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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

[シリーズ集団的自衛権批判(2)]被爆地長崎から強い怒りと批判

2014-08-10 | 集団的自衛権

 8月9日長崎市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。出席した安倍首相の前で、被爆者代表の城台美弥子さんは「憲法を踏みにじる暴挙」と集団的自衛権の行使容認を批判した。田上富久市長も平和宣言で「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか」と政府のあり方を問うた。二人とも集団的自衛権行使と福島原発事故にも言及した。城台さんは原発再稼働に強い疑問を投げかけ、廃炉を検討すべきと訴えた。
 被爆者団体は安倍首相に対して「集団的自衛権閣議決定撤回」を申し入れた。安倍首相は、許し難いことに「見解の相違」と切り捨てた。

※平和の原点揺らぐ 田上・長崎市長、集団的自衛権で(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2014080902000247.html
※平成26年長崎平和宣言(長崎市)
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
※長崎原爆の日:田上市長「戦争しないという誓い 揺らぐ」(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20140809k0000e040199000c.html
※「憲法踏みにじる暴挙」 長崎、集団的自衛権に怒り(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080902000250.html
※安倍首相:集団的自衛権「見解の相違」…被爆者団体代表に(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20140810k0000m010043000c.html
※戦争への道、恐れ、怒る 長崎、69回目「原爆の日」(朝日新聞)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11293738.html

(朝日新聞より引用抜粋)
■壁の下敷きになった赤ちゃん、黒こげになった人たち……。井黒キヨミさん(88)=同市=は式典を見守りながら、そんな光景を思い浮かべ、「寒気を感じた」。・・・爆心地から3・2キロで被爆。目がくらむような光が走り、ドーンという音とともに熱風が吹き抜けた。当時住み込んで働いていた医院に、焼け焦げた人が次々と押し寄せた。・・・井黒さんは、安倍政権が集団的自衛権の行使を容認したことには「大反対」と言う。憲法9条も「絶対に変えないでほしい」と思っている。「安倍首相は他国との戦闘に参加しないと言うけれど、米国の言いなりになって巻き込まれていくんじゃないか」と危惧する。「戦争を仕掛けられても、話し合いで解決はできんもんやろかね」
■長崎県傷痍軍人会長、中里益太郎さん(84)・・・数十年ぶりに自費で式典に参加しようと思った理由は、安倍政権による集団的自衛権の行使容認だった。・・・「なし崩し的に戦争につながるのでは」と心配する。戦後、長崎市で漁師として働いた。左目は義眼。視界が限られるなどの不自由があった。「戦争さえなければ……」との思いが根底にある。
■山城貴子さん(53)・・・44年10月、海軍兵だった父の乗る艦船が、那覇沖で被弾。翌年、船の修理で長崎に向かい、爆心地から3・5キロで被爆した。おびただしい数の遺体を集める作業にあたった。戦後、戻った沖縄も焼け野原だった。「戦争が起きれば必ず住民が犠牲になる。軍は守ってくれない」。こう繰り返していた父は、昨年から集団的自衛権の問題で危機感を口にしていた。山城さんは「戦火をくぐり抜けた父の体験を子や孫に伝えたい。自分の命と今の平和を大切に思ってもらうために」と話す。

(引用おわり)


◆被爆者代表「平和への誓い」全文

 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

 八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。

 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。

 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。

 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。

 平成二十六年八月九日

 被爆者代表 城台美弥子

(東京新聞より)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014080902000250.html


平成26年長崎平和宣言(抜粋)

 69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年たった今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
・・・・
 核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえる“今と未来の問題”なのです。
・・・・
 いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
 長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
 被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。

 長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
 その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりである市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。
・・・・
 東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。
・・・・
 被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。

2014年(平成26年)8月9日
長崎市長 田上 富久

全文は長崎市ホームページ
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

(ハンマー)


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