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映画「長距離ランナーの孤独」(1962)のM・レッドグレーヴから

2012年03月25日 20時09分37秒 | エッセイ


画像は、1958年発表のアラン・シリトーの小説「長距離ランナーの孤独(The lonliness of the long distance runner」の映画化作品(1962)の中の、マイケル・レッドグレーヴ(1908-1985)。トム・コートニー演じる主人公が窃盗で入所する感化院の所長が、彼の役。
昔この映画は見ているけれども、内容については殆ど忘れていて、記憶にあったのは、トム・コートニーの名とタイトルがイメージさせる、その時代のある若者像のようなもの。数日前に白黒のこの映画を何十年振りかで見て、かなりの部分を忘れてしまっていたことを改めて思わされたのだけれども、これも全く記憶になかったマイケル・レッドグレープという俳優。この時、53、4歳ということになるだろうけれども、口髭も丁度良い具合に見え、年配のイギリス紳士らしい毅然とした落ち着き、端正な感じがあって、個人的には好みのタイプ。魅力を感じた。

というようなことで、彼のことを知りたくなってGoogleで検索。Wikipediaでそのひとについて辿るということになったのだけれども、ひとつ発見のように思えたことは、彼がバネッサ・レッドグレーヴ(1937-)の父親であることが分かったこと。1966年のミケランジェロ・アントニオーニ監督作品、「Blow-up」(邦題、「欲望」)を当時見ているので、彼女の名前は記憶に残っていた。Personal lifeのタイトルにつづく「Family」に於いて知ったこと。ところが、その家族についての説明の次にあったのが、「Bisexuality」の小タイトル。彼とホモセクシュアルを結びつけて思うことが全く無かった私としては、その言葉をそこに見たことはおどろきでもあったし、彼への新たな興味が加わったということでもあったことになると思う。私が映画の中のその雰囲気に魅力を感じた彼が、実は同性愛者でもあったということ。

その「Bisexuality」の部分では、「サー」の称号を与えられケンブリッジ大学の出身でもある彼が、息子のCorin(1939-2010)にも執筆の助けを得て最後の自伝にとりかかっていた時のことに、先ず触れられている。終章にさしかかったところで、父親のマイケルが「話さなければならないことがある」と言い、長い沈黙があったあとで、「それは、私のバイセクシュアルについてのこと」と打ち明けたというもの。Corinは、それに対して、自伝の中でそれに触れて書くことを受け容れると言い、父親のマイケルはそのつもりになった。だが、結局「but the end he chose to remain silent about it」、ということになったようである。彼の死後伝記作者が、マイケル・レッドグレーヴのバイセクシュアル、その相手との間にあったことなどについても書いているということ。また1996年のBBCのドキュメンタリー番組「Michael Redgrave,my father」で同じタイトルの著書を出していた息子のCorinが、父のバイセクシュアルについて入りこんで語っているとか。

1948年の映画Secret Beyond the Doorの撮影時、彼はBob Michellと出会い、恋人同士となる。彼、40歳の頃ということになる。ボブがどういう人物なのかGoogleでも良く確認できないのだが、あまり知られていない俳優であったのかもしれない。ボブはマイケルの住まいの近くに移り、マイケルの子、長女11歳のバネッサを初め、9歳のコリン、5歳のリンの身内のような「叔父さん」になった。その叔父さんは実は彼らの父親の同性愛の恋人であったということになるのだが、女優の妻のレイチェルはどのように見ていたのか。彼女が積極的だった結婚のいきさつからも、そうした彼の性向に気づき受け入れたうえでの結婚であったとも想像するのだけれども、むろんそのあたりのことについてはコリンの書いた"Michael Redgrave,my father"に詳しいのかもしれない。むろん子供だった彼が、父親とボブの二人をどのように見ていたのか、感じていたのかなど、その著書の中で知ることができるはずである。

例えばのこと、子供たちが小さい頃の、彼がボブと恋人同士になったというその1948年当時の、外見的な感じなど知りたくもあって見てみたのが、1946年の映画"THE CAPTIVE HEART"。妻のRache Kempsonと共演している映画で、面白いことに彼女の役の名が、"Celia Mitchell"。BobのMichellと表記は異なるものの、coincidenceのこととして。30代の後半だから、50代に入っていた"長距離ランナーの孤独"のマイケルとは、印象がかなりちがう。やはり父親としても若々しい頃、そうした時代の彼という辺りで、相手のボブとも兄弟的な年齢の差だったのではないだろうか。そのボブ・ミッチェルも後年自身も子を持ち、その息子には"マイケル"の名をつけている。二人の関係がどのように続いたのか此方は知る由もないけれども、精神的にも長く互いを必要とする関係でありつづけたのではないかと、想像をする。

実の父親は無声映画時代の俳優であるのだが、何度目かの結婚の相手がマイケルの女優の母。そうしてマイケルが生まれて半年後には、父親は単身新たな活動の為にオーストラリアに渡ってしまう。以後イギリスに戻ることもなく、マイケルは実の父親を知らないままに育つ。母親は再婚し、義理の父親ができたけれども、マイケルはこの人が好きになれなかった。自身の場合などの父親死亡による不在で、知らずに育つ場合などもそうであるけれども、知らずに育つようなケース。ホモセクシュアルに傾く要因となること、多いにあるように思う。そうはならない場合もあるにしても、その欠けた不在部分を補うべく、心が動くことは自然であるのかもしれない。それがどのような形であるにせよ、父親と同性である相手に求める何かしら、精神的にせよ何にせよ、得たい何かしら、生ずるのは人間においていの必然であるはず。

マイケルの場合にも、ホモセクシュアルに傾くことはその育った背景から、多いにありえたこと。それに容姿すぐれた少年、あるいは若者として、少年時代、ケンブリッジの学生時代、そうした誘惑等も至近に多いにあったことが想像されるし、恋を含めた同性との出来事、様々にあったのではないだろうか。結婚時、自分のnatureゆえにとためらったそのnatureというのも、そのあたりのこととしか思えないことであるし。
何にしても、バイセクシュアルなどというのは、よくあるパターン。ホモセクシュアルも結婚をすれば、バイセクシュアル。そうした人は、限りなく多いというのが現実ではあるのだけれども、成熟した男に魅力を感じる者からすれば、独身ホモセクシャルよりも家族持ちの方が男としてのプラスアルファの魅力を備えて映る、ということも多いにある。1985年に77歳になったその日に終えた、マイケル・レッドグレーヴの人生。最後の最後まで、本当のことは誰にも言わなかったのかもしれない。


アン・ハサウェイを知る★ゲイの息子を家族はどう受け容れるのか

2012年03月02日 08時27分26秒 | コラム




名のみ知る程度であった1982年生まれのアメリカの女優、アン・ハサウェイ。netの検索のキッカケは、今回2回目のアカデミー主演女優賞を得たメリル・ストリープ。彼女がヴァッサー大学の出身であることから、共学になる以前にもかつてはヴァッサー女子大として名門大学だったその大学の他の出身者などWikipediaで見てみたくなったこと。卒業はしなかったけれども在学した者のところにあった彼女の名。その彼女のWikiの紹介文を見ていて、やはり思わず目をの止めてしまった部分。「カトリック教で育ったため修道女になりたかったが、15歳の時に兄がゲイであることを知り」という箇所。

それにつづく「兄の性的指向を認めない宗教には属せないと感じその道を諦める」、という彼女の意思に感じたミドルティーンにしてのその理知。そうして「それをきっかけにして家族全員がカトリック教会から離脱した」という事実が思わせた、その家族を結ぶ愛情のこと。内情は知る由もない、だがそれらの事実に率直に感じた、そうした選択のできる人々であること。彼女の父親は、弁護士。母親は、舞台女優。YouTubeで、彼女のインタビューなどを見る。明朗そのものの、魅力的な女性。映画は2007年の「Becoming Jane」位しか見ていないのだけれども、今後は、やはり注目して見ていくことになりそう。活躍を期待したい。

少し前、夜のウォーキング時、ラジオでFar East Netwokを聞いていた時に、メリーランド州上院で同性カップルの結婚を合法化をする法案が可決されたとのニュースを耳にした。賛成25、反対22ときわどいところでもあったようだけれども、あちらは、そうしたことの実現している国。コネチカット、ニューハンプシャー、アイオワ、マサチューセッツ、バーモント、ワシントン州もこの6月には、合法化予定とか。宗教のこともあって難しいところもあるのではないかと思わせるものがありながら、現実には同性同士の結婚を許すという、かつてはあり得なかった革命的な変化が現実には起きていること。そういう国においては、人の常識が変わらざるを得ないのではないかと、離れたところで見ていて思う。偏見の度合い。

むろん、限られた州のことであるし地域によって事情は非常に異なる処のことであるのだろうけれども、そうした情報に触れる時、自分の住む国、日本における事情のことを思うのである。環境の違いを思う。例えばのこと、家族の中で高校生の息子がゲイであることが分かったとして、どういうことがそこで起きることになるのか。それに理解し、受け容れ、尊重し、愛情をもって護る意識を持てるようになる家族をイメージすることは、ほぼ不可能。そうした面での人間的成熟をイメージできるとするなら、それは高度に洗練された意識の家族においてのみ。といったところか。特別な人々。前に記事に書いたことがあるけれども、ドイツでドイツ人と同性結婚をし、日本でも結婚式をやった当人と交流を持ったことがあるのだけれども、結婚した同性の二人が中央に並ぶ親族たち列席の写真を見、実感としてとても異様に感じたものである。

日本にいての、そうした感覚。私自身、窮屈なこの国の常識に意識が縛られきっているように感じる。その束縛を厭い、全く別の人生を願うある者たちは、とうにもっとゲイとしても生きやすい国へと去っているんだろうなと、羨みの気持を抱いて思ったりもする。