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「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[3]

2016-06-09 | 集団的自衛権

「戦争法」違憲訴訟 訴状(2016年6月8日提訴)[3]

http://ikensosyo.org/より

(3) 閣議決定と新安保法制法による集団的自衛権行使の容認

 ところが政府は、平成26年7月1日、上記のこれまでの確立した憲法9条の解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認することなどを内容とする閣議決定を行い、これを実施するための法律を制定するものとした。
 すなわち、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、①我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、③必要最小限度の実力の行使をすること」は、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されるとし、この武力の行使は、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があるが、憲法上はあくまでも「自衛の措置」として許容されるものである、としたのである(上記①②③は引用者が挿入。これが「新3要件」といわれる。) そして、新安保法制法による改正自衛隊法76条1項及び事態対処法2条4号等に、上記新3要件に基づく「防衛出動」との位置づけにより、この集団的自衛権の行使の内容、手続が定められるに至った。

(4) 集団的自衛権行使容認の違憲性

ア しかし、この集団的自衛権の行使の容認は、いかに「自衛のための措置」と説明されようとも、政府の憲法解釈として定着し、規範となってきた憲法9条の解釈の核心部分、すなわち、自衛権の発動は我が国に対する直接の武力攻撃が発生した場合にのみ、これを我が国の領域から排除するための必要最小限度の実力の行使に限って許されるとの解釈を真っ向から否定するものである。それは、他国に対する武力攻撃が発生した場合にも自衛隊が海外にまで出動して戦争をすることを認めることであり、その場合に自衛隊は「戦力」であることを否定し得ず、交戦権の否認にも抵触し、憲法9条に違反することになる。

イ 新3要件に即してみると、そのことはより明確である。まず、「他国に対する武力攻撃」に対して我が国が武力をもって反撃するということは、法理上、これまで基本的に我が国周辺に限られていた武力の行使の地理的限定がなくなり、外国の領域における武力の行使すなわち海外派兵を否定する根拠もなくなることを意味する。
 そして第1要件についていえば、「我が国に対する武力攻撃」があったかなかったかは事実として明確であるのに対し、他国に対する武力攻撃が「我が国の存立を脅かす」かどうか、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利を覆す」かどうかは、評価の問題であるから、極めてあいまいであり、客観的限定性を欠く。ましてや「脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている」との情勢認識を政府がしている以上、第1要件が何の歯止めにもならないことも充分考えられる。「密接な関係」「根底から覆す」「明白な危険」なども全て評価概念であり、その該当性は判断する者の評価によって左右される。そして、法案審議における政府の国会答弁によれば、この事態に該当するかどうかは、結局のところ、政府が「総合的に判断」するというのである。
 第2要件(他に適当な手段がないこと)及び第3要件(必要最小限度の実力の行使)は、表現はこれまでの自衛権発動の3要件と類似するが、前提となる第1要件があいまいになれば、第2要件、第3要件も必然的にあいまいなものになる。
 例えば、国会審議を含めて政府から繰り返し強調されたホルムズ海峡に敷設された機雷掃海についてみれば、第1要件のいう「我が国の存立が脅かされ、国民の生命等が根底から脅かされる」のは、経済的影響でも足りるのか、日本が有する半年分の石油の備蓄が何か月分減少したら該当するのか、そのときの国際情勢や他国の動きをどう評価・予測するのかなどの判断のしかたに左右され、第2要件の「他の適当な手段」として、これらに関する外交交渉による打開の可能性、他の輸入ルートや代替エネルギーの確保の可能性などの判断も客観的基準は考えにくく、さらに第3要件の「必要最小限度」も第1要件・第2要件の判断に左右されて、派遣する自衛隊の規模、派遣期間、他国との活動分担などの限度にも客観的基準を見出すことは困難である。
 以上に加えて、平成25年12月に制定された特定秘密保護法により、防衛、外交、スパイ、テロリズム等の安全保障に関する情報が、政府の判断によって市民に対して秘匿される場合、「外国に対する武力攻撃」の有無・内容、その日本及び市民への影響、その切迫性等を判断する偏りのない十分な資料を得ることすらできない。政府の「総合的判断」の是非のチェックができないのである。

ウ こうして、新安保法制法に基づく集団的自衛権の行使容認は、これまで政府自らが確立してきた憲法9条の規範内容を否定するものであるとともに、その行使の3要件が客観的限定性をもたず、きわめてあいまいであるため、時の政府の判断によって、日本が他国のために、他国とともに、地理的な限定なく世界中で武力を行使することを可能にするものとして、憲法9条の規定に真っ向から違反するものである。

(5) 立憲主義の否定

 日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」(前文)として、立憲主義に基づく平和主義を明らかにし、基本的人権の不可侵性を規定するとともに(97条)、憲法の最高法規性を規定して(98条1項)、国務大臣・国会議員等に憲法尊重擁護義務を課した(99条)。日本国憲法の立憲主義は、国家権力に憲法を遵守させて縛りをかけ、平和の中でこそ保障される国民の権利・自由を確保しようとするものである。
 閣議決定及び新安保法制の制定によって集団的自衛権の行使を認めることは、これを禁止した規範として確立した憲法9条の内容を、行政権の憲法解釈及び国会による法律の制定によって改変してしまおうとするものであるが、これはまさに、この立憲主義の根本理念を踏みにじるものである。
 同時に、このような憲法の条項の実質的改変は、本来憲法96条に定める改正手続によらなければできないことである。同条は、憲法の改正には、各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議と国民投票による過半数の賛成を要求して、慎重な改正手続を定めるとともに、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の意思に、その最終的な決定を委ねたのである。閣議決定と法律の制定によって憲法9条の内容を改変することは、憲法96条の改正手続を潜脱することであり、立憲主義を踏みにじり、憲法制定権力に由来する主権者たる国民の、憲法改正に関する決定権を侵害することである。

(ハンマー)


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