There were/ホモセクシュアル/days

或るホモセクシュアル経験者発信のzakki等。

何でもあり? の人類史的側面/未来

2010年08月07日 03時27分46秒 | コラム

ニュースによるとこの4日、スーダンで「道徳を乱したことで、女装の男たちに鞭打ち刑」、ということが行われた由。なんでも、同性同士の結婚を祝うためのパーティで、女性の身なり、化粧をしていたイスラム教徒の男19人が、警察の強制捜査により摘発されて鞭打ち30回の公開刑、そして罰金の処分を受けたということである。判決を下したのは、首都ハルツームから、ナイル川を挟んで対岸にあるオムドゥルマンという街の裁判所。
同性愛についても、この国の北部ではイスラム法が適用されて、禁じられているのだとか。
実情がどのようなものであるのか、私には、とんと分からないけれども、制限の強そうなことは、感じられる。

また同じ4日。アメリカのカリフォルニア州の連邦地裁は、同性婚を禁止した同州の憲法改正が、アメリカ憲法に反するとの判決を下したとのこと。それに対して同性婚反対派は控訴をするとみられ、連邦最高裁まで争われる公算大の見込みのようであるとか。


ここのところの、そうした情報。
自身の周辺の現実とはかけ離れた、いずこかの民族、国での出来事、状況という印象が個人的には強いけれども、それとは別に、思うことは色々とある。
20代の前半、ヨーロッパを旅していた頃、オランダのアムステルダムのゲイ・スナックで中年のスーダン人に誘われたことがあった。眼鏡をかけた浅黒い顔立ちの人だったけれども、スーツ姿だったと思う。教養のある人らしい印象だった。アフリカの人と話すのは初めてのことだったし、ホモセクシュアルであるということにも興味を覚えなくはなかった。アフリカにも、そういう人たちがいるんだなということを、新たに知ったようなそうした感覚でもあっただろうか。ただその時には、私には既に相手がいて、彼の誘いに応じることはなかったのだが。

法で禁じようと、独裁的な特殊思想が排除にかかろうと、宗教的に許されないという束縛があろうとなかろうと、ホモセクシュアルというのは、人間属性の一部としてあるもの。人類意識が、どのように未来的に変化をしていくものか。そこには興味を覚える。性別などの枠にとらわれない、同性婚など当たり前というような意識変化を経た社会になっているのか。
例えば、一万年先。人間界全般、どのようなことになっているのか。それは、興味のつきない、未来模様。どういう世界になっているものか。総てにおいて。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。