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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

北核問題という思考枠を抜け出そう

2009-07-02 | 北朝鮮バッシングに抗して
――北核問題という思考枠を抜け出そう――
肝要なのは東北アジアにおける平和的生存権の視点
■軍事的衝突がもたらす結果を想像してみよう
 今、朝鮮(韓)半島とその周辺では、一触即発の戦争の危機が高まっています。この危機が実際の軍事衝突に転化した場合どのような結果をもたらすか、ぜひ一度想像してみて下さい。政府・与党や野党の一部、そしてマスコミは、連日朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)に対する「恐怖」と「敵愾心」を煽り立てています。そして日本政府は、「朝鮮」に対する経済制裁の強化と同国に出入りする船舶の臨検体制を整えつつあります。韓国でも、李明博(I-Myongbak)政権が、「「朝鮮」の核攻撃を未然に阻止するための先制攻撃能力を整える」と表明しました。朝鮮(韓)半島とその周辺での軍事衝突の危険性が著しく高まっています。
 ところが奇妙なことに、軍事衝突を煽る人々は、この衝突の結果については一切語ろうとしません。軍事衝突が起こったら、一般市民を含む多くの人々が死傷し、多くの町が破壊されてしまうのです。「軍事衝突が起こっても、そんなことにはならない」と言うのなら、そうはならないことを証明する責任があるでしょう。それとも「結果はやってみなければ分からない」とでも言うのでしょうか。それこそまったく無責任そのものという他ありません。現代の戦争は、攻撃も防御も瞬時を争う電撃戦であり、最初の優位をどちらが獲得するか、ということが決定的な意味をもっています。従って、どんな部分的な軍事衝突でも、全面戦争に発展する危険性が極めて高くなっているのです。
 戦争は、PCゲームではありません。戦争は、人間が肉塊となって吹き飛び、子どもたちが、愛する人々が無惨に殺されるということであり、町々が灰燼と帰すことなのです。戦争の結果を想像したなら、戦争を起こすことは極めて困難になります。だから戦争を煽る人々は、戦争の恐ろしい結果については決して語ろうとしないのです。
 
■朝鮮(韓国)戦争の悲劇を繰り返させてはならない
 今年も、6月25日という日が過ぎていきました。59年前の6月25日、北緯38度線を挟んで北と南が戦争状態に入り、以後3年半に渡って一つの民族が、兄弟・親戚が、二つに分かれて血で血を洗う凄惨な戦争を行いました。朝鮮(韓)半島全体で、町々の路地という路地で、村々の裏山という裏山で、破壊と殺戮が繰り広げられました。韓国の首都ソウルの支配権も、二転三転する中で、数え切れない悲劇が起きました。
 死傷者の多数は、一般市民でした。その数には諸説ありますが、南北合わせて400万人前後と推定されています。当時の全人口の2割強のかけがえのない命が奪われたことになります。一家は離散し、離散家族に属する人々の数は1千万人に及ぶといわれています。実に当時の人口の3分の1にあたる人々が、南と北に生き別れとなったのでした。主要な建物や生産設備も灰燼と帰し、その後の南と北の発展の大きな足枷となりました。
 このような悲劇は、絶対に繰り返させてはなりません。もし第二の朝鮮(韓国)戦争が起こったなら、その被害は想像を絶するものとなるでしょう。日本にも一定の被害(ミサイルが打ち込まれた場合は、その被害は決して小さいものとはならない)が及ぶでしょうが、やはり主戦場は朝鮮(韓)半島です。有名な検索サイト「ウィキペディア」の「朝鮮戦争」の項には、「戦闘状態が再燃した場合、北朝鮮軍がゲリラ戦術を取ってソウル周辺の短期間・限定的な戦闘に持ち込めれば、一時的に北朝鮮軍がやや有利であるが、・・・アメリカ軍を中心とした多国籍軍が編成され、徹底的な攻撃を受けて北朝鮮軍は壊滅状態になり、国家崩壊と韓国への吸収による朝鮮半島統一という状況は免れないと予想される」(*1)と書いてあります。この文章を書いた人は、戦争を極めてクールに技術的に述べており、そこでの悲惨極まりない諸結果には一言半句も触れていません。この筆者の視野には、一般民衆の死や文明の破壊は入らず、「朝鮮」の崩壊だけが浮かんでいるのでしょうか。
(*1) 「朝鮮戦争」(ウィキペディア)

 軍事衝突を煽る人々は、「いざ戦争になれば勝てる」と思っているのかもしれません。純軍事的には、「朝鮮」の全領土を焦土と化す能力を、米韓日の軍事同盟は持っているでしょう。しかし焦土化しただけでは、国を滅ぼすことができません。それはイラクの現状を見れば明々白々でしょう。何よりも、そのような殺戮と破壊は、絶対に許されません。また韓国の被害が軽微で済むということは絶対にあり得ません。日本に住んでいると、38度線を挟んだ南北の現実がはっきりとは認識できないのかもしれません。しかし、首都ソウル中心部は、軍事境界線からわずか40Kmしか離れていません。直線では、JRの大阪駅と京都駅の距離です。そして韓国では、ソウル中心の首都圏に全人口の4分の1にあたる1千万人が住んでいます。「ソウル周辺の短期間・限定的な戦闘」だけでもどれだけの犠牲と破壊が生じることか。また南端にある釜山(Pusan)ですら軍事境界線から550Kmの距離にあり、「朝鮮」が多数保有しているとされる中距離ミサイル「ノドン」の射程内にあります。ですから一旦戦争が始まれば、韓国もまた甚大な被害を被ることは避けられません。最近、米民間軍事研究機関「グローバル・セキュリティー」が、「もし両国(南北)間で戦争が始まれば、韓国の被害は数百億ドル、数万人に上る」という分析結果を発表しました(*2)。極めて低めの予測だと考えられますが、それでも多大な被害が出ることだけは確実です。もっとも、軍事衝突を煽る人々は、そのような被害など何とも思っていないのかもしれません。しかし大多数の民衆は、起こりうる戦争の結果を意識するなら、「戦争を止めること」が何よりも大事であることを容易に納得するでしょう。ですから、軍事衝突のもたらす結果に思いをはせることがとても重要なわけです。
(*2) exciteニュース<朝鮮半島>戦争始まれば韓国の被害額は数百億ドル―米研究機関

■日本は、分断の悲劇に責任がある
 さらに付け加えるなら、朝鮮(韓国)戦争の悲劇に日本が大きく関わっていたという事実にも思いをはせなければなりません。そもそも朝鮮(韓)半島の分断は、日本の朝鮮植民地支配と深く関係しているからです。戦後の米ソによる朝鮮(韓)半島の分断統治は、終戦時に「独立した国家」が朝鮮(韓)半島に存在していなかったということを根拠としていたのです。そして、「独立した国家」を1910年に消滅させ自らの植民地にしたのが日本なのです。ですから朝鮮(韓)半島の分断統治の原因を日本が作り出したとも言えるのです。さらに朝鮮(韓国)戦争のおりに、米軍の後方兵站基地として日本は多大な役割を果たしました。そして「朝鮮特需」といわれる経済効果によって、日本は戦後の混乱期を脱して経済成長の道に入ったのでした。朝鮮(韓)半島の悲劇を踏み台にして、戦後復興を成功させたと言われてもしかたがないような振る舞いをしたのでした。もちろん当時においても、日本の戦争加担に反対して命を懸けて反戦闘争を闘った人々がいました。その強固な中心は、在日朝鮮人・韓国人の青年たちであり、日本人労働者や青年・学生たちも、日本から朝鮮(韓)半島に送られる軍需物資を阻止する闘争に身体を投げ出しました。私たちの住む大阪の吹田で起こった吹田事件は、そのような輝かしい闘争の一つでした。しかし全体としての日本人は、朝鮮(韓)半島の悲劇に思いをはせることなく、経済復興に安堵していたといわざるをえません。このような歴史的経緯を踏まえるなら、あのような朝鮮(韓国)戦争の悲劇を二度と繰り返させてはなりません。ですから、軍事衝突を煽るなどもってのほかで、日本は朝鮮(韓)半島における緊張を緩和させるために、率先努力しなければならない立場にあるのです。

■「北核問題」という思考枠を取り払う
 多くの政治家やマスコミは、現在の朝鮮(韓)半島をめぐる問題を、「北核問題」という枠組みで捉えて論じています。一部の人は無意識的に、また他の人は意識的にそのような思考枠を設定しています。「北核問題」あるいは「北ミサイル問題」という枠組の設定は、問題が「北」すなわち「朝鮮」側にあるということを無意識のうちに前提としているのです。「問題は北にある」「悪いのは北だ」という図式から、「北を懲らしめろ」というスローガンが飛び出してくるのです。この思考枠からは、「戦争を回避する」という発想は生まれてきません。問題は、「朝鮮(韓)半島とその周辺における戦争をどう回避するか」というふうに立てられなければなりません。問題の核心は、「戦争の回避」にあります。

 「核実験やミサイル実験をして、戦争を挑発しているのは北だ。だからやられる前に叩かなければならない。」ということが、まことしやかに主張されています。しかし、このような対応で戦争を回避することはできません。この主張は、せいぜい、「犠牲は出るが身方の被害をより少なくして相手をやっつける」というものです。戦争の回避を放棄する、戦争を前提にした主張でしかありません。しかも、「身方の被害をより少なくする」という保障などどこにもありません。

 「核実験やミサイル実験をして、戦争を挑発しているのは北だ。」という主張は、そもそも公平性を欠いています。「朝鮮」が開発したとされる核兵器が、どの程度の威力があるか正確には分かりません。核実験に成功したかどうかさえ、意見の分かれているところです。他方、米軍が持つ核兵器の威力は、「朝鮮」という国とそこに住む人々を一瞬にしてこの地上から消し去るに十分なものであることを否定する人は誰もいません。ミサイルの精度と飛行距離においても、「朝鮮」のものと米国のものとでは比較にすらならない程度に差があることも、誰も否定しないでしょう。米国が「朝鮮」から受ける脅威よりも、「朝鮮」が米国から受ける脅威の方が圧倒的に大きいということも、また誰も否定できないでしょう。そのような脅威を、米国は「朝鮮」に対して半世紀以上に渡って与え続けてきたのです。しかもブッシュ政権の言動は、「朝鮮」側が受けている脅威を極端な水準に引き上げたことは、偏見をもたない者なら簡単に理解できることです。ですから、「核実験やミサイル実験をして、戦争を挑発しているのは北だ。」という主張は、極めて一方的な主張だと言えます。軍事的対決には、一方が他方に対する軍事的圧力を強めれば、相手方も軍事的圧力を強めるという悪循環がつきまといます。「朝鮮」側の対抗措置は、悪循環を加速させるもので決して良い方策だとは思えませんが、大事なことは、この悪循環を停止させ、戦争の危機を回避し、朝鮮(韓)半島とその周辺における緊張を段階的に緩和していくことです。そのためには、「朝鮮」に多大な脅威を与えている米国が、まずもって「脅威」を減ずる措置を講じ、米朝交渉を速やかに再開することが必要です。ところが、オバマ政権の最近の一連の言動は、これとは逆に、「朝鮮」に対する脅威を強めるものとなっています。これはとても危険なことです。

■後ずさりするオバマ政権
オバマ政権は、ブッシュ的なものの否定としてアメリカ国民の期待を受けて誕生しました。しかしアメリカには、ブッシュ的な政治を渇望している人々がいます。それらの人々は、アメリカ国民の多数が持つ力よりも遥かに強い、経済的、政治的、行政的影響力を持っていて、選挙とは異なるチャンネルによってオバマ政権に圧力を加えています。そもそも、ブッシュ政権の末期、ブッシュ前大統領は歴史に名を残すことを目的として、米朝国交樹立を目指していました。しかし政権内の超タカ派は、これに猛烈に抵抗して時間切れに持ち込むことに成功しました。オバマ政権は、中東に強い関心を示す半面、朝鮮(韓)半島にはさほど関心がないかのような姿勢をとりました。ブッシュ政権の退場によって頓挫した米朝交渉は、いっこうに進展する気配がありませんでした。「朝鮮」側のオバマ政権への期待は不信に変っていきました。最高指導者である金正日(Kim-Jongil)国防委員長の健康問題も関係して、「朝鮮」側の不安と苛立ちが募っていきました。このような状況を利用して、韓国の李明博政権と日本の麻生政権が、「朝鮮」孤立化政策を推し進めました。李政権と麻生政権は、極めて似た性格をもっているだけでなく、極めて似た政治状況におかれています。両政権とも、国会で絶対多数(日本は衆議院)を確保し、世論や野党の反対を無視して次々に反動的立法を成立させています。しかし両政権とも、今選挙があれば大敗するだろうといわれており、政治的に極めて追い詰められた状況にあります。なんとか世論を有利に誘導するために、両政権とも、「朝鮮」に対する「敵愾心」を煽って、国内の不満を外に向けようとしています。彼らは、腰の定まらないオバマ政権に働きかけて、対「朝鮮」強行路線に引きずり込もうとしています。「朝鮮」の新たな核実験に遭遇して、オバマは驚いて後ずさりしてしまいました。今では、こと対「朝鮮」政策においては、フッシュ政権末期の地平からずっと後退しています。

■再び勢いづく「体制転覆派」
6月10日付の「ニューズウィーク日本語版」は「北朝鮮危機――核半島の脅威」という特集を組んでいます。その中で、タカ派の論客であるダン・トワイニングは、オバマ政権が採るべき対「朝鮮」政策として、「アメとムチの政策」ではなく、徹底した「ムチ」の政策を進言しています。彼は、「これまでアメリカと同盟国が北朝鮮の封じ込め戦略を本気で推し進めたことは一度もない」として、徹底した「封じ込め戦略」の遂行が必要だと主張しています。そして、この戦略の狙いは、「金正日政権を締め上げることで体制内部に亀裂を作りだし、対外的行動を改めさせることにある」と言います。しかしそのすぐ後で、彼の真の狙いを明け透けに語っています。「米政府の使命は、自国民と同盟国を北朝鮮の脅かしや攻撃から守ることだけではない。長期的な目標は、日米と手を結んだ韓国の主導による朝鮮半島統一が実現した後の東アジアでキープレーヤーの地位を占めることだ」と。これは中国やロシアを意識したものであることは言うまでもないでしょう。

 今、盛んに「朝鮮」の脅威を吹聴し、軍事的対決を煽っている人々の多くは、「朝鮮」の外交政策の転換を図ることが目的ではなく、「朝鮮の体制転覆」が目的ではないか、と思わざるをえません。外交政策が問題であれば、外交がまずもって重要であり、真摯な話し合いが何よりも必要です。しかし対話の必要性を主張すると、彼らは口を揃えて「北は信用できない」と言います。また「北は何をするか分からない恐ろしい国だ」とも言います。もし彼らの主張通り、「朝鮮」が「何をするか分からない恐ろしい国」だと仮定しましょう。そのような国に対して締め付けを強化したら、それこそ「何をするかわからない」のではないでしょうか。そしてその結果は、「朝鮮」という国は滅びるかもしれませんが、韓国はもちろん、日本も大きな惨禍を免れないでしょう。彼らの主張はまったく矛盾しているのです。交渉そのものは否定しにくいので、「対話と圧力を」と言いのがれているだけのように見えます。

■今からでも遅くない。誠実な交渉を開始しよう
戦争を回避して事態を打開しようとすれば、交渉して一致点を見出す以外にないのです。確かに、「朝鮮」という国は、今日の日本に住む多くの人々にとっては「わかりにくい国」でしょう。しかし、その国には2千万人以上の人々が暮らし、経済があり、政治があります。「朝鮮」の指導者たちも、自国の現実と世界の現実を無視して国を統治することはできません。誠実に交渉し、利害関係を調整すれば、必ず打開策は見つかります。交渉に反対する人々は、「日本側は誠実に交渉してきたのに、北は何一つ誠実に対応してこなかった」と言います。しかし冷静かつ公平に見れば、「朝鮮」側にも不誠実な言動がありました(例えば、長年に渡り「拉致事件などない」と主張してきたこと)が、「日本側は常に誠実だった」とは決して言えません。一つだけ例をあげます。最初の小泉訪朝のとき。蓮池さんたちは、「日本に一時帰国したのち、一旦は朝鮮に戻る」という確認が、金国防委員長と小泉総理の間で合意されました。それを一時帰国後に反故にして朝鮮に戻さないことにしたのは、日本側の約束不履行であり、外交的信義に反する行為でした。「一旦北に返したら二度と帰国できない」との判断から、やむを得ない措置であったとの主張がなされていますが、それなら「一旦戻す」という約束をするべきではなかったのです。これは、「朝鮮」の側から見れば、到底許されない背信行為です。いまさら過去のことを無かったことにしたり、逆に過去に縛られ過ぎては前に進むことはできません。戦争の危機を回避し、朝鮮(韓)半島とその周辺の緊張を緩和するために、今からでも遅くありません。何よりも米朝が直接対話によって危機回避策を見つけること、日本もまた、緊張を激化させる制裁強化や臨検法案の成立を断念し、速やかに日朝交渉の再開を図るべきです。韓国の李政権も、対「朝鮮」対決路線を放棄し、金大中(Kim-Dejung)―盧武鉉(No-Muhyon)政権が築いた南北融和の道、6・15共同宣言と10・4宣言の地平に立ち戻らなければなりません。そのことだけが、第二の朝鮮(韓国)戦争を回避し、朝鮮(韓)半島の非核化と東アジアの安定を確保する唯一の道だと確信しています。「朝鮮」指導部もまた、「強行には強行で、超強行には超強行で」といった悪循環の軌道にはまるような対応はとるべきではないと確信しています。「朝鮮」の6月22日付労働新聞は、「偉大な精神力を持った人民はいつも勝利する」(*3)という論評を掲載しました。そこで、「人民大衆の強い精神力こそ、何億もの金の財富にも比べることのできない民族の第一財宝であり、核兵器よりさらに威力ある最強の武器だ」と述べています。キューバがアメリカの侵略を阻止して社会主義を堅持し、ベトナムがアメリカ軍を追い出して祖国統一を成し遂げた力は、「核兵器よりさらに威力ある」人民の強固な意志と団結力であったということを、歴史は教えてくれています。
(*3) 로동신문 위대한 정신력을 지닌 인민은 언제나 승리한다 (2009-06-22)

■肝要なのは東北アジアにおける平和的生存権の視点
 今、朝鮮(韓)半島とその周辺で生じている一触即発の危機は、「北核問題」という思考枠を取り払い、「東北アジアにおける平和的生存権」という視点から取り上げるとき、正しい解決の道筋が見えてくると思います。何よりも、様々な歴史的背景と多様な現実を背負った東北アジアの国々に暮らす庶民が平和的に生存できるようにすること、別の言い方では、この地域の人々の平和的生存権を保障するという視点から、問題に接近しなければなりません。この地域にある中国、ロシア、「朝鮮」、韓国、そして日本の5カ国が、朝鮮(韓)半島の非核化とこの地域の安定化のために、真剣な交渉を積み重ねることが何よりも求められています。また韓国と日本に基地を置き、この地域に戦略核兵器を展開しているアメリカも、この話し合いに加わらなければなりません。ですから「6カ国協議」というのは、問題解決の必然的な枠組みなのです。「朝鮮」に対する圧迫を強めるための「5カ国協議」の開催を日韓両政府は追求していますが、それは問題解決をより困難にするだけです。今年5月の国連安保理決議1874号以降、「朝鮮」は中国とロシアに対しても強い不信と疑念を公然と表明するようになっています。そのような状況で「5カ国協議」を開くなら、「朝鮮」の「6カ国協議」への復帰は一層遠のくことになるのは火を見るより明らかでしょう。

ところで、各国政府というものは、そこに暮らす民衆の生存権よりも、国家的利益――実は特定の集団の利益なのですが――を優先させます。ですから、この地域の民衆自らが、平和的生存権を主張して行動することが大事です。今、中国、ロシア、「朝鮮」の民衆と、直接連帯する手だてはありませんから、まずもって日韓民衆の平和的生存権を掲げた連帯行動を強めなければなりません。「6カ国協議」は唯一の問題解決の場ですが、それはあくまで政府間交渉の場です。ですから、「6カ国協議」任せにしてはならないでしょう。いかに小さい動きであっても、東北アジアの民衆の平和的生存権を掲げた運動は、歴史の必然性に裏打ちされたものですから、必ず着実に大きな環へと成長すると確信しています。朝鮮(韓)半島とその周辺での軍事衝突を煽る人々の勝手気ままを許さず、東北アジアの民衆の平和的生存権を守るために、四方に向かって活発にメッセージを発信していきましょう。

2009年7月2日
                                                                                    (老居子)


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