精神たくましくイメージの追求の果てに、眼も口も全く変えて、見方によっては個性的とは言えても、最早美形からは程遠く。というようなミュージシャンもいるということ。最初にYouTubeで見た時には、度肝を抜かれた、と言った方がいい。こちらは今や、オバサンという感じになっているオネエ系だったボーイ・ジョージなどはそれからすれば、まともと言える変わりのなさ、予想の外見変化上にあると言えますねえ。まあ、人間誰しも年と共にその外見も変化していくものだけれどもね。


この1月頃だったのかな、YouTubeで、たまたまのことだったのだけれども、その名は知っていたものの曲もメンバーも知らずにいたジュ―ダス、プリーストの曲を、初めて聴いた。
80年代前半のライブでのMetal Godsあたりの曲だったのかな。ロブ・ハルフォードのパフォーマンスに、なにかとても新鮮なものを感じた。へえ、こういうボーカルだったのか、と興味をいだいてその時期前後のものをあれこれと聴き、彼の醸し出す雰囲気、パフォーマンス模様を観察し、ひかれたんですね。他にはちょっと見ない、良い味。そのようなものを感じて。そうした間に、彼がゲイであることをカミングウトしているのだということを、知った。当人曰く、秘密にしていたわけではない。「誰も聞きはしなかったからね」、ということだとか。

それを知ってしまうとこちらも、ゲイであるミュージシャンのロブ、というそれまでとは全く別の彼イメージをもって見るようになる。知らないままでいたら、全然別イメージのまま。そこのところである。なにが、変わるのか。同じ動き、表情でも、彼がゲイであることを知る以前と以降では、見方が変わってくるという、現実側面。そこから我々、逃れられない。知らなければ、普通の人の場合でも偏見は持たない。YouTubeのコメントの中にも「ロブは、ゲイなんだぜ。それがロッカーなんておかしいじゃないか」などという、多分アメリカ辺りからのものと思える、偏見に充ちたものが見受けられたりするのだが、そうした偏見はおさみしい。そうなるともうお話にならない最低ラインの偏見。

私は、ゲイであるロブを、前よりもっと関心をもって見るようになった。同じゲイとしてであったわけだけれども、ある意味、同じ民族の血を感じる、というような部分のある感覚であるのかもしれないと思う。だから、動き、表情の一端などに「ああ、そうだろうな。うむ、そうなるだろうな」といった読める感覚が、伴うようになる。そうして、あちらこちらの見られる限りのライブの映像、音を追っていく。70年代の初めの頃から現在に近い時代までのジュ―ダス・プリースト、ロブを追ってみる。時期と共に、外見的にひじょうに異なるロブ。細くなったり、ふくよかになったり、髪型も全く変わったり、本質神経質イメージの男が、それを隠そうとマッチョイメージを作って見せている。そんな面も思わせる、外見変化。

中年になってからのロブは、スキンヘッドで頭にも刺青を入れている。もちろん体にもね。そういう具合で、かつては表に見えたナイーブな面を内に沈めて、外見的には別のイメージをもって見せるタイプに変わってきている。ステージ上で魅力的に、エネルギッシュに動いていた80年代の彼は、もういない。全く別の人間が、ここにいるとしか思えない。これほどに変化をするものかと思えるほどに、顔さえも違う。例えば、ミック・ジャガーなどにしても、若い頃の面影はあるのにね。ロブのどこかに、片鱗はあるといえばあるのかもしれないけれども、彼の変化、見せようとしているイメージにゲイ的な部分、私など見ようとしてしまう。

多分、彼には長年つき合っている相手がいることだろうと思う。同性との恋愛遍歴。興味がある。知る人ぞ知るで、若い頃から一緒のメンバー、グレン・ティプトンやKK・ダウニングなどは、そのあたりのこと、かなり知っているのかもしれない。人生を通しての同年代の仲間。同じ仕事をしてきた者同士。ロブがゲイであること云々は、元から関係のないことなんだろうしね。なんにしても、あの80年代のロブのパフォーマンス。私は、好きです。若々しくて、躍動的で。素晴らしい。