アメリカのLGBTのweb紙、ADVOCATE。
各月刊の、印刷媒体のADVOCATEもある。
「代弁者、擁護者、主張者、唱道者」の意味合いのある言葉、紙名、誌名であることからして、「ゲイの為の」というその意図するところは、明らかでしょう。創刊されたのが1967年であるということを、今度wikiで見て知って、ちょっとおどろいた。というのも、多分その創刊間もない頃のことだったと思う。友人のアメリカ人のところで、私はページ数の多いタブロイド版のADVOCATEに接している。それが創刊年を、今知って感慨のようなものを覚える。豊富な内容で、ニュース、政治、オピニオン、アート、エンターテイメント等、ベースは現在と変わらなかったのではないかと記憶するのだけれども、覚えているのは音楽情報の辺りで新しいグループに触れた記事。Grateful Deadの名をそこで初めて見た記憶があるように、何かそれまでとは違った傾向の音楽が次々と出てきているのを知ったこと。Doors、Jefferson Airplane、Johnny Winterなどのことも、そこで読んだ記憶がある。
webのADVOCATEを覗くようになったのは、最近のこと。そのタブロイド紙のことを思い出し、予感通りにこうした形でも続けられているのを知ったのだけれども、アメリカやヨーロッパ以外のゲイ等に関する出来事、情報などもとりあげられるわけで、関心を覚えることに色々と触れることができる。各地、例えばアフリカ、あるいは中東などにおけるゲイ世界事情、というようなことなど記事で知ることができるようなら、関心はやはり向く。descrimination(差別)、あるいは偏見、宗教絡みのことなどもあって当然のようにそうしたことによる、深刻な問題も生じてしまうような地域。日本はまだ恵まれている、ということなど思ったりすることなどあるのだが、10月の9日のトップ記事に、「They died in the closet」というのがあった。その"They"は、アメリカで活躍、活動、生きた著名な人物たち。既に亡くなった人たちであるけれども、カミングアウトすることのなかった、ゲイと考えられたひとたちのこと。
男優、女優、弁護士、政治家、宇宙飛行士、FBI長官、ピアニストなどであった11人がとりあげられている。アメリカでも、かつては「カミングアウト」などというのは俳優であれば、それで「終了」、終わりということで、絶対に秘密にしなければならないことであったのだから、それはクローゼットにならざるを得ない。ゲイは、差別、偏見の只中に置かれている、性癖としてあった。そういう時代。とはいえ、現代においては状況がすっかりと変化をしている、と言えるわけでもない。俳優たちがカミングアウトによってキャリア生命を絶たれるというようなことはないにしても、差別、偏見は当然のように存在し、少年がそうしたことからのいじめによって自殺に追い込まれてしまう、というようなことが現実にあるわけで。
たまたま取り上げられた彼ら、11人。クローゼットとされながら、こうしてゲイとして表に出されてしまっている。それは生前からすでに暗黙の裡にそうしたひととして知られてしまっていたことはあるはずだし、クローゼットとは、ゲイであることをただ当人が公言しないということによるだけのもの、という理解で良いのかもしれない。ADVOCATEに取り上げられた順序に従うと、最初が元アメリカ下院議員、元ニューヨーク市長のエド・コッチ。Ed Koch(1924-2013)
キャサリン・ヘブバーン Katherine Hepburn(1907-2003)。個人的には、イタリア俳優のロッサノ・プラッツイと共演した「旅情」(Summertime 1955)を何度も見ているせいか、その映画の中の印象が強い。
アンソニー・パーキンス Anthony Perkins(1932-1992)。イングリッド・バーグマンと共演した彼と、「サイコ」での彼の何という違い。若い頃の彼を長沢節は「ミュータント」と、確か言った。それほどにスタイリッシュ、特異な魅力があったということ。
サリー・ライド Sally Ride(1951-2012)。宇宙飛行士。
リべランス(本名 Wladziu Valentino 1919-1987)。派手な衣装での演奏で知られたピアニスト。Advocateでは、彼が最も、ゲイとされることに拒絶反応を見せるのではないかと見ている。
ロック・ハドソン Rock Hudson(1925-1985)。エリザベス・テーラー、ジェームス・ディーンと共演の「ジャイアンツ」などが、先ずは浮かぶ。最後は、エイズによる死というのが、労しい。
ロイ・コーン Roy Cohn(1927-1982)。マッカーシズムの時代には、赤狩りの急先鋒。その後も悪名をとどろかせた人物。自身は同性愛ながらゲイの権利拡大には、反対。
バーバラ・ジョーダン Barbra Jordan(1936-1996)。政治家。
レイモンド・バー Raymond Burr(1917-1993)。テレビシリーズ、車椅子の「鬼警部アイアンサイド」のレイモンド・バーの私などはファンでした。長年のゲイのパートナーがいたことを知ったのは、かなり最近。
ラモン・ノバロ Ramon Novarro(1899-1968)。無声映画時代の剣劇俳優。最後は不幸な事件で命を失うことになったことを思うと、痛ましく思う。
エドガー・フーバー J.Edgar Hoover(1895-1972)。2011年にレオナルド・ディカプリオが演じた伝記映画「J フーバー」があるけれども、1924年から1972年まで、FBI長官。部下のひとりClyde Tolsonとは40年以上のつきあい。一緒に休暇をとり、毎日昼食を共にし。そして、二人共、生涯独身。
先に書いたように、クローゼットか否かにつては、当人が公に自身がゲイであることを表明したか否かというだけの処で、周りはみんな知り、承知していたというような形もあるわけで、なにか微妙な感じもする。人によりけり、場合によりけり。ここにあげられた著名人たちの中の特に3人の女性については、全くの未知識で、映画を通して知るキャサリン・ヘブバーンがレズだったと知らされても、そうだったの? という印象しかない。ADVOCATEのようなそちらの専門紙だと、彼らについて様々に情報のあることなんだろうけれども、個人的に関心を覚えたのは、レイモンド・バー。「アイアンサイド」の彼のファンだったし、彼がゲイだったということを知ったのも、せいぜいこの1、2年というごく最近のことであるから。ロック・ハドソンやアンソニー、パーキンスなどのようにはるか以前からそういう知識のあった者とは、ちょっと異なる。
それで、色々と見てみたところでは、車椅子の鬼警部「アイアンサイド」のスタートしていた1960年代には、彼は既に生涯のパートナーRobert Benevides(1930-)と深い愛情関係にあったということになるわけなので、そんなことはむろん此方などは知る由も無し。
二人が知り合ったのは、テレビシリーズでRaymond Burr主演の「弁護士ペリー・メイスン」のセットで、1950年代の半ば過ぎということになるだろうか。放映が1957年から66年までのシリーズ。60年代に入る前後に二人はカップルとなって、俳優だったRobertは1963年に俳優を辞め、その後は「ペリー・メイスン」の番組に関わり、その後はパートナーのRaymondと共同でランの栽培、ブドウ園の経営など。1993年にRaymond Burrが亡くなるまでの二人の長い関係。パートナー。現在ならば同性婚をしているところなのかもしれない。Raymondは彼の遺産の全て、所有するものの全てを、Robert Venevidesに残した。羨ましいほどの相愛を、思う。
ADVOCATEの"They died in the closet"というタイトル。ちょっと、考えさせる。例えばのこと、Raymond Burr、どこまでのクローゼット?
上が、レイモンドの晩年の肖像画と、Robert Benevides。