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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[6]

2016-06-09 | 集団的自衛権

「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[6]

http://ikensosyo.org/より

第3 原告らの権利、利益の侵害

1 平和的生存権の侵害

(1)平和的生存権の具体的権利性

 ア 日本国憲法前文は、「日本国民は、‥‥(中略)‥‥政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し‥‥(中略)‥‥この憲法を確定する」と述べ、平和について、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と規定している。
 憲法はこの前文から出発し、第三章の国民の権利及び義務の規定に入る前に第二章戦争の放棄の章を作り、第9条で戦争放棄の具体的内容を規定するという構成を取っている。
 この構成をみれば、前文で謳われた「平和のうちに生存する権利」を第9条で制度的に保障し、その上で、第三章の個々の国民の具体的諸権利が成り立つことを示しており、平和的生存権が他の基本的人権享有を可能とする根源的権利であることを示している。

 イ 自衛隊のイラク派兵差止等請求事件について、平成20年4月17日名古屋高等裁判所が下した判決は、明確に平和的生存権の実定法としての具体的権利性を認めた。そして、同判決は、「この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ‥‥」とその内容の豊かさ、複合性を指摘し、さらに前文の「全世界の国民が、‥‥平和のうちに生存する権利」の規定の仕方から、戦争に加担させられない権利性も平和的生存権の内容として認めている。重要な判決であるので、以下に平和的生存権について述べている部分を引用する。

 「このような平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり「平和のうちに生存する権利」を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。例えば、憲法9条に違反する国の行為、すなわち戦争の遂行、武力の行使等や、戦争の準備行為等によって、個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは、現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合、また、憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして、裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ、その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。」

 ウ 平成21年2月24日岡山地方裁判所の判決も確認しておく。

 「憲法前文2項には、「われらは、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏を免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とあり、平和的生存権が「権利」であることが明言されていることからすれば、その文言どおりに平和的生存権は憲法上の「権利」であると解するのが法解釈上の常道であり、また、それが平和主義に徹し基本的人権の保障と擁護を旨とする憲法に即し、憲法に忠実な解釈であ」り、「憲法81条には、「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」とあり、同条による法令審査権は、下級審裁判所もまた、司法権の行使に付随して、当然にこれを行使することができるとされているのであるが、ここにいう「憲法」とは憲法改正における前文と本文との同質性にかんがみる限り、前文を含むといわざるを得ないのであるから、前文が法令審査権の基準となり、裁判規範性を有することも否定できない」とする。

(2)本件「安保法制」による権利侵害

 ア 「存立危機事態」による防衛出動(自衛隊法76条1項2号)

 改正自衛隊法76条1項2号は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」に防衛出動ができること、そして、防衛出動時の武力行使は「必要な武力を行使することができる」(自衛隊法第88条1項)としている。
 これがいわゆる集団的自衛権を容認し、その行使を可能とする規定であるところ、明白な憲法違反であることはすでに詳しく述べたとおりである。

 イ 憲法は、原告ら国民の平和的生存権を第9条によって制度として戦争のない状態を保障することによって権利を保護している。ところが、本件「安保法制」は、グローバルに戦争ができる状態を作ったということは、原告ら国民にとって第9条による制度的保障がなくなり、一般的にいえば、戦争状態が生ずれば平和的生存権の保障がなくなることを意味する。
 世界情勢にしたがって具体的に考えてみよう。今現在戦争をしているところは、シリア、イラク、アフガニスタンという中近東であって、我国への影響はさほど考えられない。しかし、朝鮮半島では、大韓民国(以下、韓国という)と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮という)との朝鮮戦争の法的結着はいまだついておらず、ただ、休戦状態が続いているだけであって、この両国の対立抗争は深刻さを増している。韓国の同盟国はアメリカ合衆国であり、先般行われた米韓合同軍事演習は史上最大と言われる規模と伝えられ、片や、北朝鮮は核開発を最重要国家課題として遂行し、中長距離ミサイル発射実験も報道されていることは周知のとおりである。今、この隣国に存在する危険を直視すれば、この両国間の何らかの軍事衝突(戦争の歴史をみればその端緒は些細な小競り合いや、謀略に基づくものもある)が生ずれば、直ちに我国も戦争当事者になることを自覚しなければならない。本件「安保法制」はすでに3月29日施行されているから、上記有事が勃発すれば、韓国軍から米軍へ、米軍から我国へ、とあっという間の連携により、我国は参戦することになる。

 ウ このように、本件「安保法制」の施行が意味している事態は、その施行によって、すでに日本国民全部は憲法第9条による保護をはずされ、いつなんどき戦争にさらされるかわからない状態におかれたことを示している。
 従来100%保護されてきた平和的生存権が、本件「安保法制」の施行により、制度的保障がなくなるわけであるから、「あえていえば保障されない平和的生存権」が「ある」などというのであろうか。
 この議論は極めて不合理である。憲法は戦争を放棄することによって国民の平和的生存権を保障したのであるから、戦争のできる法律を作り施行した被告は、平和的生存権の権利性を否定し侵害したことを示している。

 エ このことは、戦争に我国が参加したときのことを考えれば、直接戦闘行為に参加する人は平和的生存権はないがそうでない人には平和的生存権がある、というような議論が極めて不合理であることからもわかる。戦争に参加する人が平和的生存権をもったら戦闘行為を拒否できるから戦争はできないので、戦争するためには戦闘行為者には平和的生存権はないといわないといけないが、そうすると、戦闘しない人だけが平和的生存権を有するというのは差別であって許されない。
 このように考えると、平和的生存権は国民全員に一律に保障される権利であるから、第9条に違反して戦争を放棄する制度を変えて戦争ができるようにすること自体でもって、これまで国民が有してきた平和的生存権を否定し侵害したことになる。

 オ 小結

 以上の検討から明らかなように、本件「安保法制」は、戦争を放棄した憲法に違反して、戦争のできる法律を定め、それを施行したのであるから、それ自体として原告ら国民の平和的生存権を否定し侵害している。
 さらに、現実に戦争に参加したり、その危険が切迫した段階ではより強度の権利侵害が生じ、その侵害の内容は、平和的生存権のもっている「自由権的、社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利」に応じて、多様性を有することは後に述べる。
 なお、念のため、平和的生存権は、「全世界の国民」が有するとの前文の規定から、「戦争に加担させられない権利」を当然その内容に含んでいることを前提に以下論じるものである。

(ハンマー)


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