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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[9]

2016-06-09 | 集団的自衛権

「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[9]

http://ikensosyo.org/より

(2)特別な経験や立場にある原告の被害

 前記共通する被害の上に、特別な経験を有する原告、例えば、戦争経験者は、戦争で受けた筆舌に尽くしがたい被害が平和憲法でやっと報われたと考えて生きてきたことが、本件「安保法制」で裏切られ、過去の被害の苦しみが倍加して襲ってきていること、その苦痛のために夜も眠れない生活に襲われていること、あるいは、医師として過去の医師としての戦争責任を自覚して多大の苦痛を強いられている人、あるいは、宗教者として過去の戦争協力を思い出し、再び戦争に協力させられるという不安と恐怖に悩むものなど、多様な形態での被害が発生している。

 以下、具体的な原告の訴えを述べる。

 ア 原告番号7 大阪市

 戦争法違憲訴訟原告になったのは、戦争法に、私の生存権を奪われ、人としての尊厳を冒されることを許したくないからです。
 昨年7月、乳がんが見つかりました。まだ詳しいことがわからないときに、ふと、「やり残したことはないな、やりたいことできたな、充分生きたな」と思いました。そして、そう思えることは、本当に幸せな時代、地域で生きてこられたからだと。もちろん、決して楽しいばかりの人生ではありませんでした。
 子どもに学校に持っていかせる遠足の写真代にも事欠いた日、DV夫に心身を傷つけられ、また、学校でも暴力の渦に巻き込まれた子どもたちを護るのに必死だった日々がありました。それでも、なんとか私も子どもたちも自立することができ、穏やかに暮らせるようになったのは、戦後70年という時期に、憲法9条を掲げた日本という地域だったからこそだと。そして、そのことを感じざるをえない、「戦前になるかもしれない今」、が来てしまったことに、忸怩たる思い、いたたまれない思いでいます。
 幸い、乳がんは早期発見で、術後の経過もよく、ほぼ日常生活には差し障りがありません。衰えていくこれからの時を安心して暮らし、畳の上で安らかな最期を迎えられるように、また、精一杯愛して育てた子どもたちを含めた若い人たちが人殺しにされないように、「愛」という名の暴力、「教育、しつけ」のためという暴力、そして、「正義」のための暴力、全ての暴力を許さないために、戦争法廃止のために一歩を踏み出しました。

 イ 原告番号61 大阪市 父母戦争被害

 1915年生まれのわたくしの父は、中国大陸を何年も転戦した挙げ句、ようやく帰国したことを喜ぶ暇もなく、再びニューギニアの地にかり出されました。熱帯のジャングルを彷徨う経験は過酷を極め、人肉を喰む寸前のところで、かろうじて生還しましたが、そのトラウマは父を執拗に苦しめ、夜ごとの悪夢から解放されたのはすでに九十歳を迎える頃でした。また、1920年生まれの母は、都市生活者であったが為に、戦後の食糧難を如実に経験し、妊娠中でありながら骨と皮に痩せ細って胎児の形が外からわかるほどであったと言います。当然、出産も難産を極め、丸2日をかけた塗炭の苦しみの末に生まれ出たわたくしの姉は、程なく短い命を終えました。
 そのような父母をもつ、1955年生まれのわたくしは戦争の実体験こそ在りませんが、常に両親の言の葉に上るその苛烈な記憶を、知らず知らずに追体験しました。戦前、立派な軍国青年であったはずの父は「あのような馬鹿な戦争をして」と枕詞のように語り、母は「もう一度、戦争になるのならその前に川に身を沈める」と言い続けました。つまり、いかなる理由があろうとも戦争を拒否するということは、わが家の家訓であったということです。
 このたびの、安保法はどこをどうとらえても、再び戦争の準備に国民を向かわせるもの以外の何物でもありません。これを受け入れることはわが家の家訓を否定するものであり、戦後七十年の間、それを堅く胸に刻んで生きたわが父母の生涯を否定するものです(母はことし亡くなりましたが、父は存命です)。
 よって、わたくしは、この法律がもたらした計り知れない精神的損害について、ここに訴えを起こします。

 ウ 原告番号88 神戸市 障がい者

 「わたしは1953年生まれで、戦争体験はありません。平和憲法のおかげで戦争の恐怖を味わわなくてすんできました。このたび安保法制が成立、施行されてしまい、ものすごく不安を感じております。
 わたしは子どもの時から脳性小児麻痺で四肢障害を抱えております。身体障害者手帳の等級でいえば、二級に分類されます。ちいさい時から歩く姿をからかわれ、酔っ払いとか言われ続けてきました。」
 「このたびの安保法制の施行で、日本が武力攻撃事態になったとき、私のような歩行困難者はどんな避難行動ができるのでしょうか。健常者と歩くスピードも違い、歩ける距離も劣っています。車椅子の使用になるでしょうが、平素でも交通機関の利用はしんどいのに、戦争時の混乱する状況でどんな扱いになるのでしょう。」
 「戦争ができる国になると聞くだけで身が震えます。戦争はわたしたち障害者の生存を脅かします。」

 エ 原告番号212 高石市 宗教者

 わたしが、今回、この訴訟の原告になる決意をしたのは、わたしが、日本キリスト教団というプロテスタント教会に属する者であり、今、教会に来ている子どもたちに、戦争の加害者にも被害者にもなってほしくないからです。
 わたしたちの教団は、戦争中、戦争協力を求められ、協力いたしました。敗戦後、自分達が犯した罪を悔い、戦争責任告白というものを1967年に出しています。
 わたしたちは、また戦争協力することになることを非常に恐れています。ですから、憲法第9条を極めて大事なものに思ってきました。それを、自公政権に昨年の国会決議で踏みにじられたことに対して、激しい憤りを感じています。
 なぜなら、憲法第9条は、アジア諸国、1000万単位の人々を殺し、320万に及ぶ日本人が殺されることによって、あがない取られたものだからです。
 それらの人たちの死を無駄にするような、踏みにじるような、昨年の自公政権の暴挙をわたしは到底ゆるすことができないのです。不安で不安で仕方ありません。

 オ 原告番号214 神戸市

 私は、私たちに続くかわいい可愛い者たちに、憲法9条を持ったままの日本を譲り渡したいと願っています。憲法9条はいまだ紛争の絶えない世界の人たちにとっては“希望の星”です。これまでの戦争でなくした多くの人々のいのちと引き換えに、この世に誕生した“奇跡”です。今、日本が憲法が認めない自衛権が行使できる法を、無法な方法で強行な手段で国会を通過させたことを認め、このまま平和憲法の灯を消せば、二度とこの世にこの理想は実現しないのではないかと思っています。このまま安保法を施行し、戦争をする普通の国になってしまっては「後悔先に立たず」です。日本は軍事面で世界に伍することができないと恥ずべきことは決してありません。日本の得意な分野で人類に生きとし生きるもののために生きる道を堂々とえらび自信をもって進みましょう。
 今この法律によって受けている苦痛を勝利への力にいたしましょう。

(ハンマー)


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